コンラートという剣
王宮教育プログラムの二週目。
事件は昼休みに起きた。
子供たちは中庭で自由時間を過ごしていた。アレクシスは侍従と話し、イザベラは木陰で本を読み、ルシアンはどこかに消えていた。
セレスティアはフリーデリケと花壇の傍にいた。
「セレスティアちゃん、このお花の名前知ってる?」
「ラベンダーだよ。いいにおいがするの」
穏やかな時間だった。だがその穏やかさは、別の方向から来た少年たちによって破られた。
三人の少年。七歳から八歳。武官の子弟だろう、体格がいい。王宮教育プログラムの上級生だ。
「おい、辺境の芋姫がいるぞ」
笑い声。嘲りの声。
セレスティアに向けられた言葉だった。
辺境の芋姫。アルヴェイン公爵領は辺境に位置する。王都の貴族にとって辺境は田舎であり、辺境貴族は格下だ。子供たちは親の偏見をそのまま口にする。
「辺境の人間って芋しか食べないんだろ? 芋くさいんじゃないか?」
くだらない悪口だ。だがフリーデリケが震え始めた。この子は気の弱い子だ。衝突を極端に怖がる。
「やめて……」
フリーデリケの声は小さくて、少年たちには届かなかった。
「銀色の髪って変だよな。白髪みたいで。お婆さんみたい」
セレスティアは動じなかった。前世では遥かにひどい罵声を浴びた。子供の悪口程度では傷つかない。
だが黙っているわけにもいかなかった。ここで黙れば、今後もこの少年たちに標的にされる。
「ごめんね、おいものおはなしはよくわからないの。でもわたしのかみ、きれいっておうひさまにほめられたよ」
王妃の名前を出した。
少年たちの顔色が変わった。王妃を引き合いに出されると、悪口を続けづらい。
だが一人が強がった。
「嘘つくなよ。王妃様がお前なんかに会うわけ――」
「おい」
声が割り込んだ。
低い声。子供の声だが、芯が太い。
少年たちの背後から、別の少年が現れた。
金褐色の髪。琥珀色の目。骨太な体躯。七歳だが同年代の子供より一回り大きい。顔つきが鋭い。獅子の子のような少年だった。
「女の子をいじめるな」
短い言葉。だが有無を言わさぬ迫力があった。
少年たちが振り返った。
「コンラート……」
「聞こえなかったか。女の子をいじめるなと言った」
コンラート・フォン・ヴァイスハウプト。辺境伯家の嫡男。七歳。
セレスティアの記憶が反応した。ヴァイスハウプト辺境伯家。アルヴェイン公爵家と同じ辺境に領地を持つ名門。軍事に長けた家系。
前世ではこの少年との接点はなかった。全く記憶にない。
コンラートが少年たちの前に立った。三人対一人だが、コンラートの方が圧倒的に落ち着いていた。
「辺境の芋姫だと? 俺の家も辺境だ。俺も芋姫か」
少年たちが黙った。ヴァイスハウプト家は武門の名家だ。コンラートの父は帝国有数の将軍として知られている。武官の子弟なら、ヴァイスハウプトの名前は知っている。
「すみません……」
少年たちが引き下がった。コンラートの視線が鋭すぎて、それ以上食い下がる気力がなくなったのだろう。
少年たちが去った後、コンラートがセレスティアに向き直った。
「大丈夫か」
「うん。ありがとう」
「礼はいらない。弱い者をいじめるのが嫌いなだけだ」
飾らない物言い。正義感が強い。だが押しつけがましくない。助けたから感謝しろとは言わない。ただ自分の信念に従っただけだという態度。
「コンラートさまだよね。ヴァイスハウプトけのかた」
「知っているのか。ああ、辺境の家同士だからな。俺の父上と、お前の父上は面識がある」
「そうなの?」
「軍議で何度か会っていると聞いた。『鷲のアルヴェインは信頼に値する男だ』と父上が言っていた」
鷲のアルヴェイン。公爵の渾名だろう。辺境の軍人たちの間では名が通っている。
「おとうさまのこと、そういってくれてうれしい」
コンラートは少し照れたように視線を逸らした。
「俺は王太子殿下の幼馴染だ。殿下の護衛役みたいなものだ」
「アレクシスでんかとなかよしなの?」
「仲が良いというか……俺は殿下をお守りする立場だ。それが父上に言われた役目だ」
生真面目な答え。七歳にして騎士の気質がある。守るべき者を守る。それがこの少年の芯だ。
「コンラートさま、つよいね」
「まだまだだ。父上に比べれば全然だ。でも剣の稽古は毎日している」
「いいなあ。わたしもつよくなりたい」
コンラートがセレスティアを見た。意外そうな顔。
「お前、強くなりたいのか。令嬢なのに」
「よわいとまもれないもん。だいじなひとを」
コンラートの琥珀色の目が光った。共感だ。この少年も同じことを考えている。強くなりたい。大切な人を守りたい。
「……お前、面白いな。辺境の令嬢は王都の令嬢と違う」
「そう?」
「ああ。王都の令嬢は菓子と人形の話しかしない。お前は『強くなりたい』と言った。初めて聞いた」
コンラートが笑った。初めて見る笑顔。獅子が笑うと、少年の顔になった。七歳相応の、無邪気な笑顔。
「よろしく、セレスティア。俺はコンラートだ」
「よろしく、コンラートさま」
手を差し出された。節だらけの手。剣を握って鍛えた手。剣を握り続けてきた手だった。
セレスティアはその手を握った。固い手だった。だが温かかった。
新しい味方。前世にはいなかった人物。
◇
フリーデリケがセレスティアの袖を引いた。
「コンラートさま、かっこよかった……」
顔が真っ赤だ。
「フリーデリケちゃん、かおがあかいよ」
「ち、ちがうの! 暑いだけ!」
暑くはなかった。春の穏やかな午後だ。
セレスティアは笑った。五歳の笑顔。本物の笑顔。
前世にはなかった光景。友達が頬を赤くしている。男の子が悪者を追い払ってくれた。平和で、くだらなくて、愛おしい日常。
こういう時間を守りたい。
政治も陰謀も大切だ。宰相との戦いも避けられない。
だがこの瞬間――子供たちが笑い、頬を赤くし、花壇の前でたわいもない会話をする瞬間――を守ること。
そこからしか、始まらない。
◇
午後の授業が再開した。
歴史の授業。カール・ハインツ教師が帝国の建国史を語っている。
セレスティアは席に座りながら、教室を見渡した。
アレクシスが真面目にノートを取っている。ルシアンが退屈そうに窓の外を見ている。イザベラが完璧な姿勢で教師の話を聞いている。フリーデリケが必死に文字を書いている。コンラートが腕を組んで堂々と座っている。
この子供たちが、この国の未来を担う。
前世では、この子供たちの多くが歪んだ。宰相の介入で。政治の毒で。大人たちの思惑で。
今世では、違う結果にする。
一人ずつ。一歩ずつ。
セレスティアは自分のノートに視線を落とした。建国史の要点を書き留めながら、別のことを考えていた。
あと数日で、もう一人の重要人物に会うことになる。
ヴィオレッタ・フォン・モンテヴェルデ。
前世でセレスティアを法廷で告発した少女。
証言台に立ち、「セレスティア・フォン・アルヴェインは国家の敵です」と言い放った女。
あの声がまだ耳に残っている。
六歳の彼女に、今世でどう向き合うか。
憎むべきか。許すべきか。救うべきか。
答えは出ていない。出ないまま、その日は近づいている。
セレスティアはペンを握り直した。
ノートの隅に、小さく鷲の紋章を描いた。
飛ぶための翼。嵐の中でも。




