処刑台のない広場
少し時間は戻る。
春。
セレスティアは王都の中央広場を訪れた。
一人ではない。アレクシスと。
そしてヴォルフが。少し離れた場所に。
◇
広場は変わっていた。
処刑台はもうない。
死刑制度が廃止された後、秋のうちに解体された。数百年間、この広場の中央にあった木造の台。
あの台の上で、前世のセレスティアは死んだ。
あの台の上で、何百人もの人間が命を絶たれた。
その台がなくなった。
撤去の日、セレスティアは来なかった。来られなかった。知らせを聞いて、一時間、部屋を出られなかった。体が動かなかったのではない。心が、動く準備をしていなかった。
代わりに噴水が建設されていた。
まだ完成していない。石組みが途中で、職人たちが働いている。水路が掘られている。石灰と砂の匂い。
だが中央の設計図は、もう決まっていた。
噴水の周りに花壇を作る。
ラベンダーの花壇。
フリーデリケの提案だった。
◇
「ここに処刑台があった」
セレスティアは呟いた。
アレクシスが隣で頷いた。
「ああ。あった」
「あなたは知っている? 前世のこと」
「知っている。お前が、ここで」
言葉が途切れた。
アレクシスの目が揺れた。
「言わなくていい。知っている」
セレスティアはアレクシスの手を取った。
「ここでわたしは死んだ。前の人生で」
「……」
「ここでわたしは王妃になった。今の人生で」
「……ああ」
「そしてここで噴水ができる。子供たちが遊ぶ場所になる」
広場を見渡した。
工事の音。職人の声。材木を運ぶ馬車の音。
◇
噴水の設計図を見に行った。
現場監督が説明してくれた。
「陛下。噴水は三段構造です。中央から水が湧き出し、三つの水盤を伝って落ちます。水音が広場全体に響く設計です」
「花壇は?」
「噴水の周囲に環状に。ラベンダーを中心に、季節の花を植えます。春はラベンダーと白い花。夏はラベンダーと向日葵。秋はラベンダーと」
「ラベンダーはずっとあるのね」
「はい。提案者のフリーデリケ殿が、四季咲きの品種を開発中とのことで。一年中咲くラベンダーを」
セレスティアは設計図を見つめた。
噴水の中央に小さな銘板を入れる予定がある。
銘板の文字はまだ決まっていない。
「銘板の文字、わたしが決めていいですか」
「もちろんです、陛下」
◇
広場のベンチに座った。
アレクシスと並んで。
工事の音を聞きながら。
「ねえ、アレクシス」
「何だ」
「銘板に何と書くべきだと思う?」
アレクシスはしばらく考えた。
「……お前が決めろ。お前の場所だ」
「わたしの場所」
「処刑台が立っていた場所。お前が死んだ場所。そしてお前が生まれ変わった場所。お前が、決めるべきだ」
セレスティアは目を閉じた。
前世の記憶。この広場の記憶。
青い空。群衆の罵声。断頭台の上の冷たい風。
斧の光。
そして、闇。
目を開けた。
今世の広場。噴水の工事。職人の声。子供たちが遠くで走っている。
「決まった」
「何と書く」
セレスティアは微笑んだ。
「『この広場で かつて命が奪われた。この噴水で 今 命が潤される。水は流れ 花は咲き 子供は笑う。それが この国の答え』」
アレクシスはセレスティアを見た。
「いい銘文だ」
「長い?」
「長くない。ちょうどいい」
◇
広場を歩いた。
工事中の噴水の周りを。
午後の光が広場に差し込んでいた。暖かい春の日差し。この広場にこんなに穏やかな時間があることが、不思議な気がした。
子供たちが走り回っていた。工事の柵の周りで。職人を眺めて。
「いつできるの?」
子供の一人がセレスティアに聞いた。
「もうすぐだよ。夏には完成するって」
「水、出る?」
「出るよ。大きな噴水。水が三段に落ちるの」
「すごい!」
子供が走っていった。友達に知らせに。
「噴水できるって! 水が出るって!」
歓声。子供たちの歓声。
この広場に歓声が戻ってきた。
◇
噴水の石組みが目の前にあった。
工事の途中だった。水路はまだ繋がっていない。石灰と砂の匂い。職人たちが少し離れた場所で材料を運んでいる。
セレスティアは石組みに近づいた。
手を伸ばした。
指先が石に触れた。
光が走った。石の内側を。水路の奥を。細い光が。
職人の一人が振り返った。
次の瞬間、水が溢れた。未完成の噴水から。石の隙間から。銀色の細い流れ。最初の水。
「水が出た!」
子供の声が上がった。歓声。また歓声。
職人たちが呆然としていた。
セレスティアはそっと手を離した。
水は止まった。水路がまだ繋がっていない。ただ、石が濡れていた。
◇
アレクシスがセレスティアの手を握った。
「泣くな」
「泣いてない」
「泣いてるだろ。目が赤い」
「嬉しくて」
「知ってる。嬉しい時に泣く女だ。お前は」
セレスティアは泣きながら笑った。
「ここに噴水ができるんだね」
「ああ」
「処刑台の代わりに噴水が」
「ああ」
「子供たちが走り回るんだね」
「走り回る。毎日。うるさいくらい」
「うるさくていい。ずっとそうであってほしい」
「ラベンダーが咲くんだね」
「咲く。一年中」
セレスティアはアレクシスの手を強く握った。
「ありがとう」
「何に対して」
「この世界を一緒に作ってくれて」
「お前が作った。俺は隣にいただけだ」
「隣にいてくれることが、大事だったんだよ」
アレクシスは何も言わなかった。
ただ、手を、握り返した。強く。ヴォルフが少し離れた場所で、視線を外していた。
◇
帰り道。
広場を出て。王宮への道。
振り返った。
工事中の広場。噴水の骨組み。職人たちの声。子供たちの笑い声。
処刑台のない広場。
セレスティアは前を向いた。
春の風が吹いていた。この広場の花壇には、まだラベンダーはない。
でも、もうすぐ。
もうすぐこの広場に、ラベンダーが咲く。
フリーデリケのラベンダーが。
断頭台があった場所に。
歩いた。アレクシスと並んで。王宮への道を。




