父の名前
裁判が始まった日、私は傍聴席に座った。
公爵がそこに座るべき理由は、特にない。法廷に入ることが目的なら、もっと適切な場所がある。関係者席という選択肢もあった。だが私は傍聴席を選んだ。
理由を考えると、一つしか出てこない。
ここからなら、娘が見える。
◇
法廷の中央に、セレスティアが立っていた。
十四歳になっていた。白い衣装ではなく、深い青の正装だ。アルヴェイン家の色だ。
私はこの法廷の構造を知っている。三十年、政治の中にいた。議場の作法も、弁論の手順も、証人の扱い方も、証拠の提出の仕方も。この国の裁判というものがどう動くかを、頭ではよく知っている。
だがあの法廷は違った。
娘が一人で立っていた。
正確には一人ではなかった。傍にナターシャがいた。弁護に立ったヴァルトシュタイン子爵がいた。証人たちがいた。支援する者たちがいた。
だが核心には、この子一人がいた。
三歳から十一年間積み上げてきたものを、今日、この場で全部使っていた。
私は何もできなかった。
◇
私がやったことを書く。
公爵家の財力で支援した。証拠収集に使える人脈を提供した。法廷の外での根回しをした。宰相派の動きを読んで、先手を打った。証人の保護に必要な人員を手配した。
それだけだ。
法廷の中では何もできなかった。
弁論は娘がやった。証拠の提示はナターシャがやった。証人への質問は弁護人がやった。全ての準備をしたのは、十一年間この子が積み上げてきたものだった。
私は傍聴席で、見ていることしかできなかった。
それが、父親のやれることの全てだった。
◇
宰相が断罪された日の夜、私は書斎にいた。
勝利だった。誰もがそう言った。エドヴァルトが帰ってきて笑っていた。フェリクスが静かに目を閉じていた。リリアーナが泣いていた。
私は書斎で一人、手帳を開いていた。
何を書けばいいか、しばらく分からなかった。
「勝った」と書こうとした。正確ではなかった。私は勝っていない。娘が勝った。「セレスティアが勝った」と書こうとした。それも正確ではない気がした。何かが足りなかった。
ペンを置いた。
窓の外は暗かった。王都の夜だった。
◇
二日後、セレスティアから手紙が来た。
「おとうさま、ありがとう」
それだけだった。
三行目以降に何か書こうとした跡がある。細かい傷痕のように紙に残っていた。消してある。最後は一文だけが残っていた。
私は手紙を机の上に置いた。
しばらく見ていた。
三十年の公爵生活で、感謝の言葉は数えきれないほど受け取った。臣下から。同盟者から。領民から。商人から。
だがこの一文は違った。
何が違うのか、しばらく言語化できなかった。
考えた結果、一つだけ出てきた。
この「ありがとう」は、公爵に向けたものではない。
「おとうさま」に向けたものだ。
◇
その夜、手帳に書いた。
「勝った。セレスティアが勝った。私は地図の上を歩いただけだ。地図を引いたのはこの子だった」
それから一行空けた。
「三歳の朝食から始まった。灌漑の話から。あの朝が全ての始まりだった」
ペンを置いた。
インクが乾くのを見ながら、しばらくそのままでいた。
一つ気づいたことがある。
この手帳を書き始めた日から、三十年が経っていた。三十年分の言葉の中に、この子のことが何度も出てくる。最初の朝食の記録。パニック発作の夜の一行。扉の前で止まった夜の「私は何をしている」。王都で地図帳を買った時の記録。二度の「誇らしい」。
振り返ると、この手帳の半分がセレスティアのことだった。
気づかなかった。ずっと。
◇
結婚式の日。
私はリリアーナの隣に立った。式場の入り口から、白いドレスのセレスティアが歩いてくるのを見た。
アレクシス王が前方で待っていた。
セレスティアは真っ直ぐ歩いた。三歳の頃から変わらない歩き方だった。迷いがない。どこに向かうかを知っている人間の歩き方だ。
白いドレスが光の中にあった。
私はそれを見ていた。
◇
式の途中で、リリアーナが小声で言った。
「あなた、泣いてるの?」
「泣いていない」
「目が赤い」
「目に何か入った」
リリアーナは笑った。「相変わらずね」と言った。それから私の腕に少しだけ手を置いた。
私は何も言わなかった。
だが、その手を払いのけなかった。
◇
夜、書斎に戻って手帳を開いた。
ペンを持った。白いページを見た。
書いた。
「泣いた。これを書いているのが恥ずかしい。だが泣いた」
◇
手帳の最後のページを開いた。
そこは長い間、空白にしていた。最後のページは最後のために取っておいた。書くべき言葉が来るまで、空白のままにしておいた。
今日、書く時が来た。
「三歳の朝食。あの日が始まりだった。全ての。
あの子が話しかけてきた朝から、私の人生が変わった。
遅すぎた気づきだ。
だが気づけた。
それで十分だ」
ペンを置いた。
手帳を閉じた。
引き出しにしまった。
◇
窓の外は夜だった。星が出ていた。
公爵領の夜空は、王都より星が多い。よく晴れた夜は、空の半分が星になる。
三歳の娘が「きらきら」と言いそうな夜空だった。
七年前も、十年前も、同じ夜空があったのだと思う。私が書斎にいる間も、ずっとこの星があった。
私はそのまましばらく、窓の外を見ていた。
誰も見ていない書斎で。ペンも手帳も引き出しの中で。
口の端が、少し上がっていた。
消すつもりはなかった。




