最後の嘘をつけなかった日
勝った。宰相は断罪された。法廷が終わった。
セレスティアが俺の隣に立っていた。「終わったね、アレクシス」と言った。
二人きりでは何度も聞いた呼び方だった。それでも、法廷を出た直後のその声は、今までとは違って胸に残った。なぜか胸が痛かった。なぜ、と考えた。答えが出た。
出てしまった。
◇
法廷が終わった日の夜。
俺は自室で一人、窓から外を見ていた。王都の夜景。いつも通りの夜景。
勝利の夜だった。エドヴァルトが来て背中を叩いた。「お前のおかげだ」と言った。俺は「違う、セレスティアのおかげだ」と言った。そう言いながら、そうは思っていなかった。
誰かのおかげとか、誰かが動いたとか、そういう話ではなかった。ただ、終わった。そして今、胸が痛い。なぜ。
「終わったね、アレクシス」という声が頭に残っていた。十歳の石段で「アレクシスでいい」と言って以来、何度も呼ばれた名前。それなのに、あの時の声だけが消えなかった。
その声が頭から消えなかった。
◇
数日後、二人で話す機会があった。
俺が用事があると言って、部屋に来るよう伝えた。用事というのは嘘だった。話があった。何を話すかは決めていなかった。
セレスティアが来た。椅子に座った。少し眠そうな顔だった。裁判の疲れが残っているのかもしれない。
「何の用件ですか」
「聞きたいことがある」と俺は言った。
「どうぞ」
「どうして最初から手伝ってくれたの、という質問は、俺に対しては聞かないのか」
セレスティアが少し首を傾げた。「聞いた方がよかったですか」
「聞かないのが不思議だっただけだ」
「答えは分かっていましたから」
俺は少し止まった。「分かっていた?」
「正義のため、と言いましたよね。初めて手伝うと言ってくれた時」
「そう言った」
「嘘ですよね」とセレスティアが静かに言った。
◇
俺は返事をしなかった。しばらく、二人とも黙っていた。窓から光が入っていた。
「ずっと、見透かされてたのか」と俺は言った。
「全部ではないですよ」とセレスティアが言った。「ただ、正義のためという顔ではなかったので」
「どんな顔だった」
「よく分かりませんでした。でも正義のためではないとは思いました」
俺は少し考えた。ここで嘘をつけるかどうかを考えた。
「正義のためではない」ということは認めた。ではその先は。
「お前のことが気になっていた」と俺は言った。「ずっと前から」
言ってしまった。
「どれくらい前から」とセレスティアが聞いた。
「最初に会った時から」
「王宮の顔合わせで会った時ですか」
「そう」
セレスティアが少しの間、黙った。何かを考えている顔だった。
「わたしも」と言った。
「何が」
「あなたのことを考えていた。婚約が決まった時から」
◇
俺は少し止まった。
「嘘だろ」
「嘘じゃないです。婚約が決まったと聞いた時から、どんな人なのか考えていました」
「俺は敵のつもりじゃなかったが、敵に見えていたはずだ。宰相と同じ側にいるように見えていたはずだ」
「見えていました」とセレスティアが答えた。「敵かもしれないとは思っていました。でも気になりました。廊下で会った時も、図書室で会った時も」
「気になるのと好きなのは違う」と俺は言った。
「そうですね」
「俺も最初はそう思っていた。気になるだけだ、と。好きじゃないと」
「今は?」
◇
少しの間、俺は答えなかった。九年分の嘘を考えた。
「気になってない」という嘘。王宮の顔合わせの後の夜。婚約が決まった夜。廊下で会った夜。「気になってない」と三度繰り返した夜。
「正義のため」という嘘。手伝うと言った後に、理由を後から探した日。
全部で、何度嘘をついたか数えられなかった。最後の嘘をつこうとした。「今でも気になるだけだ」という嘘を。つけなかった。
「好きじゃない、と嘘をついてた。ずっと」と俺は言った。
「何に対して嘘をついていましたか」
「俺自身に」
セレスティアが少し目を細めた。笑っているのかどうか、少し分からない顔だった。
「正直に言ってくれて、ありがとうございます」
「お前は」と俺は言った。「今はどうなんだ」
「今は」セレスティアは少し考えてから続けた。「好きです。あなたが何を恐れ、何を守ろうとしていたのかを知るたび、もっと知りたいと思いました。立場ではなく、自分の意志でわたしに手を貸してくれた人を好きになるのは、自然なことだと思います」
◇
それで終わりだった。
その場でプロポーズをしたわけではない。劇的な何かがあったわけでもない。ただ、九年分の嘘が終わった。
◇
王になった日、セレスティアが隣に立った。白いドレスではなく、式典の正装だった。真っ直ぐ前を向いていた。俺は少しだけ横を向いて、顔を見た。
三歳から多くを背負ってきた目だ、と思った。五歳の顔合わせで、怖がりながらも俺の手を取り、「友達になりたい」と言った目だ。廊下で隈があっても普通の顔をして「おやすみなさい」と言った目だ。
「気になってない」と何年も言い続けた目だ。
「緊張してるか」と小声で聞いた。
「少し」とセレスティアが小声で答えた。
「俺も」
「嘘ですよね」
「本当だ。王太子はよくやったが、王は初めてだ」
セレスティアが少し笑った。「わたしも同じです。王の隣に立つのは初めてです」
「一緒に慣れるしかないな」
「そうですね」
◇
式典が終わった。夜、自室で日記を開いた。
今日の事実を書いた。戴冠式。式典の手順。参列者の顔ぶれ。記録として書くべきことを書いた。それから一行空けた。何を書こうか考えた。
「九年分の嘘が、あの日終わった」と書いた。
消さなかった。自分の感情を記した一行を、初めて消さずに残した。




