学園に送り出した日
七歳の春に、セレスティアを学園に送り出した。
その朝のことを書く。
◇
朝食の席は、いつもより静かだった。
食事の量が普段より少ない席が一つあることを、私は気にしないようにしていた。セレスティアは口数が少なかった。食べながら何度か窓の外を見た。山の方角を見ていた。何を考えているかは分からなかった。
リリアーナが「身体に気をつけてね」と言った。
エドヴァルトが「なんかあったら兄ちゃんに言え。すぐ行くから」と言った。
フェリクスが「図書室の場所は最初に確認しておけ。道順を把握していると気持ちが落ち着く」と言った。
私は何も言わなかった。
言葉を探した。「気をつけろ」という言葉は出てきた。「学園でも勉強を怠るな」という言葉も出てきた。だが全て、言いかけて止まった。言葉が途中で折れた。
馬車の前に立った時、娘が一度振り返った。
私を見た。
「学園でも、」と始めようとした。続かなかった。
「行け」とだけ言った。
娘は頷いた。馬車に乗った。馬車が動いた。
私はその場に立ったまま、馬車が角を曲がるまで見ていた。
◇
その夜、手帳に書いた。
「何を言えばよかったのか」
それだけ書いた。
答えは出なかった。今でも出ていない。
◇
数ヶ月が経った。
最初に届いたのは、管理の報告ではなく噂だった。
「アルヴェイン家の令嬢が学園で聖魔力を使って同級生に嫌がらせをしている」という話が、宰相府近くの人間から流れ始めた。
一目で分かった。宰相の工作だ。証拠はないが、やり口が同じだ。三十年で見飽きた手だ。評判を落とす。周囲を遠ざける。孤立させる。そうして相手を小さくする。
だがこれは、娘が一人でいる場所で起きていた。
私は手紙を書こうとした。
最初の書き出し。「セレスティアへ。届いているか知らないが、」
破った。
何を届けるのかが分からなかった。
二度目。「噂のことは聞いている。気にするな。お前は、」
破った。
「気にするな」は、何も言っていないのと同じだ。しかも気にするなと言う父親が、それ以上何かを書けない。言葉に実が入らなかった。
三度目。「気をつけろ。宰相が、」
破った。
気をつけろと言った後に、何があるのか。自分で書いた言葉が宙に浮いた。
書いた内容が間違っているのではない。言葉の選び方の問題でもない。
私が書いていいものが、分からなかった。
父親が娘に書く手紙というのが、どういうものなのか。
三十年間、その問いに向き合ったことがなかった。
◇
フェリクスが書斎に来たのは、それから数日後だった。
「父上、セレスに手紙を書きましたか」
「……分かっている」
「分かっているなら、なぜ書かないんですか。セレスは今、一人でいます。信頼できる人間がまだ周りにいない。噂が広がっている。ナターシャがいるとは言え、ナターシャも学園の外の人間ですから毎日傍にはいられない」
「分かっている」
フェリクスは何か言いかけて、止まった。見切りをつけたような目で私を見た。
「セレスはあなたの娘ですよ」
出ていった。
私は机の上の、破いた紙の残骸を見ていた。三枚分の残骸だった。
◇
その夜、手帳に書いた。
「フェリクスが来た。分かっている、と答えた。本当に分かっているか」
一行空けた。
「分かっていない」
自分で書いて、少しの間、固まった。
公爵は「分かっていない」とは言わない。分からないものは調べ、考え、結論を出す。曖昧なまま放置しない。それがこの三十年の生き方だった。
だがこれは調べて出る答えではない。考えて出る結論ではない。
単純な話だ。
娘に何を言えばいいか、私は知らない。三十年間、知らないままだった。
◇
学年が上がるたびに噂は大きくなった。
「悪役令嬢」という言葉が使われ始めた頃、私は宰相府の動きを詳しく調べるよう指示を出した。報告が上がるたびに記録した。証拠を集めた。日付を記した。証人の名前を書いた。
手帳ではなく、別の帳面に。法廷で使える形に整えた。
いつかこの証拠が必要になると分かっていた。娘がそこに向かっているのが、遠目にも分かった。三歳から七歳まで見てきた目が、どこに向かっているのかは、もう分かった。
だが——手紙は書けなかった。
四度目を書きかけて、また止まった。五度目も同じだった。
書けることと、書けないことがある。
証拠の整理は書ける。報告書は書ける。命令書は書ける。
娘への手紙は書けない。
◇
学園三年目の夏に、セレスティアから手紙が届いた。
短い手紙だった。几帳面な字で書いてあった。
「おとうさま。おげんきですか。わたしはげんきです。来月、エドヴァルトおにいさまが学園に遊びに来てくれるそうです。フェリクスおにいさまからも手紙をもらいました。おかあさまのご様子をたまに教えてもらえると嬉しいです」
読んだ。読み返した。
最後の行があった。
「いつかまた、おはなしを聞かせてください。おとうさまのおしごとのおはなし」
三歳の朝食の言葉だった。
あの朝に「おとうさまのおしごとのおはなし、きかせて」と言った言葉を、この子は七年経っても覚えていた。
私はしばらく、手紙を机の上に置いて見ていた。
◇
返事を書いた。
四度目の書きかけから数えると、これは七度目だった。今度は破らなかった。
「セレスティアへ。母は元気だ。秋になって顔色が良い。東区画の水路の改修が完了した。今年は雨が多く、小麦の収穫がよかった。エドヴァルトに来月学園に行くよう言ってある。体に気をつけろ。父より」
事務的な文章だった。感情は入っていない。仕事の話と天気の話と健康の話しか書いていない。
だが送った。
◇
その夜、手帳に書いた。
「返事を書いた。遅すぎた」
それから少し迷って、続けた。
「だが書いた。それでいい」
最初から消すつもりのない行だった。
◇
後から知ったことがある。
セレスティアはあの手紙を、ナターシャに一度見せたらしい。それからしばらく考えて、手紙を折りたたんで、しまったという。
何を考えていたのかは聞いていない。
聞けばよかったとは、今でも思う。
だが聞けなかった。聞き方が分からなかった。
それが私という父親の三十年の姿だった。




