「見ている」ナターシャ視点
セレスティア様が何かをしている、と気づいたのは、三歳の春だった。
具体的に何をしているか、分からなかった。
ただ、何かをしている、という確信があった。
◇
きっかけは小さなことだった。
ナターシャが廊下を拭いていた。子供の棟から少し離れた廊下だった。
公爵家に客人が来ていた日だった。
廊下の端に、セレスティア様がいた。
一人だった。マルガレーテがいなかった。
客人が通る廊下だった。客人が通るたびに、セレスティア様は立っていた。見ていた。
ただ見ていた。
客人たちはセレスティア様を見なかった。子供が立っていても、気にしなかった。通り過ぎた。
◇
ナターシャは拭きながら見ていた。
セレスティア様は動かなかった。
客人が三人通った。
三人目が通った後、セレスティア様が歩き始めた。自分の棟の方角へ。
ナターシャは後を追った。
「セレスティア様、一人でここにいてはいけません」
「うん」
「どうしてここにいたのですか」
「みてた」
「何を見ていたのですか」
「ひとを」
「お客さんをですか」
「うん。どんなひとか、みたかった」
◇
「お名前は聞いていましたか」
「うん。きいてた」
「どこで」
「おとうさまとおかあさまのはなし、きこえた」
ナターシャは止まった。
公爵夫妻の会話を聞いていた。客人の名前を覚えた。実際の人物を確認しに行った。
三歳がしていることだった。
◇
別の日。
セレスティア様が書斎の前にいた。
書斎は公爵が使う部屋だった。子供は入れなかった。
扉の外に立っていた。
「セレスティア様」
「しいっ」
小声で制された。
小声で言い返した。
「何をしているのですか」
「きいてる」
「何を」
「おとうさまと、だれかのはなし」
ナターシャは少し考えた。
「それはいけません。盗み聞きになります」
「おぼえておきたい」
「それでも」
セレスティア様がナターシャを見た。
「たいせつなこと、なの」
「どうして大切なのですか」
「……いえないけど、たいせつ」
ナターシャはどうすれば良いか分からなかった。
◇
結局、廊下でセレスティア様の隣に立った。
二人で静かにしていた。
扉の向こうから声がした。公爵の声と、別の男の声だった。内容は遠すぎて分からなかった。
セレスティア様は聞いていた。
ナターシャは見ていた。
三歳の子供が、何かを聞いている顔だった。分かろうとしている顔だった。
その顔が、大人に見えた。
◇
マルガレーテに言うべきか、考えた。
言えなかった。
なぜ言えなかったか、自分でも分からなかった。
ただ、言いたくなかった。
セレスティア様が何かをしている。それを邪魔したくなかった。
◇
ある夜、眠りにつく前にセレスティア様が言った。
「なた、しゃは、いてくれる?」
「います。仕事ですから」
「しごとじゃなくても、いてくれる?」
ナターシャは少し止まった。
「なぜそんなことを聞くのですか」
「こわいことが、ある」
「怖いことがあるのですか」
「うん。でもこわいまま、やらないといけないことが、ある」
「何が怖いのですか」
「……うまくいかないかも、しれないから」
「うまくいかなかったら、どうなりますか」
「……」
セレスティア様が布団の中で少し丸くなった。
「それは、いえない」
◇
翌朝、考えた。
三歳の子が「怖いけどやらないといけないことがある」と言っている。
仕事ではないか、仕事ならしている意味があるか、と聞いてきた。
何かを一人でやろうとしている。一人でやらないといけないと思っている。
そうじゃなくていい、と言いたかった。
でも、どう言えば良いか分からなかった。
◇
「セレスティア様」
廊下で二人の時に言った。
「なに」
「一人でやらないといけないことでも、隣にいることはできます」
「……」
「何をしているか、全部教えてもらわなくていいです。でも隣にいることはできます。邪魔はしません」
セレスティア様がナターシャを見た。
長い時間、見た。
「なた、しゃは、どうして、そういうことを、いってくれるの」
「分かりません」
「わからないの?」
「よく分かりませんが、そう思いました」
◇
セレスティア様が少し考えた。
「おかあさまには、いわないでいてくれる?」
「何をですか」
「わたしが、いろんなところで、みたりきいたりしてること」
ナターシャは少し考えた。
「危ないことをするなら言います。危なくなければ、言いません」
「やくそく?」
「約束します」
セレスティア様が少し頷いた。
「ありがとう、なた、しゃ」
◇
その後から、セレスティア様が少し変わった。
一人でいる時間が減った。
行動する時、ナターシャがそばにいることが増えた。
何をしているかは、全部は教えてくれなかった。でも「こっちへ行く」「あのひとをみたい」とは教えてくれた。
ナターシャはついていった。
理由を聞かなかった。
ただ隣にいた。
それが正しいことかどうか、まだ分からなかった。
でも、そうしたかった。




