表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
外伝③「侍女の十九年」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

323/340

岸の上で

 翌日、セレスティア様は熱を出した。


 高い熱だった。


 医者が来た。水を飲んだこと、体が冷えたことが原因だと言った。安静にすれば下がると言った。


 マルガレーテが付き添った。


 ナターシャは外から、廊下から、部屋の様子を聞いていた。



 ナターシャ自身も、体が怠かった。


 水路の冷たさがまだ体の中にあった。


 家政婦長から「今日は軽い仕事だけにしなさい」と言われた。


 廊下に座って、毛布を畳んでいた。


 頭の中で、あの水路の映像が繰り返された。


 水の中の小さな手。


 沈んでいった。


 あの瞬間のことを、止められなかった。



 二日後、熱が少し下がった。


 マルガレーテがナターシャを呼んだ。


 「会いたがっています」


 部屋に入った。


 セレスティア様が布団の中にいた。顔が少し赤かった。でも目が開いていた。


 ナターシャを見た。


 あの目だった。いつもの目だった。


 「なた、しゃ」


 「はい。少し具合が良くなりましたか」


 「うん。なた、しゃは?」


 「わたしは大丈夫です」


 「ほんとう?」


 「本当です」


 セレスティア様が布団の中で手を伸ばした。


 ナターシャが手を取った。


 「ごめんなさい」


 小声で言った。



 「謝らなくていいです」


 「でも、こわかったね、なた、しゃも」


 「……こわかったです」


 「なきながら、たすけてくれた」


 「泣いていました」


 「なんで、なきながら、とびこめたの」


 ナターシャは少し考えた。


 「考える時間がありませんでした。気づいたら飛び込んでいました」


 「かんがえないで、とびこんだの」


 「そうです」


 セレスティア様が少し黙った。


 布団の中で、小さな手がナターシャの手をつかんだままだった。



 「わたしは、よわい」


 セレスティア様が言った。


 小さな声だった。熱がある声だった。でもはっきりしていた。


 「よわい身体で、いろんなことを、しようとしてる。でも、みずのなかで、どうにもならなかった」


 「……」


 「しってたけど、みずのなかで、もっとよくわかった。わたしは、たった三さいで、よわい」


 ナターシャは何も言えなかった。



 三歳の子がそういうことを言う。


 普通の三歳ではなかった。


 でも、あの水路の中での声を思い出した。


 「たすけて」という声だった。「おかあさま」という声だった。


 あれは、三歳の声だった。


 知識がある。考える力がある。でも体は三歳だ。


 水の中でどうにもならなかった、というのは本当のことだった。



 「弱くていいと思います」


 ナターシャが言った。


 「え?」


 「全部一人でできる必要はないと思います。わたしがいます。マルガレーテさんがいます。お父様とお母様がいます。できないことがあれば、助けてもらえばいい」


 「でも、たのめないことが、ある」


 「何を頼めないのですか」


 「ひみつだから、いえない。でも、たのめない」


 ナターシャは少し考えた。


 「隣にいることは、頼めますか」


 「……うん」


 「じゃあそれだけ頼んでください。何をしているか全部教えなくていいです。ただ隣にいることを、頼んでください」



 セレスティア様がナターシャを見た。


 「なた、しゃは、どうして、そんなに、いてくれるの」


 「仕事ですから」


 「しごとだけじゃないでしょ」


 ナターシャは少し止まった。


 「……仕事だけじゃないです」


 「なんで」


 「あなたが心配だからです」


 「どうして、しんぱい?」


 「どうしてかは、分かりません。でも心配です」


 セレスティア様が少し目を細めた。


 「なた、しゃって、ちゃんとこたえてくれる」


 「ちゃんと答えていますか」


 「うん。わからないことは、わからないって、いう。でも、いてくれる、っていう」



 三日後、熱が下がった。


 セレスティア様が起き上がった。


 窓の外を見た。


 「みず、こわくなった」


 「そうですか」


 「でも、きっと、また、こわくなくなる」


 「そうですね」


 「なた、しゃも、いっしょに、こわかった?」


 「一緒に怖かったです。今でも少し怖いです」


 「わたしも。でも」


 「でも?」


 「なた、しゃが、いてくれるから、おっけー」



 その言葉が、ナターシャの中に残った。


 「なた、しゃが、いてくれるから、おっけー」


 三歳の言葉だった。


 でも軽い言葉ではなかった。


 この子が「いてくれるから大丈夫」と言える相手に、自分がなっている。


 怖かった、と思った。


 水路のことではなかった。


 大切なものを任されている、という怖さだった。



 その夜、父への手紙を書こうとした。


 書けなかった。文字が書けなかった。


 代わりに心の中で言った。


 「父さん。わたし、ここで大切なことをしていると思います。何をしているか、うまく言えないけど、大切なことをしている気がします」


 「怖い日があります。でも逃げたくないです」


 「母さんみたいに、いなくなることは、したくないです」


 それだけだった。


 母のことを思い出したのは、久しぶりだった。


 母は熱で死んだ。ナターシャが五歳の時。


 いなくなった。


 セレスティア様が水路で沈んだ瞬間、その記憶が重なった。気づかなかった。でも今になって分かった。


 だから躊躇なく飛び込めたのかもしれなかった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ