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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
外伝⑥「副宰相の計算違い」

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完成した駒

 副宰相に就任したのは二十五歳の秋だった。


 辞令を受けた時、ヴィクトールは同じ部屋にいた。辞令を出したのもヴィクトールだった。形式的な式典はなかった。書類に署名して、翌日から執務室が変わった。それだけだった。


 その夜、一人で執務室に残った。


 広かった。机が大きかった。窓が二つある。前の部屋は窓が一つだった。座った。特に何も感じなかった。



 副宰相になって最初の一週間、全ての書類の流れを把握した。


 宰相府を通る情報の量と種類。それぞれの担当者の癖。どの書類が実際に重要で、どの書類が形式だけか。どの決裁がヴィクトールに届く前に止められているか。


 一週間で分かった。分かった瞬間、次を考えた。


 これが自分のやり方だった。一つ分かったら次。一つできたら次。立ち止まらなかった。立ち止まると余計なことを考える。余計なことを考えても何も変わらない。



 一ヶ月後、領地視察に出た宰相府の役人から報告が来た。


 アルヴェイン公爵家の令嬢、セレスティア・フォン・アルヴェインに関する報告だった。三歳。


 廊下で視察員の一人を見た令嬢が激しく取り乱し、「首を切る人に似ている」と口にした。悪夢に出てくる人物に顎と口元が似ていた、というのが公爵家側の説明だった。


 「幼児の恐慌として処理してよいか。継続観察の要否について判断を仰ぎたい」と役人は書いていた。


 マティアスはヴィクトールに渡した。ヴィクトールは一読した。


 「三歳だ。問題にならない」


 「では継続観察のみ」


 「そうしろ」


 それだけだった。



 書類を閉じた後、少し考えた。三歳の子供が、見知らぬ役人の顔から「首を切る人」を連想した。悪夢なら説明はつく。だが、なぜそのような悪夢を見るのか。


 答えは出なかった。


 だが問いを持ち続けるのは非効率だ。三歳だ。問題にならないとヴィクトールが言った。ヴィクトールの計算が外れたことはない。引き出しにしまった。



 三ヶ月後、ディートリヒが落ちた。公爵家からの報告が途切れた。三日待った。七日待った。来なかった。


 王都に流れた話はこうだ。アルヴェイン公爵家の家宰が内通の疑いで幽閉された。発端は、十三歳の次男フェリクスによる奥方の薬の分析。三歳の令嬢が関わったという記録は、どこにもなかった。


 金では動かない男の、金では届かない場所に手を入れて、十年かけてようやく深いところまで届くようになった駒だった。引き継いで、三ヶ月だった。ヴィクトールに報告した。


 「切れ。他を当たれ」


 それだけだった。「よくできた」と同じ長さの言葉だった。執務室に戻って、椅子に座った。十年。三ヶ月。三歳。数字が並んだ。並べても、意味は出なかった。



 二十六歳。


 公爵家の情報は、自分で組み直すしかなくなった。使用人。出入りの商人。王都の別邸に納品する店。一つずつ。ディートリヒ一人が担っていた量を、十七人で埋めた。粗い。遅い。だが届く。


 その翌年の報告に、令嬢の特異な行動はほとんどなかった。読み書きの習得が早いという曖昧な噂はあったが、確認できる事実はない。侍女のナターシャという少女が常に傍におり、屋敷の外から細部を探ることは難しくなっていた。


 五歳になった。父公爵を動かして王宮の人事に影響を与えた。具体的な手法は不明。


 「不明」という言葉が引っかかった。


 十七人が誰も掴めていない。細部を集める習慣を持った人間だけを選んで並べたのに、それが揃って「不明」と書いてくる。五歳が父親を動かした手法を、大人の観察者が把握できていない。


 不思議だった。だがまだ五歳だ。問題にならない。



 二十七歳。五歳の令嬢を使った計画。ヴィクトールの命令は、殺せ、ではなかった。


 「危険だと、皆に分からせろ」


 四歳の秋、公爵邸の庭園改修に紛れ込ませた術者が、令嬢の魔力波形を採取していた。光と闇が混じる、珍しい波形。その記録を読み込ませた小型装置を、王宮教育課程の魔力炉へ仕込む。


 令嬢が炉に触れれば装置が波形を検知し、同じ揺らぎを炉内へ返す。一度起動すれば、令嬢が離れても蓄積は止まらない。出力は演習場の結界が吸収できる範囲。死者は出さず、子供たちの目の前で「セレスティアの聖魔力が暴走した」という事実だけを作る。


 設計したのは、マティアスだった。装置は予定どおり起動した。


 だが令嬢は、魔力が放出される前に腹痛を訴えて退出した。オスヴァルトが異変に気づき、残った子供たちも全員避難させた。炉は無人の演習場で暴走し、半壊した。


 目撃者がいなければ、聖魔力の危険を印象づけられない。計画は失敗だった。二週間後、マティアスは令嬢に直接会った。


 「お腹の具合は、もう大丈夫ですか」


 「うん、もうだいじょうぶ」


 一過性の腹痛など、二週間後に診ても痕跡は残らない。嘘だという証拠にはならなかった。


 ただ、退出する直前に炉を見たという記録がある。時刻も、放出の数分前だった。偶然か。異常を感じ取ったのか。


 答えは出なかった。だから報告書には、どちらの可能性も書いた。分からないことを、分かったとは書かない。それがマティアスのやり方だった。


 三歳で説明のつかない恐怖を示した。五歳で父を動かした。同じ年に、自分が仕掛けた罠の前から立ち去った。偶然が、重なっている。報告書を引き出しにしまった。



 二年後の秋、再び視察で顔を合わせた。二十九歳になっていた。王宮教育課程の確認。形式的な視察だった。マティアスが担当した。廊下を歩いた時、小さな令嬢が歩いてきた。


 銀髪。碧眼。七歳。令嬢がマティアスを見た。マティアスも見た。一秒ほどだった。令嬢が視線を前に戻して歩き続けた。マティアスも歩き続けた。何でもなかった。通り過ぎただけだった。


 だが廊下の端まで来た時、止まった。あの目。


 怯えていた。隠そうとしていたが、怯えていた。だが怯えの奥に別のものがあった。計算している目ではなかった。これはどういう目か、と考えた。答えが出なかった。


 計算している目は分かる。それは自分の目に似ているから。では違う目は何の目か。分からなかった。



 視察の報告書を書いた。特異事項なし、と書いた。


 それは事実だった。廊下で令嬢と一秒間すれ違っただけで、何も起きていない。だがペンを置いた後、もう一度考えた。あの目。何かを守ろうとしている目、と思った。


 計算している目は対象の外側から対象を見る。だがあの目は何かの内側から外側を見ていた。内側にあるものが何かは分からなかった。だがその何かを守ろうとしていた。



 翌日から通常の業務に戻った。書類。報告。決裁。会議。全て問題なく進んだ。夜の執務室で一人、燭台の火を眺めた。


 「あの子は何者なのか」


 声に出た。誰もいない部屋だった。分からなかった。恐ろしい、と思った。


 計算できないものは、計算の外にある。計算の外にあるものは扱えない。扱えないものは排除するか、距離を置くかだ。ヴィクトールに報告すべきだった。「この令嬢は通常ではない」と。


 報告書に書いた。書き終えた。しまった。翌日、出さなかった。なぜか分からなかった。燭台の火が揺れた。しばらく、消さなかった。


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