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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
エステル——三百年前の春

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ヘスペル村

 記録には、こう書かれている。


 『聖魔力を持つ農民の娘エステル。衆人の前で魔力を暴走させ、王宮付属礼拝堂を半壊させた。反乱の意図は明白。即日裁判の上、翌朝処刑』


 三百年間、それが歴史だった。


 これは、そうではなかった方の話だ。



 エステルが初めて「おかしい」と思ったのは、十四歳の秋だった。


 隣の家の子供が、熱病で床に伏していた。マルクスという七歳の男の子だった。三日目だった。


 村に医者はいない。ヘスペル村は山の奥の小さな農村で、最寄りの街まで馬で二日かかる。病気になれば、薬草を煎じて飲み、神に祈り、それでも治らなければ死ぬ。それがこの村の当たり前だった。


 マルクスの母親が泣き続けていた。


 エステルは見舞いに行った。深い理由はなかった。差し入れの林檎を手に持って、当たり前のように隣の扉を叩いた。


 部屋に入ると、息が詰まりそうな熱気があった。小さな炉が赤々と燃えている。マルクスはわら布団の上で、目を閉じたまま浅い息を繰り返していた。顔が赤い。額に手を当てるまでもなく、近くに立っているだけで熱が伝わってくる。


 エステルはマルクスの傍に膝をついた。


 このまま死ぬかもしれない。七歳が死ぬかもしれない。その事実が胸にのしかかった。何もできない、という感覚が。


 だが気がつくと、手が動いていた。マルクスの額に、そっと当てていた。


 温かいものが流れた。手のひらから。外へ向かって。


 どこから来るのか分からなかった。ただ確かに、流れていた。


 五分もしなかったと思う。


 マルクスの呼吸が変わった。荒かった息が、深く、静かになった。額の熱が引いた。薄く目が開いた。


「……おなか、すいた」


 小さな声だった。熱にうかされた声ではなく、普通の七歳の子の声だった。


 母親が声を上げた。エステルの腕を掴んで泣いた。


 翌朝、マルクスは起き上がって、林檎を食べた。



「何をした」と父のハンスが聞いた。


「分からない」とエステルは答えた。


 それが本当のことだった。何をしたかは分からない。ただ、手を当てていたら、温かいものが流れた。それだけだ。


 父は長い間、黙っていた。炉の火を見ていた。


 それから「目立つな」と言った。


「どうして」


「目立つ者は潰される。お前は女だ。力を持った女は、なおさら潰される」


 父の言葉の意味を、エステルはその時まだ深く考えなかった。


 父はいつも心配性だ。そう思っていた。



 ヘスペル村は南部の盆地にある小さな農村だった。


 三十戸ほど。麦と豆と、秋には林檎。村の外れに川があって、春は雪解け水で少し増す。川魚が獲れる。子供たちはそこで遊んだ。


 神官も医師もいない。病気になれば、死ぬ。それが長い間、当たり前だった。


 エステルが変えた。


 少しずつ、変えた。


 マルクスの熱が治った話は村中に広まった。次に来たのは老人の腰痛だった。三十年来の痛みが、一度の施術で和らいだ。その次は子供の骨折。産後の出血が止まらない母親。長年の目の霞み。咳が続く初老の父親。


 全員を治せるわけではなかった。力を使いすぎると、翌日は動けなかった。骨折は完全に治すのに三回かかった。出血は止めたが、しばらく安静が必要だった。


 それでも何もできなかった村が、少しだけ死ななくなった。


「エステルねえさん」と子供たちが慕った。老人が手を合わせた。産後に助けてもらった母親は、秋に生まれた女の子に「エステル」と名付けた。


 父だけが「目立つな」と繰り返した。


「でも、目の前で苦しんでいる人を放っておけない」


「お前の気持ちより、お前の命の方が大事だ」


「放っておいたら、わたしがつらい」


 父は何も言わなかった。ため息をついた。また炉を見た。


 父の言葉は正しかった。エステルはまだ理解していなかった。



 王宮からの使者が来たのは、エステルが十六歳の冬だった。


 村に馬が二頭来ること自体、珍しかった。子供たちが走って見に行った。馬に乗った騎士は二人。腰に剣を帯びて、胸に王家の紋章が入った外套を羽織っていた。


 村長が青ざめた顔で、ハンスの家を訪ねてきた。


「使者が来た。王宮からだ。エステル嬢を——名指しで」


 文書を読んだ。父の手が少し震えているのが見えた。


「聖魔力の保有者と確認された。王都への出頭を命ずる。同封の日程に従い、王宮騎士団が迎えに来る」


 使者は要件だけ伝えて、その日は去った。


 エステルは文書を見た。難しい言葉が並んでいた。聖魔力。その言葉の意味は知っていた。数百年に一人と言われる、特別な力。治癒だけでなく、光と影を操れるという——詳しいことは誰も知らない。前例が少なすぎて。


 自分がそれだとは、考えたことがなかった。



 その夜、父はエステルに言った。


「行くか行かないかは、お前が決めろ」


「行かなかったら」


「王命だ。拒否すれば、村ごと咎められる可能性がある」


 エステルは少し考えた。長くはかからなかった。


「行く」


「なぜ」


「村を巻き込めない。それだけ」


 父が何か言いかけた。言葉が来なかった。


 代わりに、一度だけエステルの頭を撫でた。大きな手だった。農作業で固くなった、ごつごつした手だった。


 父がそういう仕草をしたのは、エステルが七歳の頃に母が死んで以来だった。


 エステルは何も言わなかった。父も何も言わなかった。


 炉の火が揺れていた。



 出発の朝は曇っていた。


 父は何も言わずに、荷物を門まで運んでくれた。


「すぐ帰るよ」とエステルは言った。


 嘘ではなかった。信じていたから。


 ヘスペル村の道を歩き出した。砂利道。踏み固められた土。十六年間歩いてきた道。


 振り返ると、村の人たちが門のところに立って見送っていた。マルクスが手を振っていた。先日腰を診た老人も、杖をついて来ていた。産後に助けた母親が赤ん坊を抱いていた。


 エステルは笑って手を振り返した。


 父の顔は見なかった。見たら、泣いてしまいそうな気がした。


 少し歩いて、一度だけ振り返った。


 門の外に、父が立っていた。村人の中で一人だけ、何の表情も作らずに立っていた。


 目が合った。


 父は小さく頷いた。それだけだった。


 エステルは前を向いて、歩き続けた。


 それが最後だった。




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