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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
外伝③「侍女の十九年」

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蜂蜜の量

 涙の量に合わせて蜂蜜を足す。


 いつからそうなったのか、覚えていない。


 だんだんそうなっていた。お嬢様の顔を見て、紅茶の蜂蜜の量を決める。嬉しい涙の日は、蜂蜜は少なめでいい。早く落ち着くから。悲しい涙の日は多めにする。なかなか止まらないから。


 泣いていない日でも、「今日は多め」という日がある。顔で分かる。何年もそばにいると、そういうことが分かるようになる。


 ◇


 わたしは二十九歳になっていた。


 お嬢様は王妃になっていた。王宮に入って二年が経った。


 王宮での仕事は学園や公爵邸とは違う。規模が違う。人の数が違う。作法の細かさが違う。最初の半年は覚えることだらけで、眠れない夜も多かった。


 でも紅茶だけは変わらなかった。


 毎朝、淹れる。蜂蜜を足す。量を決める。


 ◇


 ある朝のことだ。


 「陛下、本日の蜂蜜は通常量でよろしいですか」


 「通常量で」


 「涙の追加分は」


 「今日は大丈夫」


 「念のため、〇・二さじだけ足しておきます」


 「ナターシャ、わたしは大丈夫と言いました」


 「はい。でも今日の顔がそう言っていないので」


 陛下が少し目を細めた。「いつもそれを言いますね」


 「いつも通りです」


 ◇


 この朝のやり取りは何度あったか分からない。


 陛下が「大丈夫」と言う。わたしが「でも顔が」と言う。


 大体わたしが正しかった。陛下はあまり顔に出さない人だが、わたしには分かる。長い時間、そばにいると分かることがある。


 「ナターシャは強情ですね」と言われる。


 「陛下のためになると思うことをしているだけです」と答える。


 「それが強情ということです」


 「そうかもしれません」


 ◇


 「十七年前、水路で泥だらけになったわたしが、王妃陛下の紅茶を淹れている」


 そう思うことがある。


 不思議だと思う。あの水路の底で三歳の子供を抱え上げた十二歳のわたしが、今、同じ人間の紅茶を毎朝淹れている。


 人生は、分からないものだ。


 ◇


 「いつも通り」という言葉の意味が、少しずつ変わってきた気がする。


 最初にその言葉を言ったのは、水路の二日後だった。「ありがとう」と言われて「いつも通りです」と答えた。その時はまだ、何がいつも通りなのかも分かっていなかった。


 今は分かる。


 毎朝紅茶を淹れることがいつも通りだ。蜂蜜の量を決めることがいつも通りだ。陛下の顔を見て「今日は少し多め」と思うことがいつも通りだ。


 十七年分の「いつも通り」が積み重なった。


 ◇


 「ナターシャ」と陛下が言った。


 ある夜、仕事が一段落した頃だった。


 「はい」


 「水路に飛び込んだ日のことを覚えていますか」


 「覚えています。怖かったです」


 「わたしは覚えていますよ。ナターシャが飛び込んできた瞬間を。声が聞こえた瞬間を」


 「怖かったですか」と聞いた。


 「怖かったです。でも、声が聞こえた瞬間に、助かると思いました」


 「それは助かって当然です。水は胸くらいまでしかありませんでした」


 「そういうことではなくて」陛下が少し笑った。「ナターシャの声だと分かったから、助かると思いました」


 ◇


 わたしは少しの間、その言葉を考えた。


 ナターシャの声だから助かると思った。


 つまり、わたしがいると分かったから安心した、ということだ。


 「ありがとうございます」と言った。


 「こちらこそ。ずっと、ありがとうございます」


 「いつも通りです」


 「ナターシャが言う『いつも通り』は、十七年分の重さがありますよ」


 ◇


 そうかもしれない、と思った。


 十七年分の「いつも通り」だ。


 毎朝の紅茶。蜂蜜の量。顔を見て量を決めること。「大丈夫」と言われても多めにすること。


 一つひとつは大したことではない。


 だが十七年分積み重なると、違うものになる。


 「いつも通り」が、十七年分の忠誠の言葉になる。


 ◇


 その夜、一人で考えた。


 わたしは侍女だ。平民だ。生まれた時から何も持っていなかった。家もなく、家族もなく、行き場もなかった。


 十二歳の時に水路に飛び込んだ。身体が先に動いた。


 今は王妃の侍女として、毎朝紅茶を淹れている。


 人生は不思議だ。


 でも、一つだけ変わっていないことがある。


 陛下のそばにいる時、わたしには行き場がある。


 それだけで十分だ。

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