婚礼の準備
翌春三月、十八歳の誕生日の翌日に行われる婚礼まで、あと一年。いよいよ準備が始まった。
◇
最初に始まったのは、ドレスの仮縫いだった。王宮の仕立て部屋には白い布が広げられ、仕立て師たちが忙しく動いている。
セレスティアは白い下地のドレスをまとい、台の上に立っていた。仮縫いの針が刺さっているため、動けない。
「お嬢様。腕を上げてください」
仕立て師が声を上げた。
「上げてる」
「もう少し」
「これ以上上げたら肩が外れる」
「大丈夫です。外れません」
リリアーナが椅子に座って見ていた。目が潤んでいた。
「お母様。泣かないで」
リリアーナは返事の代わりに、仕立て布の端をそっと撫でた。
「……この布、あなたによく似合うわ」
「うん」
「お母様」
「だって、こんなに大きくなって。白いドレスを着て。お母様、幸せよ」
母はもう、隠しようもなく泣いていた。つられて、セレスティアの目も潤んだ。
「お母様。泣いたらわたしも泣くから。やめて」
「泣きなさい。嬉しい涙は、流していいの」
仕立て部屋で母娘そろって泣き、仕立て師を困らせた。
◇
マルガレーテが仕立てを手伝っていた。
「マルガレーテ。ドレスの仕立ては専門外でしょう」
「わたくしは何でもできます。侍女長ですから」
「侍女長だからって裁縫は」
「昔、リリアーナ様のお母上のドレスも、わたくしが手伝いました」
「昔。マルガレーテ、何歳から侍女をしているの」
「年齢は侍女の秘密です」
マルガレーテの手つきは確かだった。針の運びが正確で、布の扱いが丁寧で。
◇
次は花の選定だった。ナターシャが候補の一覧を持ってきた。
「婚礼の花です。薔薇、百合、ジャスミン、蘭」
「ラベンダー」
「はい。最初に書いてあります」
「ラベンダーがいい。メインの花はラベンダー」
「王族の婚礼でラベンダーをメインにするのは、前例がありません」
「前例は作る」
ナターシャが微笑んだ。
「承知しました。フリーデリケさまに、大量注文を出します」
「フリーデリケ、喜ぶだろうね」
「喜びすぎて畑を全部刈り取りかねません。加減を伝えておきます」
◇
招待客リストは、ヴィオレッタが管理していた。
「セレスティア。招待客が三千人を超えたわ」
「三千。多すぎない?」
「王族の婚礼よ。少ない方。でも、あなたの婚礼には特殊な事情がある」
「特殊?」
「平民の招待。初めてよ。王族の婚礼に平民が招かれるのは」
「平民」
「ナターシャさんの情報局の人たち。フリーデリケさんの領地の人たち。魔力教育で学んでいる平民の生徒たち。あなたの改革に関わった人たちよ」
「呼びたい。全員」
「全員は無理よ。でも、代表者を。百名ほど」
「お願い、ヴィオレッタ」
「任せて。リスト作りは得意よ。扇で仕分けるわ」
◇
一方、式典の行政手続きは、イザベラが担当していた。
「婚礼の行政手続き。王族婚姻届。領地統合の書類。王妃就任に伴う権限移譲の法的整備。全部で百二十七件」
「百二十七」
「段取りは完璧よ。三ヶ月前に準備を始めてある」
「三ヶ月前。婚礼の日程が決まる前に?」
「決まると分かっていたもの。あなたとアレクシス陛下を見ていれば」
セレスティアの顔が赤くなった。
「イザベラ」
「何?」
「分かってたの」
「行政官の仕事は先を読むことよ。あなたに教わったわ」
イザベラが笑った。
「それと、もう一つ」
「何?」
「婚礼のスピーチ。わたしが書いてもいい?」
「スピーチ。イザベラが?」
「行政官としてではなく。友人として」
セレスティアの胸が温かくなった。
「もちろん。お願い」
「任せて。棘のない言葉で書くわ。一回くらいは」
二人で笑った。
◇
神殿の祝福については、アネリーゼが準備を進めていた。
「婚礼の祝福の儀式。大神官猊下と相談して、特別な形式にしました」
「特別?」
「光の祝福。聖魔力の持ち主の婚礼ですから。通常の祝福に加えて光の祝福を。わたしが担当します」
「アネリーゼが」
「はい。わたしの光で、セレスティアさまとアレクシス陛下を祝福します。これがわたしにできる、最高の贈り物です」
アネリーゼの目は、比喩ではなく本当に光っていた。治癒の光が瞳の奥で輝いている。
「ありがとう、アネリーゼ」
「いいえ。セレスティアさまに出会えなければ、わたしは今もまだ怯えていた少女のままでした。この光をお返しする日が来て、嬉しいです」
◇
南方の祝福については、リディアが手紙で提案していた。
『セレスティアさま。婚礼おめでとうございます。
南方には「花嫁の道」という風習があります。花嫁が歩く道に、花びらを敷く。その花びらが多いほど、祝福が多い。
わたしの故国の花びらを送ります。白い花です。名前は「月の涙」。故国では最も高貴な花とされています。
セレスティアさまの道に月の涙を敷かせてください。故国を失ってからも守ってきた、わたしの大切な宝物です。
リディアより。』
手紙を読み終えると、また涙がこぼれた。
「リディア。ありがとう」
◇
夜になると、ベッドに座って日記帳を開いた。
『婚礼の準備が始まった。
みんなが動いてくれている。おかあさまが泣いた。マルガレーテが針を持った。ナターシャが花を選んだ。ヴィオレッタがリストを作った。イザベラが書類を揃えた。アネリーゼが光を準備した。リディアが花を送った。
全部、わたし一人ではできないこと。』
ペンを置くと、日記帳の横にリディアから届いた白い花びらを一枚置いた。遠い故国で守られてきた花も、母の涙も、友人たちの仕事も、すでに同じ婚礼へ向かっている。
自分一人では作れない道を、皆がそれぞれの場所から少しずつ敷いてくれていた。




