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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
エステル——三百年前の春

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三百年後

 王宮書庫の最奥に、封印された部屋がある。


 扉に「閲覧制限」の古い封蝋がある。蝋が茶色く崩れかけている。何十年も誰も入っていない証拠だ。


 フェリクスがその部屋に入ったのは、宰相の裁判の準備を始めてから三週間が過ぎた頃だった。



 聖女エステルについての歴史的資料を探していた。


 宰相が「聖魔力脅威論」の根拠にしているのは三百年前のエステルの「反乱」だ。その「反乱」が外部からの誘発によるものだったと証明できれば、宰相の論拠は崩れる。


 図書室の通常の棚にある資料はすでに全て調べた。処刑の記録。裁判の記録。目撃者の証言記録。


 どれも、同じことしか書かれていない。


「意図的な暴走。反乱。処刑」


 それ以上のことが書かれていない。


 もっと詳しい一次資料がどこかにあるはずだ。裁判記録のさらに元になった資料が。フェリクスは目録を調べ、「閲覧制限区画」の存在を知った。



 扉は錆びていた。


 鍵を三本試して、四本目で開いた。


 中は埃っぽかった。空気が三百年分の重さを持っていた。窓はない。フェリクスはランプを持って入った。


 棚が並んでいた。木の棚。上から下まで書類と木箱が収められていた。


 全体量を見て、フェリクスは一度だけため息をついた。


 始めるしかない。


 棚を一つずつ確認した。年代順に整理されているわけではない。管理した人間の基準で並んでいる。その基準がフェリクスには分からない。


 一時間。


 二時間。


 背が痛くなった。ランプの油が半分になった。


 三時間目に入ったところで、一番奥の棚の最下段に、他と違う木箱を見つけた。


 小さい。手のひら大。蓋に書き文字がある。「個人遺物。神殿書庫より移管」


 開けた。


 中に、折りたたまれた紙が一枚入っていた。


 薄い。三百年で茶色くなっている。端が少し欠けている。


 フェリクスは手袋をしていた。慎重に広げた。



 文字が読めた。


 インクが滲んでいた。書いた人の手が震えていたのだろう。文字が小さい。でも丁寧だった。一字一字、丁寧に書かれていた。


 フェリクスは読んだ。


 最初の段落。ヘスペル村のこと。父の言葉。王命に従ったこと。


 次の段落。王都での日々。ヘレナとのこと。礼拝堂での仕事。毎日来た人たちの顔。


 それから。


「あの夜、わたしの力は止められなかった。止めようとした。叫んだ。でも止まらなかった。外から何かが来ていた感覚があった。壁から。石から。何かが共鳴していた」


 フェリクスの手が、一度、静止した。


 共鳴。


 続きを読んだ。


「証明できない。礼拝堂の壁を調べれば何か分かるかもしれないが、もう壊れている。調べる理由も、調べてくれる人も、いない。裁判で言った。信じてもらえなかった。当然かもしれない。証拠がない」


「ただ、本当のことだけを書いておきたい。誰かがいつか読んでくれるかもしれない。読んでもらえなくてもいい。ただ、残したい」



 最後の段落だった。


 フェリクスは少し間を置いてから、読んだ。


「もしいつか、三百年後に、わたしと同じ力を持つ誰かが生まれたなら——


  どうか、一人にしないでください。


  わたしは一人だった。止めようとしたが、止められなかった。叫んだが、届かなかった。


  それが一番、怖かった。


  一人では、どうにもならないことがある。


  次の人が、一人でありませんように。


  誰かと一緒に、いられますように。


                         エステル」



 フェリクスは長い間、動かなかった。


 ランプの光の中で、紙を持ったまま、棚の前に立っていた。


 眼鏡が曇っていた。


 拭いた。また曇った。


 もう一度拭いた。


 それから紙を、できる限り丁寧に折りたたんだ。懐に入れた。


 フェリクスは書庫の扉を閉めて、廊下に出た。


 公爵邸の方向に向かって、歩き始めた。


 妹に会いに行く。


 今すぐ。



 公爵邸の書斎の扉を開けた。


 セレスティアが机に向かっていた。書類。地図。山積みになっている資料。裁判の準備を毎日している。


 振り返った。


「フェリクス兄さん。どうしたの、珍しい」


 フェリクスは何も言わずに、傍の椅子に座った。


 セレスティアが少し首を傾けた。兄の様子がいつもと違う、と感じているはずだ。


 フェリクスは口を開いた。


「三百年前のエステルは、一人だった」


「……うん」


「お前は」


 セレスティアが少し間を置いた。


「一人じゃない」


 フェリクスは頷いた。


「それだけ確認したかった」


 それだけ言って、眼鏡を外して拭いた。


 セレスティアが何かに気づいたように、少し目を細めた。


 しばらく、窓の外を見ていた。


 石段のことを思っていた。


 ある日、一人の少女があそこに来た。パンを持って。隣に座っていいか、と聞いた。歪んだハート型の、焼きたてのパンを持って。


 あの時、「いいよ」と答えたのはなぜだったか。


 理由を、うまく言葉にしたことがない。ただ——いいよ、と思った。それだけだった。


 今なら分かる気がした。


 エステルが最後に書いた言葉がある。「次の人が、一人でありませんように」。


 フリーデリケは何も知らない。エステルという名前も、三百年前の春も、この手紙のことも。


 ただ石段に来て、パンを焼いて、傍に座っただけだ。


 代わりに立ち上がって、ナターシャを呼んだ。


「紅茶を三人分。フェリクス兄さんの分も」


「かしこまりました」


 ナターシャが出て行った。


 書斎に、兄と妹の二人が残った。



 窓から春の光が入っていた。


 フェリクスは懐の紙に触れた。三百年前の願いが、今ここにある。


 エステルが一人だったことは、変えられない。


 でも——次の人は、一人ではなかった。


 それだけは、確かだ。


 それで——十分だと、フェリクスは思った。


 窓の外、春の空が広がっていた。


 三百年前と同じ、青い空だった。


 あの朝、エステルが見上げた空と、同じ色だった。


 ——了——




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