蜂蜜の量
涙の量に合わせて蜂蜜を足す。
いつからそうなったのか、覚えていない。
だんだんそうなっていた。お嬢様の顔を見て、紅茶の蜂蜜の量を決める。嬉しい涙の日は、蜂蜜は少なめでいい。早く落ち着くから。悲しい涙の日は多めにする。なかなか止まらないから。
泣いていない日でも、「今日は多め」という日がある。顔で分かる。何年もそばにいると、そういうことが分かるようになる。
◇
わたしは二十九歳になっていた。
お嬢様は王妃になっていた。王宮に入って二年が経った。
王宮での仕事は学園や公爵邸とは違う。規模が違う。人の数が違う。作法の細かさが違う。最初の半年は覚えることだらけで、眠れない夜も多かった。
でも紅茶だけは変わらなかった。
毎朝、淹れる。蜂蜜を足す。量を決める。
◇
ある朝のことだ。
「陛下、本日の蜂蜜は通常量でよろしいですか」
「通常量で」
「涙の追加分は」
「今日は大丈夫」
「念のため、〇・二さじだけ足しておきます」
「ナターシャ、わたしは大丈夫と言いました」
「はい。でも今日の顔がそう言っていないので」
陛下が少し目を細めた。「いつもそれを言いますね」
「いつも通りです」
◇
この朝のやり取りは何度あったか分からない。
陛下が「大丈夫」と言う。わたしが「でも顔が」と言う。
大体わたしが正しかった。陛下はあまり顔に出さない人だが、わたしには分かる。長い時間、そばにいると分かることがある。
「ナターシャは強情ですね」と言われる。
「陛下のためになると思うことをしているだけです」と答える。
「それが強情ということです」
「そうかもしれません」
◇
「十七年前、水路で泥だらけになったわたしが、王妃陛下の紅茶を淹れている」
そう思うことがある。
不思議だと思う。あの水路の底で三歳の子供を抱え上げた十二歳のわたしが、今、同じ人間の紅茶を毎朝淹れている。
人生は、分からないものだ。
◇
「いつも通り」という言葉の意味が、少しずつ変わってきた気がする。
最初にその言葉を言ったのは、水路の二日後だった。「ありがとう」と言われて「いつも通りです」と答えた。その時はまだ、何がいつも通りなのかも分かっていなかった。
今は分かる。
毎朝紅茶を淹れることがいつも通りだ。蜂蜜の量を決めることがいつも通りだ。陛下の顔を見て「今日は少し多め」と思うことがいつも通りだ。
十七年分の「いつも通り」が積み重なった。
◇
「ナターシャ」と陛下が言った。
ある夜、仕事が一段落した頃だった。
「はい」
「水路に飛び込んだ日のことを覚えていますか」
「覚えています。怖かったです」
「わたしは覚えていますよ。ナターシャが飛び込んできた瞬間を。声が聞こえた瞬間を」
「怖かったですか」と聞いた。
「怖かったです。でも、声が聞こえた瞬間に、助かると思いました」
「それは助かって当然です。水は胸くらいまでしかありませんでした」
「そういうことではなくて」陛下が少し笑った。「ナターシャの声だと分かったから、助かると思いました」
◇
わたしは少しの間、その言葉を考えた。
ナターシャの声だから助かると思った。
つまり、わたしがいると分かったから安心した、ということだ。
「ありがとうございます」と言った。
「こちらこそ。ずっと、ありがとうございます」
「いつも通りです」
「ナターシャが言う『いつも通り』は、十七年分の重さがありますよ」
◇
そうかもしれない、と思った。
十七年分の「いつも通り」だ。
毎朝の紅茶。蜂蜜の量。顔を見て量を決めること。「大丈夫」と言われても多めにすること。
一つひとつは大したことではない。
だが十七年分積み重なると、違うものになる。
「いつも通り」が、十七年分の忠誠の言葉になる。
◇
その夜、一人で考えた。
わたしは侍女だ。平民だ。生まれた時から何も持っていなかった。家もなく、家族もなく、行き場もなかった。
十二歳の時に水路に飛び込んだ。身体が先に動いた。
今は王妃の侍女として、毎朝紅茶を淹れている。
人生は不思議だ。
でも、一つだけ変わっていないことがある。
陛下のそばにいる時、わたしには行き場がある。
それだけで十分だ。




