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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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最初の砦

 その日は、静かに訪れた。


 ディートリヒの幽閉から二週間。春が深まり、公爵領の木々は若葉に包まれていた。


 セレスティアは四歳の誕生日を迎えた。


 ◇


 誕生日の朝、セレスティアは自室のベッドで目を覚ました。


 悪夢を見ていなかった。


 それだけで驚くべきことだった。転生してから、悪夢を見なかった夜は数えるほどしかない。断頭台。処刑の朝。冷たい刃。群衆の罵声。それらが毎晩のように襲ってきた。


 だが昨夜は違った。夢を見た記憶すらない。深く、穏やかな眠り。


 窓から朝の光が差し込んでいた。カーテンの隙間から漏れる金色の線が、床に長い影を作っている。


 四歳。


 前世では、四歳の誕生日のことを覚えていない。母は既に衰弱しており、祝いの席は簡素だった。父は不在。兄たちも騎士修行と学問で忙しく、誰もいない部屋でマルガレーテだけが「おめでとうございます」と言ってくれた。


 今世は違うだろうか。


 扉がノックされた。


 「お嬢様、おはようございます。お誕生日おめでとうございます」


 ナターシャの声。明るく、弾んでいる。扉を開けると、ナターシャが花束を持って立っていた。庭から摘んできた春の花。チューリップとパンジーと、あの白紫の花――リリアと名付けた聖魔力の花。


 「ナターシャ、ありがとう」


 「マルガレーテさんが、朝食は奥方様のお部屋で一緒にって。皆さんお待ちです」


 皆さん。


 セレスティアの心臓が小さく跳ねた。


 ◇


 母の部屋に行くと、驚いた。


 リリアーナが立っていた。


 立って、セレスティアを迎えてくれた。


 以前は部屋に入ると母はベッドにいることが多かった。回復してからは椅子に座っていることが増えた。だが今日は立っている。ドレスを着て、髪を整え、まるで社交の場に出るかのような装いで。


 「お誕生日おめでとう、セレスティア」


 母の声が澄んでいた。力強く、美しい声。「黄金の百合」と謳われた女性の、本来の姿がそこにあった。


 フェリクスが椅子に座っていた。眼鏡を拭きながら、妹を見て微笑んでいる。


 「誕生日おめでとう、セレス」


 マルガレーテがテーブルに朝食を並べていた。普段より品数が多い。焼きたてのパン、蜂蜜、果物の盛り合わせ、温かいスープ。小さなケーキまである。


 「マルガレーテ、これ全部つくったの?」


 「台所の者と一緒に。奥方様のお指図で」


 リリアーナが悪戯っぽく笑った。「内緒にしていたのよ」


 セレスティアの目が潤んだ。


 こんな誕生日は初めてだ。前世でも今世でも。母がケーキを用意し、兄が祝ってくれ、侍女たちが花を持ってきてくれる。


 「おかあさま、ありがとう……」


 声が震えた。四歳になったばかりの少女の声が。


 「泣かないの。お誕生日でしょう? 笑って」


 リリアーナがセレスティアの涙を指で拭った。温かい指。


 「うん。わらう」


 泣き笑いの顔。前世の記憶を持つ大人の魂と、四歳の子供の感情が混ざり合って、制御できない涙が溢れる。


 だがそれは幸福の涙だった。


 ◇


 朝食の途中で、扉がノックされた。


 マルガレーテが応対し、驚いた顔で振り返った。


 「閣下がお見えです」


 部屋の空気が変わった。


 公爵ライナルト・フォン・アルヴェインが、妻の私室を訪れることは稀だった。政務に忙殺される男にとって、妻の部屋は「行くべき場所」ではなく「行ければ行く場所」であり、実際にはほとんど足を運ばなかった。


 扉が開いた。


 銀髪の長身。碧い目。冷厳な面持ち。


 だが今日は違った。左手に小さな包みを持っていた。


 「邪魔をする」


 公爵の声は相変わらず淡白だったが、部屋に入る足取りには、かすかな躊躇いがあった。家族の団欒に慣れていない男の、不器用な歩み。


 「あなた……」


 リリアーナが目を見開いた。夫が娘の誕生日に来てくれるとは思っていなかったのだろう。


 「セレスティア」


 公爵は娘の前に立ち、包みを差し出した。


 「誕生日だそうだな」


 「だそうだな」ではなく「おめでとう」と言えないのが、この男の不器用さだ。だがセレスティアには分かった。この人なりの精一杯なのだと。


 包みを開いた。中にあったのは、小さなブローチだった。


 銀の台座に、碧い石が嵌められている。アルヴェイン家の紋章――鷲のデザイン。だが通常の家紋ブローチとは異なり、鷲の胸元に小さな白い石が添えられていた。


 「公爵家の紋章入りのブローチだ。白い石は聖石。魔力を安定させる効果がある」


 フェリクスに頼んで作らせたのだろう。魔力制御の助けになる装身具。公爵なりの、娘への贈り物。


 「おとうさま、ありがとう……!」


 セレスティアは包みを胸に抱いた。小さなブローチが、胸の前で冷たく光っている。だがすぐに体温で温まった。


 公爵は小さく頷いた。それだけだった。言葉は少ない。だが包みを選び、聖石を探し、フェリクスに加工を頼み、朝のうちに妻の部屋を訪ね――その全てが、この不器用な男の愛情だった。


 リリアーナが涙を流していた。声は出さない。静かに、幸せそうに泣いていた。


 「あなた、ありがとう」


 公爵は妻を見た。一瞬だけ、鉄の表情が緩んだ。


 「礼を言うのはこちらだ。元気になったな、リリアーナ」


 「ええ。おかげさまで」


 二人の間に流れた視線を、セレスティアは見ていた。


 前世では見たことのない光景。父と母が、穏やかな目で見つめ合っている。敵意もない。冷淡さもない。ただ静かな温もりがある。


 これが本来の二人の姿だったのかもしれない。毒と陰謀に蝕まれる前の、本来の家族の姿。


 ◇


 朝食後、セレスティアは一人で庭に出た。


 花壇の傍に座る。リリアの花が数輪、春風に揺れている。聖魔力で生まれた花は、この一月で小さな群落を作っていた。白と紫の花弁が朝日を受けて輝いている。


 セレスティアは胸のブローチに触れた。銀の鷲。碧い石。白い聖石。


 アルヴェイン家の一員であることの証。


 四歳になった。


 前世から数えれば、二度目の四歳だ。


 母は生きている。毒は止まり、リリアーナは本来の健康を取り戻しつつある。


 父は背後に立っている。冷徹な公爵は、娘の異常さを受け入れ、共に戦うことを選んだ。


 兄は盾になった。フェリクスは聖魔力の秘密を守り、制御の訓練を続けてくれている。


 忠臣たちは壁になった。ヘルマンは鉄の意志で公爵家を守り、マルガレーテは母と娘を支え、ナターシャは小さな目と耳になってくれた。


 公爵家は、もう崩れない。ディートリヒは幽閉され、公爵家から宰相への情報流出は止まった。


 公爵家は、もう内側から崩れない。


 だがセレスティアは知っている。これは始まりに過ぎないと。


 宰相ガルニエはまだ動いていない。ディートリヒの沈黙を察知し、次の手を準備しているはずだ。


 聖魔力の制御はまだ不十分だ。呼吸法で安定させることはできるが、恐怖や怒りが引き金になれば暴走する。


 王都には、まだ知らない敵がいる。宰相派の貴族たち。王家の思惑。教会の動き。


 そして――前世の記憶が示す、最大の敵。


 カタリナ・フォン・グランツ。


 前世で「聖女」と呼ばれた少女。セレスティアを断頭台に送った女。


 あの少女はまだ幼い。今は三歳か四歳のはずだ。だが数年後、王立学園で出会うことになる。


 その時までに、備えなければならない。


 力を。知恵を。味方を。


 セレスティアは立ち上がった。


 花壇のリリアが風に揺れている。白と紫の花弁が、朝の光の中で輝いている。


 この花を植えたのは自分だ。聖魔力で芽吹かせ、名前をつけ、育てた花。


 前世にはなかった花。今世で初めて咲いた花。


 運命を書き換えた証。


 セレスティアは空を見上げた。


 高く、青い空。公爵領の空は広い。地平線まで遮るものがない。


 だが視線の先、東の方角に、王都がある。


 いつかあの場所に行く。公爵家の一員として。聖魔力を持つ少女として。


 前世では断頭台が待っていた場所に。


 だが今世では違う結末を書く。


 「わたしは、かわる。せかいを、かえる」


 四歳の声で、誰にも聞こえないように呟いた。


 風が花壇を渡り、リリアの花弁が舞い上がった。白と紫の花弁が、青い空に吸い込まれていく。


 ◇


 夕方。


 セレスティアはフェリクスの「研究室」で、魔力制御の訓練をしていた。


 水晶板に手を乗せる。白い光と黒い影が、穏やかに明滅する。以前よりずっと安定している。


 「いいぞ。魔力の波動が一定だ。呼吸法の効果が出ている」


 「おにいさま、わたし、もっとつよくなれる?」


 「強く、というのは魔力の量のことか? それとも制御の精度か?」


 「りょうほう」


 フェリクスは眼鏡の奥で目を細めた。


 「量は……正直に言えば、既に常識外れだ。これ以上増えたら僕の測定器具が壊れる。だから課題は制御だ。制御さえできれば、お前の力は――」


 言葉を切った。何かを言いかけて、飲み込んだ。


 「なに?」


 「……いや。まだ早い。今は基礎を固めろ。走る前に歩け」


 フェリクスはそう言って話を変えた。だがセレスティアには、兄が飲み込んだ言葉が分かった。


 「お前の力は、国を変えられる」


 フェリクスはそう言おうとしたのだ。学者として、聖魔力の可能性を理解している。五百年に一人の力。歴史を動かす力。


 だが十三歳の兄は、四歳の妹にその重荷を背負わせることを躊躇った。


 優しい兄だ。


 「おにいさま」


 「何だ」


 「ありがとう。いつも」


 フェリクスの顔が赤くなった。感情表現が苦手な兄は、褒められると照れる。


 「……礼を言われることは何もしていない。学者として興味深い対象を観察しているだけだ」


 「うそつき」


 「嘘じゃない」


 「おにいさま、みみがあかい」


 フェリクスは慌てて耳を押さえた。セレスティアは笑った。


 穏やかな時間。平和な時間。


 だが永遠には続かない。


 窓の外で日が傾いている。夕焼けが空を茜色に染めている。


 セレスティアは窓の外を見つめた。


 東の空には、もう星が瞬き始めている。王都の方角に。


 次の戦いは王都で起きる。五歳か六歳の頃。父に連れられて初めて王都を訪れ、宰相と対面することになる。


 それまでに力を蓄えなければ。


 三歳で始めた戦いの、最初の区切りが来た。


 だが、まだ始まったばかりだ。


 セレスティアは水晶板から手を離し、小さな拳を握った。


 胸のブローチが夕日を反射して煌めいた。銀の鷲。碧い石。白い聖石。


 アルヴェインの名にかけて。


 この世界を――私を殺した世界を――書き換える。




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