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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
外伝③「侍女の十九年」

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読み書きを習った夏

 「必要だから教える」と言われた。


 その言葉が好きだった。


 かわいいから、とか、いい子だから、とか、そういう理由ではなかった。必要だから。わたしが必要だから教える。そういう言葉だった。


 必要とされたのは、初めてかもしれなかった。少なくとも、はっきりとした言葉で言われたのは初めてだった。


 ◇


 水路の件から、しばらく経った頃だった。


 わたしは十三歳になっていた。お嬢様は四歳だった。


 ある夜、お嬢様が「ナターシャ、字を読めますか」と聞いた。


 「少しは読めますが、書くのは難しいです」と答えた。これは本当のことだった。平民の子は字を習う機会が少ない。わたしも基本的な文字は読めるが、書くのは苦手だった。


 「教えます」とお嬢様が言った。


 「お嬢様が、わたしに?」


 「ナターシャは賢い。読み書きができた方が、後でわたしの役に立てます。必要だから教えます」


 ◇


 四歳に読み書きを習う、というのは少し変な感じがした。


 だがお嬢様の教え方は実際に上手かった。


 最初は文字の形。次に単語。次に短い文章。毎日少しずつ、繰り返した。間違えても怒らなかった。「もう一度」と言うだけだった。


 「これはなんで覚えにくいんですか」と聞いたことがある。


 「字の形が似ているからです。わたしもこの二つはよく間違えました」とお嬢様が言った。


 「お嬢様も間違えたんですか」


 「間違えました。人間はだいたい同じところで間違えます」


 ◇


 夏の終わりには、地図が読めるようになっていた。


 お嬢様がそれを意図していたことに、後から気づいた。文字を教えた後で、地図の読み方を教えた。王都の地図。公爵領の地図。主要な街道。抜け道。


 「なんで地図まで」と聞いた。


 「いつか役に立ちます」とお嬢様が言った。


 「いつか、というのはいつですか」


 「分かりません。でも役に立ちます」


 実際に役に立った。何度も。後で分かった。


 その頃のわたしにはまだ分からなかったが。


 ◇


 暗号の書き方を教わったのは、少し後だった。


 「暗号まで教えてもらうんですか」と少し驚いた。


 「いつか役に立ちます」


 「また、いつかですか」


 「はい」


 役に立った。これも、後で分かった。


 ◇


 お嬢様について、わたしが考えたことがある。


 「お嬢様は、未来から来てるんじゃないかと思うことがある」


 思うだけで、言わなかった。言っても答えないと分かっていたから。


 お嬢様はわたしの質問に答えないことが多かった。答えられない質問というのがあるのだと、だんだん分かってきた。


 聞かなかった。それがわたしの選択だった。


 ◇


 蜂蜜の紅茶を最初に淹れたのは、その夏だった。


 正確に言うと、ある日の夕方に、普通の紅茶を持っていったら、お嬢様がそれを飲んで少し顔を歪めた。疲れている時の顔だった。


 「もう少し甘い方がいいですか」と聞いた。


 「少し疲れているだけです」


 「蜂蜜を入れましょうか」


 「……少しだけ」


 次の日から、蜂蜜を入れた紅茶を持っていくようになった。


 最初は決まった量を入れていた。小さじ一杯。


 だが、お嬢様の顔を見ていると、少し多い方がいい日と、少なくていい日があると気づいた。疲れている日は多めに。元気な日は少なめに。


 ◇


 いつからか、量を聞くようになった。


 「本日は通常量でよろしいですか」


 「いつも通りで」


 「少し多めにしておきます」


 「なぜですか」


 「今日の顔がそう言っています」


 お嬢様が少し笑った。「そうですか」と言った。


 「いつも通りで大丈夫です」と言っても、わたしがそうでないと思えばそうしない日もあった。


 「ナターシャは強情ですね」とお嬢様が言ったことがある。


 「お嬢様の役に立てると思ったことをするだけです」とわたしは答えた。


 「必要だから、ということですね」


 「そうです」


 「わたしが最初に言った言葉を、使っているんですね」


 「覚えていましたか」


 「覚えています」


 ◇


 その夏の終わりに、お嬢様が「ありがとう、ナターシャ」と言った。


 読み書きを教えてくれたことへの礼だったと思う。


 「いつも通りです」と答えた。


 「でも、わたしにとっては大事なことです」


 「なぜですか」


 「わたしの言葉を、ナターシャが使ってくれたからです。必要だから、という言葉を」


 ◇


 わたしは「必要だから」という言葉の意味を、その時初めてちゃんと考えた。


 必要とされること。必要な人間として扱われること。


 これまでの生き方の中で、それがなかったことがある。いてもいなくても同じだった時間がある。邪魔だと思われた時間もある。


 お嬢様はわたしを最初から「必要」として扱った。


 「必要だから教える」


 「ナターシャは賢い」


 「いつか役に立てる」


 全部、わたしを「必要な人間」として置く言葉だった。


 ◇


 「わたしも、必要です」とわたしは言った。


 「どういう意味ですか」


 「お嬢様が必要だということが、わたしには必要です。それがあると、仕事に力が入ります」


 お嬢様がしばらく黙った。


 「そうですか」と言った。「これからも、よろしくお願いします」


 「はい。いつも通り」


 いつも通り。


 その言葉がわたしにとって何を意味するのか、その時よりも少しずつ分かってきた夏だった。




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