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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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母の目覚め

 ディートリヒの幽閉から一週間。


 リリアーナの回復は、目に見えて進んでいた。


 毒が完全に断たれ、フェリクスとローレンツ医師による適切な治療が施された結果、母の顔色は日に日に良くなっていった。青白かった頬に薔薇色が戻り、窪んでいた目に光が宿り、細くなっていた首筋に血の気が通い始めた。


 それは静かな奇跡だった。


 三年間――セレスティアが生まれてからずっと――母は毒に蝕まれていた。「体の弱い方だから」と周囲は言い、リリアーナ自身もそう信じていた。だが本当は違った。健康な身体を、毎日少しずつ、毒が侵していたのだ。


 その毒が消えた今、母の身体は本来の生命力を取り戻しつつあった。


 「おかあさま、きょう、おにわにでない?」


 朝食の後、セレスティアは母の部屋を訪ねた。リリアーナはベッドではなく窓辺の椅子に座り、刺繍をしていた。それだけで嬉しかった。数週間前まで、母はベッドから起き上がることすら辛そうだったのだから。


 「お庭に? いいわね。今日はとても天気がいいもの」


 リリアーナは微笑んだ。その笑顔が明るい。以前の笑顔は美しかったが、どこか儚かった。今の笑顔には生命力がある。強さがある。


 「マルガレーテ、お散歩の用意をして」


 「はい、奥方様」


 マルガレーテの目が潤んでいた。主人が自らお散歩を望む。それがどれほどの変化か、この侍女は誰よりも知っている。


 ◇


 庭に出たリリアーナは、まるで初めて世界を見るように周囲を見回した。


 「まあ、チューリップがこんなに咲いているのね。知らなかったわ」


 知らなかったのではない。見る気力がなかったのだ。毒に蝕まれた身体は、世界の色を奪う。花が咲いていても目に入らない。鳥が鳴いていても耳に届かない。


 だが今は違う。


 リリアーナの金髪が春風に揺れていた。淡い紫のドレスが陽光に映える。かつて王都の社交界で「黄金の百合」と謳われた美貌が、毒の幕の向こうから蘇りつつあった。


 セレスティアは母の手を握って歩いた。温かい手。前は冷たかった。いつ触っても氷のように冷たかった。今は温かい。人間の体温がある。


 「セレスティア、あなた最近、お兄様と何かお勉強しているんですって?」


 「うん。フェリクスおにいさまに、こきゅうほうをおしえてもらってるの」


 「呼吸法?」


 「ふかくいきをすうの。こころがおちつくの」


 嘘ではない。呼吸法は魔力制御の基礎であると同時に、心の安定法でもある。三歳の子供が呼吸法を学んでいるのはやや奇妙だが、リリアーナは深く追及しなかった。


 「まあ、フェリクスらしいわ。あの子は何でも理論から入るのよね」


 母が兄を語る声に、温かみがあった。リリアーナはフェリクスのことを誇りに思っている。聡明な息子。学者肌の少年。だが同時に心配もしている。人付き合いが苦手で、書庫に閉じこもりがちな息子。


 「エドヴァルトは元気かしら。手紙が来ないわ」


 「おにいさまはきっといそがしいの。きしのおべんきょうで」


 「そうね。あの子は手紙を書くのが嫌いだもの。剣の稽古ばかりして」


 リリアーナは笑った。穏やかな笑い。


 この会話。何気ない母と娘の会話。前世では、こんな時間はほとんどなかった。母はいつも体調が悪く、ベッドに横たわっていることが多かった。庭を散歩する体力がなかった。花を見て笑う余裕がなかった。


 今世では違う。毒を止めた。母は回復した。そして今、こうして一緒に庭を歩いている。


 セレスティアの胸が温かくなった。


 これだけでも、やり直した意味がある。


 ◇


 花壇の傍で、リリアーナが足を止めた。


 「あら、この花は?」


 指差した先に、小さな花が咲いていた。白い花弁に、薄い紫の筋が入っている。周囲の花とは明らかに種類が違う。


 セレスティアは知っていた。あの花だ。聖魔力で芽吹かせた花。あの日、花壇に手をかざした時に生まれた小さな芽が、一週間で花を咲かせていた。


 通常の成長速度ではありえない。聖魔力の残滓が土に染み込み、植物の成長を促進したのだろう。


 「きれいだね、おかあさま」


 「ええ、とても。見たことのない花だわ。何という名前かしら」


 名前はない。この世界に存在しない花だ。聖魔力が生み出した、新しい命。


 「なまえ、つけていい?」


 「もちろん。セレスティアが見つけたんだもの」


 セレスティアは目を伏せた。


 白と紫の花。光と闇の共存を思わせる色合い。


 「……リリア」


 「リリア?」


 「おかあさまのなまえからとったの。リリアーナだから、リリア」


(リリア。——いつかまた、誰かにこの名前を渡せたら)


 リリアーナの目が大きく見開かれた。


 そして――涙を流した。


 「おかあさま、ないてる! どうしたの!」


 「ごめんなさい、嬉しくて」


 リリアーナはセレスティアを抱き上げた。痩せた腕だが、以前より力がある。しっかりと娘を抱いている。


 「セレスティア、お母様ね、最近とても幸せなの」


 「しあわせ?」


 「ええ。体調が良くなって、お庭に出られて、あなたとこうしてお散歩ができて。当たり前のことなのに、すごく嬉しいの」


 リリアーナは遠くの空を見つめた。


 「ずっと霧の中にいたみたい。——やっと、晴れたの」


 当たり前のこと。


 健康であること。庭を歩けること。娘と手を繋げること。


 毒に蝕まれた三年間、それは当たり前ではなかった。奪われていたのだ。ディートリヒと宰相に。


 だがリリアーナはそのことを知らない。毒のことも、ディートリヒのことも。公爵はリリアーナには伝えないと決めた。知れば心が壊れる。信じていた家宰が自分を毒殺しようとしていたなどと。


 だからリリアーナは、自分の回復を「体調が良くなった」とだけ認識している。薬が変わったから。季節が暖かくなったから。


 それでいい。母には笑っていてほしい。真実は、守る側が背負えばいい。


 「おかあさま、ずっとげんきでいてね」


 「もちろんよ。セレスティアが大きくなるまで、ずっと一緒にいるわ」


 前世では果たされなかった約束。七歳の秋に、母はその約束を残したまま逝った。


 今世では違う。この約束を守らせる。母を生かす。何があっても。


 ◇


 庭から戻る途中、ヘルマンとすれ違った。


 老騎士は奥方様に深く一礼した。リリアーナは穏やかに挨拶を返した。


 「ヘルマン殿、いつもご苦労様です」


 「もったいないお言葉です、奥方様。お加減がよろしいようで何よりです」


 ヘルマンの鉄面皮の奥に、安堵の色がちらりと見えた。この男もまた、リリアーナの回復を喜んでいるのだ。


 リリアーナが先に屋内に入った後、ヘルマンがセレスティアに小声で話しかけた。


 「お嬢様、一つご報告を」


 「なに?」


 「王都のラインハルト殿から連絡がありました。宰相府の動きに変化があったとのことです」


 セレスティアの背筋が伸びた。


 「ディートリヒ殿からの定期連絡が途絶えたことを、宰相府が察知した可能性があります。ラインハルト殿によれば、宰相府の文官が辺境地方の情報を集め始めているとのこと」


 予想通りだ。ディートリヒの沈黙を、宰相は気づく。そして次の手を打つ。


 「どんなてを、うってくるとおもう?」


 ヘルマンは一瞬、三歳の少女に戦略を問われていることに違和感を覚えたが、すぐに表情を引き締めた。


 「三つの可能性があります。一つ、新たな間者を送り込む。二つ、外部から公爵家を政治的に攻撃する。三つ、より直接的な手段に出る」


 「さんは?」


 「暗殺です」


 静かな言葉だった。だがセレスティアの胸に冷たい刃が突き刺さるような感覚があった。


 暗殺。前世でも宰相は暗殺を使った。母を毒で殺し、父を政治的に追い詰め、最終的にはセレスティア自身を断頭台に送った。


 だが今世では構図が違う。母は生きている。父は味方だ。ディートリヒは排除した。


 宰相にとって、公爵家は「予想外に強い」存在になっている。予想外の事態に対して、権力者はどう動くか。


 力で押し潰すか。策で絡め取るか。


 「ヘルマンおじさま」


 「はい」


 「おとうさまにつたえて。さいしょうさまはたぶん、さいしょはさくでくる。ちょくせつてきなてはさいごのしゅだん。まずはこうしゃくけのひょうばんをおとそうとする」


 ヘルマンの目が鋭くなった。


 「評判を落とす……噂を流すということですか」


 「うん。おとうさまのわるいうわさ。おかあさまのわるいうわさ。あるいは、わたしのうわさ」


 聖魔力のこと。「公爵家の令嬢は異常な力を持つ危険な存在だ」と宣伝されれば、公爵家は社会的に孤立する。


 「閣下に直ちにお伝えします」


 ヘルマンは深く一礼して去った。


 セレスティアは廊下に立ったまま、窓の外を見た。


 春の空は高く、雲一つない。だが遠い地平線の彼方、王都の方角に、薄い霞がかかっている。


 嵐はまだ来ていない。だが空気の匂いが変わり始めている。


 ◇


 夜。セレスティアは母の部屋にいた。


 リリアーナはベッドの中で、セレスティアに本を読んでいた。昔話の本。勇者が魔王を倒す話。


 「それで勇者は、仲間たちと力を合わせて魔王の城に乗り込みました」


 「ゆうしゃは、ひとりでたたかわなかったの?」


 「ええ。一人では無理だったの。でも仲間がいたから勝てたのよ」


 仲間。


 今世は違う。


 父。兄。ヘルマン。マルガレーテ。ナターシャ。そして母。


 仲間がいる。


 「おかあさま、わたしもゆうしゃになれる?」


 「もちろんよ。セレスティアは、お母様の小さな勇者よ」


 リリアーナは娘の額にキスをした。温かい唇。生きている人間の温もり。


 セレスティアは母の腕の中で目を閉じた。


 前世の七歳の秋を思い出す。冷たくなった母の手。泣いても泣いても戻らなかった温もり。


 今、この温もりがある。


 守りきったのだ。少なくとも、最初の危機は乗り越えた。


 だが戦いはこれからだ。


 セレスティアは母の腕の中で、静かに決意を新たにした。


 この温もりを、二度と失わない。


 何年かかっても。何が起きても。


 この小さな手で、運命を書き換え続ける。


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