「変な子供」ナターシャ視点
セレスティア様の世話役の補助になったのは、ナターシャが十二歳の時だった。
「子供の棟を手伝いなさい」
家政婦長から言われた。
「わたしがですか」
「本来は年上の者がするが、マルガレーテが忙しい。あなたは仕事が丁寧だから補助に入りなさい。子供が怖くなければ」
「怖くはないです」
嘘だった。
あの目が怖かった。
◇
子供の棟に初めて入った。
明るい部屋だった。窓が大きかった。床に玩具が置いてあった。木の馬。積み木。布の人形。
セレスティア様がいた。
三歳くらいだった。床に座っていた。積み木を積んでいた。
ナターシャが入ってくると、顔を上げた。
あの目だった。
ナターシャを見た。止まった。また積み木を積んだ。
◇
「ナターシャです。お手伝いに来ました」
言ってみた。
三歳の子に自己紹介してどうするんだ、と思いながら。
セレスティア様が顔を上げた。
「なた、しゃ」
と言った。
「はい」
「なた、しゃ」
「そうです」
積み木を一つ、こちらに差し出した。
「どうぞ」
「…どうぞ、です」
受け取った。
そのまま積み木を一つ、上に乗せた。
セレスティア様が少し考えた顔をした。
また積み木を一つ、取った。そっと上に乗せた。崩れなかった。
◇
一時間、一緒に積み木を積んだ。
話しかけると返事が来た。完全な言葉ではなかった。でも返してくる。
ナターシャが「こっちに積もう」と言うと、首を横に振った。「あっち」と言った。
指差した方向に積んだ。
なぜあっちに積みたかったのか、分からなかった。
でも積み終えると、なぜかバランスが良かった。
◇
マルガレーテが来た。
三十代の女性だった。ベテランの乳母だった。
「助かります。セレスティア様は最近、よく動くから」
「どんな子ですか」
マルガレーテが少し考えた。
「……変わった子です」
「変わっている、とは」
「普通の子と違う。三歳なのに、人の顔をすごく見る。何かを考えているような顔をする。もちろん三歳だから分からないですよ、何を考えているかは。でも」
「でも」
「目が、大人みたいな時がある」
ナターシャは頷いた。
「……分かります」
◇
セレスティア様は、同じ年頃の子供より言葉が多かった。
増え方が、少し変だった。
普通の子供が使わないような言葉を使うことがあった。
ある日、廊下で転んで泣いていた。膝を打った。ナターシャが飛んでいった。
「大丈夫ですか」
セレスティア様が泣きながら言った。
「いたい、けど、おおじょうぶ」
「痛いんですよ、大丈夫じゃないです」
「なた、しゃが、いると、おおじょうぶ」
三歳の子がそういうことを言う。
ナターシャは少し止まった。
◇
不思議な出来事があった。
屋敷に来客があった日だった。
客人は何人かいた。仕事の話らしかった。公爵が帰ってきていた。
セレスティア様を連れて廊下を歩いていた。別の棟の廊下から、大人たちの声が聞こえた。
「話し合いが、うまくいっていないみたいだね」
小声で言った。独り言のつもりだった。
セレスティア様が立ち止まった。
「だれが、うまくいってないの」
「あ、いや、気にしなくていいです」
「おとうさまの、おはなし?」
「分からないです。わたしには関係ないから」
セレスティア様がまた歩き始めた。
その後少しして、また止まった。
「ひとのこえを、きく」
「え?」
「ひとのこえで、わかることがある。なた、しゃは、きけるひと」
三歳が何を言っているのか分からなかった。
◇
マルガレーテに話した。
「セレスティア様が変なことを言っていました」
「どんなことですか」
「人の声で分かることがある、とか、聞ける人、とか」
マルガレーテが少し止まった。
「……何度かあります。そういうことが」
「普通ですか」
「普通じゃないです。でも——どうすることもできないです。子供のことはよく分からないから。賢い子もいますから」
「賢い、というより」
「そうですね。賢いというより、……何か、知っているみたいな感じがする」
「わたしも同じ感じがします」
◇
セレスティア様が三歳になった。
ますます言葉が増えた。言葉が増えると、変さも増えた。
ある夜、眠らせようとしていた時だった。
「ねむれない」
「眠れないですか、何か怖いことがありましたか」
「こわくはない。かんがえてることが、おおくて」
「考えていることが多くて眠れない」
「うん」
三歳が、考えすぎて眠れない。
「大人みたいですね」
「そう?」
「そうです。眠れない時は、考えるのを少し休んでみてください」
「どうやって」
「わたしに話しかけてください。全部話せば、少し軽くなる」
セレスティア様がナターシャを見た。
「なた、しゃに、はなしていい?」
「もちろんです」
「ひみつでも?」
ナターシャは少し止まった。
三歳の子供の秘密。
「秘密でも、聞きます」
◇
その夜から、少しずつ変わっていった。
セレスティア様が話しかけてくることが増えた。
内容はいつも不思議だった。三歳が話す内容ではなかった。
でもナターシャは聞いた。
何を考えているのか、完全には分からなかった。でも、何かを考えている、ということは分かった。
その「何かを考えている」が、少しずつ怖くなくなっていった。
代わりに、何かが生まれていた。
名前のつかない何かが。




