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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
外伝⑥「副宰相の計算違い」

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父に切られた日

 呼ばれたのは翌々日の昼だった。


 ヴィクトールの執務室。昼間に呼ばれるのは珍しくない。珍しいのは、部下を全員廊下に出してから呼ばれたことだった。扉が閉まった。執務室に二人だけになった。



 ヴィクトールは書類を見ていた。顔を上げなかった。マティアスは立った。椅子に座るよう言われなかった。一分ほどあった。ヴィクトールが書類を置いた。


 「お前がやった」


 断定だった。問いではなかった。


 「証拠はありません」


 「証拠を求めていない。言っている」


 「私には国王陛下を害する動機がありません」


 「動機がないのではない。私の意向の外で動いた。それがお前の動機だ」


 マティアスは答えなかった。



 ヴィクトールが続けた。


 「マティアス。私がお前に教えた中で、最も重要なことを覚えているか」


 「感情で動かないことです」


 「それを忘れた時、人間はどうなるか」


 「計算を誤ります」


 「そうだ」


 ヴィクトールが初めて顔を上げた。


 老いていた。以前より老いて見えた。しわが深かった。だが目は変わらなかった。何も感じていない目。マティアスはその目を長年見てきた。


 「お前は感情で動いた。焦りだ。私が老いることへの焦り。私の計画に乗れないことへの焦り。飢えだ。五歳と同じ種類の飢えが、理性を超えた」


 正確だった。一言も反論できなかった。



 「計画書があるはずだ」とヴィクトールは言った。「見せろとは言わない。ただ、一つ聞く」


 マティアスは待った。


 「ルシアン殿下を担ぐ計画か」


 「仮定の話として」


 「答えろ」


 「そうです」


 ヴィクトールが頷いた。長かった。何かを整理している頷きだった。


 「お前は利口だが、一つ読み間違えた」


 「何をですか」


 「私が何歳まで計算に入れているかを読み間違えた」


 マティアスは少し考えた。



 ヴィクトールが続けた。


 「私はまだ数年は動けると計算している。お前が動く必要はない。私の計画の中に、お前の場所は用意してある。ガルニエ家の後継として」


 初めて聞く言葉だった。


 「後継として、とは」


 「庶子だが、ガルニエの名を継がせる手続きを進めている。三年前から。お前が知らないのは、まだその段階ではなかったからだ」


 マティアスは何も言えなかった。


 「だからお前の計画は要らない。焦る必要もなかった」


 三秒の沈黙があった。


 「分かりました」


 それ以外に言葉が出なかった。



 「副宰相の権限を一部制限する。財務部門のみを担当しろ。三ヶ月間。その後、判断する」


 「分かりました」


 「ディートリヒは処理した」


 「はい」


 報告は受けていた。使用人として雇い直し、王都から離れた領地に移した。証拠になるものは全て消えた。


 「お前が接触したルシアン殿下は、今後こちらで管理する」


 「承知しました」


 「一つだけ聞く」


 ヴィクトールが立った。窓の方を向いた。


 「国王陛下を傷つけることへの……躊躇は、なかったか」



 マティアスは答えを考えた。躊躇。あったか。


 計画を立てた時はなかった。毒を手配した時もなかった。部下に渡した時も。ただ、部下が退いた後、一人で考えた時、窓の外を見た。あの灯りの一つの下に令嬢がいる、と思った。


 それが躊躇だったかどうか、分からない。


 「……多少は」


 「多少か」


 ヴィクトールが窓の外を見たまま言った。


 「それはお前の唯一の人間らしさだ。大事にしろ」



 廊下に出た。扉が閉まった。長い廊下を歩いた。ガルニエの名を継がせる手続きを三年前から進めている。三年前から。マティアスが計画書を書き始めたのも三年前だった。


 ヴィクトールが用意していたものと、マティアスが作っていたものが、三年間並走していた。どちらも相手を知らずに。


 喜べるはずだった。ガルニエの名を継げる。正式な後継者になれる。それは十年以上欲しかったものだ。だが腹が満たされなかった。五歳から続く、何を食べても満たされない空腹が、残ったままだった。



 なぜか。廊下を歩きながら考えた。


 「よくできた。ベルンハルトの血も悪くない」


 二十五歳の時に言われた言葉。七年ぶりに言われた言葉。あれが嬉しかった。あれが欲しかった。


 だが今、「三年前から手続きを進めていた」と言われても、嬉しくなかった。なぜか。自分で動いたものではないからか。


 ヴィクトールが用意したものを受け取るだけでは、五歳の時と変わらない。「食える」と言われて食っただけだ。それが空腹の正体だった。



 廊下の端の窓に来た。外が見えた。あの令嬢は、誰かに用意してもらったものを受け取っているか。


 そうは見えなかった。石段を作ったのは令嬢だ。仲間を集めたのも令嬢だ。では令嬢はなぜそれをしたのか。欲しいからか。承認が欲しいか。権力が欲しいか。


 そうでもなかった。石段で笑っていた。仲間を守ろうとしていた。では何が欲しいのか。分からなかった。全く、分からなかった。



 翌日、執務室に戻った。引き出しを開けた。計画書があった。取り出した。一枚ずつ見た。二年分の計算が並んでいた。捨てるか。


 捨てるのは惜しかった。だが残す意味もない。ヴィクトールが管理するなら不要になる。しばらく持ったまま、考えた。ヴィクトールが「躊躇はなかったか」と聞いた。


 「それはお前の唯一の人間らしさだ」と言った。


 人間らしさ、とは何か。計算から外れたものが、人間らしさか。計算から外れているといえば、あの令嬢が、なぜか頭に浮かんだ。



 計画書をしまった。捨てなかった。なぜ捨てなかったか、分からなかった。引き出しを閉じた。


 「セレスティア・フォン・アルヴェインが宰相府を訪ねてきた」


 ヴィクトールが言っていた。忘れていなかった。


 「お前の情報を持って来た。見返りは求めなかった」


 見返りを求めなかった。なぜそれが気になるのか。


 人間は必ず何かを欲しがる。三歳から安全を。十歳から承認を。二十歳から地位を。欲しがらない人間はいない。だが令嬢は見返りを求めなかった。では令嬢は何も欲しくないのか。


 そんなはずがない。あれだけの行動を取る人間が、何も欲しくないはずがない。欲しいものがある。ただそれが、自分の計算の中にない種類のものだ。燭台の炎が揺れた。


 しばらく、消さなかった。


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