社交界の幼女
貴族の子女が集まる茶会は、王宮の離宮で開かれた。
白い壁に金の装飾。天井にはフレスコ画。窓からは王宮の庭園が見える。薔薇と百合が咲き誇り、噴水が陽光を受けて虹を作っている。
華やかだ。だがセレスティアの目には、華やかさの裏にある棘が見えていた。
貴族の茶会は社交の場であると同時に、情報戦の戦場だ。誰が誰と話し、誰が誰を避け、誰が誰に微笑むか。全てが政治的な意味を持つ。
五歳の子供たちにはまだそれが分からない。無邪気に菓子を食べ、庭を駆け回り、人形遊びに興じている。
だがセレスティアには分かる。この子供たちの背後に、親たちの思惑がある。
「セレスティア、緊張しないで。お友達を作りましょうね」
リリアーナが娘の手を握った。母は茶会の付き添いだ。本来なら侍女に任せてもいいが、リリアーナは自ら同行した。回復した身体で、久しぶりの社交場。かつての「黄金の百合」が王都に帰還する。
リリアーナの姿を見た貴婦人たちがざわめいた。
「あら、アルヴェイン公爵夫人……お元気になられたのね」
「噂では体調が悪いと聞いていたけれど」
「お美しいわ。お変わりなく」
社交辞令の裏に探りの目が光る。リリアーナの「回復」は注目を集める。長年の病弱がなぜ急に治ったのか。貴族たちは理由を知りたがっている。
リリアーナは穏やかに微笑み、挨拶を返した。流石は元王都の令嬢。社交の作法は身体に染みついている。
セレスティアは母の隣で、子供たちの輪を観察していた。
二十人ほどの子女。四歳から七歳。大半は伯爵家や侯爵家の子供たち。名門の子弟ばかりだ。
その中に、一際目立つ少女がいた。
黒髪。紫の瞳。六歳にしては背が高く、姿勢が完璧に整っている。周囲の子供たちの中心に座り、まるで女王のように場を支配していた。他の子供たちが菓子を取る順番まで、その少女の目配せで決まっている。
イザベラ・ド・ガルニエ。
宰相の娘。
セレスティアの背筋に冷たいものが走った。
前世でも知っていた名前だ。イザベラは宰相の道具として育てられた少女。社交界を裏から操り、セレスティアの孤立に一役買った人物。直接的な敵対はなかったが、常にセレスティアの対角線上にいた。
イザベラの目がセレスティアを捉えた。
紫の瞳が碧い瞳と交差する。
「あなたがアルヴェイン公爵家のお嬢様?」
イザベラが立ち上がり、セレスティアに近づいてきた。歩き方が美しい。六歳にして完成された所作。宰相の英才教育の成果だ。
「はい。セレスティア・フォン・アルヴェインです」
セレスティアは礼をした。五歳児の礼としては上出来だが、イザベラの完璧さには及ばない。
イザベラがセレスティアを上から見下ろした。一歳の年齢差と、数センチの身長差が、この場面では圧倒的な優位になる。
「噂通り、変わった目をしているのね。銀色の髪も珍しいわ。まるで冬の妖精みたい」
褒めているようで、「変わっている」と指摘している。巧みな言葉遣いだ。
「ありがとうございます。イザベラさまもとてもおきれいですね」
セレスティアは無難に返した。五歳児の範囲を逸脱しない、素直な褒め言葉。
イザベラの唇が微かに曲がった。笑みだ。だが目が笑っていない。
「お父様が言っていたわ。アルヴェイン家は面白い宝物をお持ちだって」
セレスティアの心臓が跳ねた。
宝物。面白い宝物。
聖魔力のことだ。宰相は知っている。ディートリヒが報告した「令嬢の異常な覚醒」。具体的な情報は不完全でも、公爵家の令嬢に「何か」があることは把握している。
そしてそれを六歳の娘に伝えている。いや、娘を使って探りを入れている。
宰相め。自分の娘を道具にする男。
だがセレスティアは顔に出さなかった。五歳の無垢な笑顔を作る。
「たからもの? おうちにはぬいぐるみがたくさんあるの。くまさんとうさぎさんと、おはなのかたちのやつと」
ぬいぐるみの話をする五歳児。完璧な擬態。
イザベラの目が一瞬だけ揺らいだ。予想と違う反応だったのだろう。もう少し賢い反応を期待していたか。あるいは動揺を期待していたか。
「そう。ぬいぐるみ。可愛いわね」
イザベラの声から探りの鋭さが消えた。興味を失ったように見える。だがセレスティアは油断しなかった。この少女は六歳にして演技ができる。興味を失った「振り」かもしれない。
「ね、いっしょにおかしたべない?」
セレスティアは天真爛漫に笑った。
イザベラは一瞬驚いたような顔をした。敵の娘から友好的に誘われることを予想していなかったのだろう。
「……ええ、いいわよ」
二人は菓子のテーブルに向かった。小さな焼き菓子と果物のタルト。セレスティアはイザベラにタルトを渡した。
「これおいしいよ。いちごのやつ」
「ありがとう」
イザベラがタルトを受け取った。紫の瞳がセレスティアを観察している。この少女は常に計算している。六歳にして。
「ね」イザベラが小さな声で言った。タルトを見つめたまま、セレスティアの方を向かずに。「あなたはお父様の言う通りにするの」
「え?」
「べつに。なんでもない」
ひと口食べて、イザベラは窓の外に目を向けた。それきり、その話は終わった。
その問いが何を意味するのか、セレスティアには分からなかった。
だがセレスティアも計算していた。
イザベラを敵にしてはならない。少なくとも、今は。宰相の娘と公然と対立すれば、宰相に攻撃の口実を与える。
だからこそ友好的に振る舞う。五歳の無邪気な少女として。
敵を知り、敵に近づき、敵の懐に入る。それが前世で学べなかった教訓だ。
◇
茶会の後半、別の子供たちとも話をした。
フリーデリケ・フォン・ヴァイツゼッカー。侯爵家の令嬢。五歳。大人しく、引っ込み思案。だが観察力がある。セレスティアがイザベラと話している間、フリーデリケはずっと遠くから二人を見ていた。
「あのね、わたしフリーデリケ。あなたのおなまえは?」
セレスティアから話しかけると、フリーデリケは顔を赤くした。
「フリーデリケ・フォン・ヴァイツゼッカーです。よろしく、おねがいします」
声が小さい。だが目は真っ直ぐだ。
前世の記憶を探る。フリーデリケ・フォン・ヴァイツゼッカー。名前に覚えがある。前世の学園時代、数少ない「中立」の立場を保った令嬢だ。セレスティアを積極的に助けはしなかったが、迫害にも加担しなかった。
善良な子だ。だが周囲の圧力に弱い。イザベラの支配下に入りかけている。
「フリーデリケちゃん、いっしょにおにわみにいかない?」
「い、いいの?」
「もちろん! おはなきれいだよ」
フリーデリケの顔が明るくなった。手を繋いで庭に出る。
薔薇園を歩きながら、セレスティアはフリーデリケと話をした。好きな花のこと。好きな本のこと。家族のこと。
「おとうさまはおしごとでいそがしくて、あんまりおうちにいないの」
フリーデリケの声が寂しそうだった。
「わたしもそうだったよ。でもね、さいきんおとうさまがやさしくなったの」
「うらやましい……」
小さな声。この子もまた、貴族の家の子供特有の孤独を抱えている。
セレスティアはフリーデリケの手を握った。五歳の手と五歳の手。
この子は味方になりうる。いや、味方にしたい。計算ではなく、純粋にそう思った。この寂しそうな目をした少女を、孤独のまま放っておきたくない。
「フリーデリケちゃん、おともだちになろう」
「おともだち?」
「うん。わたしとフリーデリケちゃん。おともだち」
フリーデリケの目に涙が浮かんだ。大きな目から、透明な雫がこぼれた。
「……うん。おともだち」
手を握り返された。強く。
前世ではいなかった友人。今世で初めてできた、同年代の友。
◇
茶会の終わり際、セレスティアは別の視線に気づいた。
テラスの奥。大人たちの区画。そこに一人の男が立っていた。
長身。灰色の髪。鋭い目。年齢は五十代か。黒い衣装が神官服にも見えるが、装飾は世俗的だ。
男の目がセレスティアを見ていた。正確には、セレスティアの「中身」を見ていた。魔力を見る目。学者の目とも違う。もっと深い、もっと古い知識を持つ者の目。
王宮魔術師長オスヴァルト。
前世で名前だけは知っていた。セレスティアが学園に入る頃には既に引退していたが、「帝国最高の魔術師」と呼ばれた人物。聖魔力に関する唯一の研究者でもある。
オスヴァルトの目がセレスティアの碧い目と交差した。
一瞬。だがその一瞬で、全てが見透かされた気がした。
オスヴァルトは何も言わなかった。視線を外し、テラスの奥に消えた。
その近くに、別の男がいた。三十代か。精悍な顔立ち。宰相府の紋章が入った外套。だが宰相本人ではない。子供たちの輪を見ていた。値踏みするように、均等に。
前世の記憶の端に、その顔がある。名前が出てこない。だが宰相の傍に常にいた男だ。
セレスティアの手が震えた。
あの男は知っている。聖魔力を。一目で見抜いた。
敵か味方か。
前世の記憶では判断できない。前世ではオスヴァルトとの接触がなかった。
新しい変数だ。前世にはなかった要素。
セレスティアは深呼吸した。三秒吸う。三秒止める。三秒吐く。三秒止める。
落ち着け。一つずつ。
リリアーナが迎えに来た。
「セレスティア、お友達できた?」
「うん! フリーデリケちゃんっていうの。とってもやさしいこ」
リリアーナは嬉しそうに微笑んだ。娘に初めての友達ができた。母にとってはそれだけで十分な成果だ。
だがセレスティアにとっては、これは戦いの始まりだった。
馬車に乗り、別邸に戻る道すがら、セレスティアは窓の外を見つめていた。
王都の空が夕焼けに染まっている。
明日は何が起きるだろう。王太子との顔合わせは近い。王妃への拝謁も。
一歩ずつ。一手ずつ。
手を、一つずつ並べていく。
この王都で、前世とは違う未来を紡ぐために。




