表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第11章 十八歳の朝と新しい世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

292/376

仲間たちの未来

 王妃として戴冠してから三ヶ月。初夏を迎え、王宮の執務室で、セレスティアは報告書を読んでいた。


 窓の外で若葉が風に揺れている。机には、ナターシャが各地から集めた定例報告が積まれていた。


 ヴィオレッタの領地からは、農地再分配に反対する旧臣の抗議が三十七通。報告書の余白には彼女の筆で、「測量は予定通り月曜から」とだけあった。


 十日後に故国へ帰るリディアは、外交日程の末尾へ「出発前に石段でパンを。これは命令ではなく希望です」と書き足している。


 コンラートの巡回訓練表には泥の指跡がつき、アネリーゼが公開した神殿会計簿には、返還された寄付金の額が一桁ずつ並んでいた。


 イザベラは三年がかりの省庁再編を終えた。完了報告の裏には、「次は、自分のために選ぶ練習をする」と本人の字で記されている。


 引退したはずのマルガレーテからは、レオンハルトの靴を一月で二度作り直したという苦情が届いた。結びには、次の寸法を測る日まで書いてあった。


 誰も同じ場所には留まっていない。それぞれの持ち場で、次に直すべきものを見つけている。


 その束の中に、友人たちの近況とは違う一冊の綴りが挟まっていた。


 『王都魔術学校・実習班編成に関する生徒申立て及び試行報告』


 最初に署名したのは、入学式で会ったそばかすの少女だった。名はハンナ。村に治癒師がいなかったため、自分が治癒師になるのだと話していた少女だ。


 綴りには本人の申立書だけでなく、同級生と担当教師の陳述、三週間の試行記録まで収められていた。


 ◇


 魔力制御の実習が終わると、生徒たちは淡い光を失った水晶を台へ戻し、次々に演習場を出ていった。


 ハンナの手にあるのは、水晶ではなく記録用の帳面だった。三度目だった。ほかの生徒が光を保った秒数も、失敗した回数も、もう誰より正確に書ける。


 最後の一組が出ていっても、ハンナは席を立たなかった。帳面の下から、何度も開いた跡のある校則を取り出す。


 「先生。これ、間違いですか」


 帰り支度をしていた教師が振り返った。


 ハンナが指したのは、『身分にかかわらず、同じ課程の授業を受ける権利を有する』という一行だった。


 「間違いではない。記録も授業の一部だ」


 「では、次は水晶に触れますか」


 「組む相手が決まればな」


 「先生が決めてください」


 教師の手が、鞄の留め金にかかったまま止まった。


 三十二人を一人で見る授業だった。補助教員はいない。割れた水晶を買い替える予算も足りない。慣れた者同士に組ませれば事故は減り、教師の査定も下がらずに済む。


 「魔力を預け合う実習だ。信頼できない相手と組ませるわけにはいかない」


 「なら、いつ信頼してもらえますか」


 答えは返ってこなかった。


 「王妃陛下に手紙でも書くのか」


 廊下から声がした。貴族の少年が一人、扉にもたれている。最初の実習で「あの子が水晶を割ったら、誰が弁償する」と言った少年だった。


 ハンナは校則を閉じなかった。


 「書きません」


 「どうして」


 「ここに校長先生の印があります。まず、ここで聞きます」


 少年は教室へ戻り、ハンナの帳面を横から覗いた。三回分の頁をめくり、眉を寄せる。


 「三回とも、お前だけか」


 「はい」


 しばらく黙った後、少年は教師を見た。


 「次は僕が組みます。先生の一番近くの台にしてください」


 「君の家は、平民との実習に反対しているだろう」


 「僕が選んだと書いてください」


 ハンナは帳面を抱き直した。


 「怖くないんですか」


 「怖い。だから先生の近くでやるんだ。僕だって最初は三回も光を消した」


 少年はそう言ってから、付け加えた。


 「それに、記録係がこんなに上手いなら、数える方は任せられる」


 机の端に置かれた申立書を、教師は長い間見ていた。やがて鞄を置き、羽根ペンを取った。


 用紙には、事故の件数を書く欄がある。平均点を書く欄もある。実習に参加できなかった生徒を書く欄だけがなかった。


 教師は定規を当て、余白に一本の線を引いた。


 『実習未参加者 一名。三回』


 そう書き、自分の名を署名した。


 翌朝、申立書には校長の印が押された。三週間だけ、組を教師が輪番で決め、保証金の額を参加の条件にしない。代わりに水晶を同時に使う組を半分にし、教師の目が届く範囲で行う。進度が遅れることも、保護者から抗議が来ることも、承知した上での試行だった。


 最初の実習で、ハンナの指は水晶の上で震えた。隣の少年が数を間違え、二人の光は一度消えた。


 「ごめんなさい」


 「今のは僕だ。もう一回」


 二度目の光は弱かったが、規定の時間まで消えなかった。


 ◇


 三週間の試行で事故はなかった。一方、貴族の保護者七家から抗議の書状が届き、貸与用の器具も必要数の半分しかない。授業の進度は、当初の予定より九日遅れた。


 それでも校長は、輪番制の継続を教育委員会へ申請した。担当教師が余白へ書き加えた「実習未参加者」の欄は、次の査定表から正式な項目になる。


 報告書の命令欄は空白だった。代わりに、ハンナ、同級生、担当教師、校長、教育委員の署名が、頁をまたいで並んでいる。


 「ナターシャ。これは、誰が始めたの」


 「最初に声を上げたのはハンナです。続けると決めたのは、学校にいた方々です」


 セレスティアは、余白に引かれた一本の線を指で辿った。定規を使ったのだろう。それでもわずかに震え、印刷された枠とは違っていた。


 「わたしの知らないところで」


 「はい」


 セレスティアは報告書を閉じた。最後まで空白だった命令欄よりも、頁をまたいで続く署名の方が、はっきりと目に残った。


 学校からの報告書の下には、もう一つの書類が残っていた。


 『地方魔力学校・第二期開設計画』


 今秋までに十二校を開く予定だった。平民の子供が王都へ来なくても、基礎的な魔力教育を受けられるようにするための学校だ。書類の右上には、赤い文字があった。


 『要再検討』


 赤字は国王の筆跡だった。その時、扉が開き、アレクシスとイザベラがさらに厚い書類を抱えて入ってきた。


 「これはどういうこと?」


 セレスティアが赤い文字を示すと、アレクシスは向かいの椅子に座った。


 「書いた通りだ。十二校同時の開設は認めない」


 「基礎予算は通っている。校舎も九校まで完成しているでしょう。教材貸与の追加分なら、予備費を回せる」


 「建物だけ完成しても学校にはならない」


 イザベラが書類を開いた。


 「教員が四十二人不足しています。地方へ赴任する魔術師が、予定の六割しか集まりませんでした。北部校では開校前の試験中に防護石が割れています。けが人はいませんが、同じ石材を使った三校は交換が必要です」


 「王都の教員を交代で派遣すれば」


 「試算済みです」


 イザベラの返答は速かった。


 「移動日を含めると、王都側の授業が月に九日止まります。地方のために王都を止めれば、今度は既に入学した子供たちが授業を失います」


 セレスティアは黙った。アレクシスがもう一冊の帳面を置いた。


 「終身幽閉区画も同じだ。改修中に地下の排水路が崩れた。予定通り囚人を移せば、雨季に壁が沈む可能性がある。看守の訓練も終わっていない」


 「では、両方延期するの?」


 「学校は七校だけ開く。五校は来春へ延期する。収容区画は工事と訓練が終わるまで、現在の牢の隔離棟を臨時に王国直轄として使う」


 「十二校開くと公表した。死刑廃止の実施日も告示した。延期すれば、約束を破ったと言われる」


 「言わせればいい」


 アレクシスの声は低かった。


 「数を守るために教師のいない教室を開く方が、約束を破っている。日付を守るために崩れる牢へ人を入れるのは、統治ではない」


 セレスティアは反論しかけて、やめた。悔しかった。法案を通すまでに何年もかけた。通った後は、決めた通りに進められると思っていた。


 だが、紙の上の十二校に子供は座れない。条文だけでは壁を支えられない。


 「延期の理由を全部公表する」


 セレスティアは言った。


 「不足している人数も、割れた防護石も、排水路の崩落も。七校を成功のように飾らない。五校を開けなかったことまで伝える」


 イザベラが頷いた。


 「来春の計画には、地方出身者を教員として育てる課程も加えます。一時的な派遣だけでは、また同じことになります」


 「お願い。アレクシス」


 「何だ」


 「赤字で『要再検討』とだけ書くのは、次からやめて。心臓に悪い」


 「では『このままでは署名しない』と書く」


 「もっと悪い」


 イザベラが、書類で口元を隠した。笑っている。予定通りではない。完全でもない。


 それでも七校は開く。残る五校を開く仕事は、来春まで続く。改革は、可決の日では終わらなかった。


 ◇


 報告書をすべて読み終えた。窓の外の若葉が、風に揺れている。セレスティアは窓辺に立った。明るい緑。穏やかな王都。


 だが、その屋根の向こうには、まだ開けない教室がある。開いていても、全員が同じ実習を受けられない教室がある。修理の終わらない牢がある。制度が変わっても、明日から急に全てが整うわけではない。


 「来春までに、五校」


 「一つずつだ」


 アレクシスが言った。


 「明日の朝までに、変更日程を作ります」


 イザベラもアレクシスも、すでに次の書類を開いている。セレスティアは、仕事を続ける二人の姿を見た。


 「ありがとう。明日もよろしく」


 平穏とは、何もしなくていい日ではない。終わらない仕事を、隣にいる人たちと続けられる日だ。


 窓の外で若葉が揺れていた。不完全なまま進んでいく、初夏の風の中で。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ