表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
断頭台の朝

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

293/352

叔母として、パンを持って

 パンを買った。


 王宮の調理場ではなく、王都の市場で。ヴォルフに護衛されながら、市場の石畳を歩いて、パン屋の前に立った。


 「あの、一番大きいもの」


 「まいど。王妃様が直接いらっしゃるとは」


 パン屋の主人がぽかんとした顔をした。


 「一歳の子供に、どれが向きますか」


 「まだ歯が揃ってないなら、柔らかいミルクパンをどうぞ。こちらです」


 ミルクパンをふたつ。蜂蜜入りのロールをひとつ。それから、家族三人分の夕食用になりそうな大きなパンを。


 「ありがとうございます」


 「こちらこそ。お子さんによろしく」


 王妃が甥のためにパンを買いに来たとは、誰も思わないだろう。


 ◇


 王都別邸の門が見えた。


 門番が馬車を認めて急いで門を開けた。


 玄関先にエドヴァルトが出てきた。


 鎧ではなかった。厚い外套。目が細くなっている。笑っているのか、眩しいのか。たぶん両方。


 「来たか」


 「来た。パンも持ってきた」


 「見える。随分と多いな」


 「一歳の子の好みが分からなかったから、いろいろ」


 「ミルクパンを好む。あと蜂蜜入り。果物も好きだが、今は歯が生えかけだ」


 「そんなに詳しいの」


 「父親だ。当然だ」


 ◇


 屋敷の中は温かかった。


 暖炉の前で、エドヴァルトの妻が立っていた。


 ベアトリクス。黒髪の、穏やかな人。エドヴァルトとは四年前に婚礼を挙げた。辺境伯の姪で、弓術に秀で、ものごとを静かに見る目をしている。兄に似た目だとセレスティアは思う。


 「王妃様、ようこそ。お運びくださりありがとうございます」


 「こちらこそ。急に押しかけてすみません。レオンハルトは?」


 「今、目が覚めたところです」


 奥の扉が開いた。


 エドヴァルトが大きな手で、小さな子供を抱えて出てきた。


 ◇


 レオンハルトは一歳だった。


 丸い顔。母親譲りの黒い髪。エドヴァルトにそっくりの眉。だが目は違う。母親のベアトリクスに似て、穏やかな色。


 セレスティアを見て、目を丸くした。


 「レオンハルト」


 エドヴァルトが我が子に言い聞かせた。


 「叔母上だ。あちらのお方がセレスティア叔母上だ。叔母上は、お前のために三歳から頑張った人だ」


 レオンハルトはセレスティアをじっと見た。


 それから、小さな手を伸ばした。


 「あ」


 声が出た。


 手が伸びてくる。


 セレスティアは歩み寄って、その手を握った。


 柔らかかった。信じられないほど柔らかかった。


 「初めまして、レオンハルト。叔母上です」


 レオンハルトが手を引っ張った。笑顔になった。


 小さな歯が二本見えた。


 ◇


 しばらく三人で座った。


 暖炉の前で。


 レオンハルトはミルクパンを手に持って、ふにゃふにゃとかじっていた。うまく食べられない。それでも離さない。しっかりとした手で。


 「父上に似てる」


 セレスティアが言った。


 「どこが」


 「手。しっかり掴む」


 エドヴァルトが眉を上げた。


 「そうか」


 「お兄様も、昔、そうだった。わたしの手を引く時も、肩に手を乗せる時も、しっかりとしていた」


 「記憶力がいいな」


 「大事なことは覚えています」


 ◇


 ベアトリクスが台所に行った。お茶の準備。


 二人になった。


 「セレス」


 「何」


 「来てくれてよかった」


 「手紙を半年読み返した。来ないわけにいかない」


 エドヴァルトが少し目を細めた。


 「何を読み返した」


 「よくやった、って部分を」


 「……」


 「五文字しかないのに、重くて。ずっと頭の中に残った」


 エドヴァルトは暖炉を見た。


 レオンハルトがパンを持ちながら、父親の膝に頭を乗せようとしている。エドヴァルトが無言でそれを受け止めた。当たり前のように。


 「報告書はすべて読んだ」


 「何の?」


 「三歳から今まで。お前が何をやってきたか。父上の書庫に全部ある。お前の判断。行動。書簡。十五年分」


 「お兄様」


 「読んだ。全部」


 エドヴァルトの声が低くなった。


 「三歳で始めた時のお前は怖かっただろう」


 「……怖かった。すごく」


 「一人で始めて。正解が分からないまま。失敗したら全部終わりで」


 「はい」


 「それでも止まらなかった」


 「止まれなかった、の方が正確です。誰かが困っているのに、前世の知識があるのに、止まることができなかった」


 ◇


 レオンハルトが眠くなってきた。


 目をこすっている。


 エドヴァルトが子供の体を抱え直した。自然な動作。慣れた動作。


 「俺が南方に行っている間」


 「はい」


 「お前のことが、心配だった」


 「知っています。コンラートが言っていました。エドヴァルト殿がよく名前を出していたって」


 「あの男は余計なことを言う」


 「必要なことを言ったのだと思います」


 エドヴァルトが息を吐いた。


 「死にかけた。三回」


 「報告書で読みました」


 「読んだのか」


 「全部。南方の戦況も。ブラウンヴァルトも。全部」


 「心配したか」


 「しました。とても」


 「なら顔に出せ。お前はいつも顔に出さないから、こっちが分からない」


 「お兄様も出さないでしょう」


 「俺は男だ」


 「関係ないと思います」


 沈黙。


 そして、どちらからともなく、口元が緩んだ。


 ◇


 レオンハルトが眠った。


 エドヴァルトの腕の中で。


 穏やかな寝顔。ミルクパンを手に持ったまま。


 「お兄様に聞いていいですか」


 「何だ」


 「幸せですか」


 エドヴァルトが少し考えた。


 「穏やかだ」


 「穏やかな」


 「幸せというには、こう、大げさな気がする。でも穏やかだ。朝、目が覚めて。ベアトリクスがいて。この子が笑って。それだけで十分だと思う」


 「それが幸せではないですか」


 「そうかもしれない。言葉は苦手だ」


 「わたしも苦手です。書くのは得意だけれど、話すのは」


 「似ているな、俺たち」


 「そうかな」


 「無口なところが」


 「お兄様は無口。わたしはよく喋ります」


 「喋り方が似ている、ということだ。大事なことだけ、ちゃんと言う」


 ◇


 帰る時間になった。


 玄関で、エドヴァルトがレオンハルトを抱えて見送った。


 ベアトリクスが隣に立っている。


 「またいらしてください。レオンハルトは覚えていないかもしれませんが」


 「覚えなくていいです。また来るから」


 「来い。いつでも」


 エドヴァルトが言った。


 「叔母上には、追いかけてでも来る理由がある。そうだろう、レオンハルト」


 レオンハルトが目を開いた。眠い目で。


 セレスティアを見た。


 また小さな手を伸ばした。


 「あ」


 セレスティアは歩み寄って、その手を握った。


 「またね。レオンハルト。叔母上は帰ります」


 「あ、あ」


 「また来るね。蜂蜜入りのパンを持って」


 ◇


 馬車に乗った。


 動き始めた馬車の窓から振り返った。


 エドヴァルトが門の前に立っていた。レオンハルトを抱えたまま。ベアトリクスが隣で小さく手を振っている。


 エドヴァルトは動かなかった。


 ただ立っていた。


 馬車が曲がり角に差し掛かった。


 見えなくなる直前。


 おにいさまが、片手を上げた。


 小さく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ