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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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閑話 銀髪の男が娘を抱いた日  父ライナルト視点



 ライナルト・フォン・アルヴェインは、感情を見せない男である。


 政敵の前でも、戦場でも、妻が倒れた時でさえ、表情を変えなかった。感情とは弱さだ。公爵家の当主にとって、弱さを見せることは死に等しい。父もそうだった。祖父もそうだった。アルヴェインの男は鉄で心を鋳固め、鷲の如く高みから世界を俯瞰する。それが家訓であり、血の掟だった。


 だから私は泣かなかった。


 十八で父を亡くした時も。二十二で初陣に立った時も。二十五でリリアーナを娶り、彼女の笑顔に心が揺れた時も、その揺れを誰にも悟られなかった。


 感情は不要だ。必要なのは判断と行動。感じるな、考えろ。震えるな、動け。


 その信条で四十年生きてきた。


 だがあの日。


 あの日、全てが変わった。


 ◇


 最初に違和感を覚えたのは、娘が三歳になって間もない頃だった。


 セレスティアは変わった子供だと聞いていた。マルガレーテからの報告では、夜泣きが激しく、金属音に怯え、時折大人のような目をすると。私は気に留めなかった。子供にはそういう時期がある。三歳児の奇行に公爵が構っている暇はない。


 だが気になることが増えていった。


 フェリクスが書庫に閉じこもるようになった。息子は元から書庫の住人だが、最近の没頭ぶりは尋常ではなかった。読んでいる本が医学書と毒物学に偏っている。十三歳の少年が読む本ではない。


 ヘルマンが何かを探っている気配があった。老騎士は忠実だが、時に独断で動く。その独断が、今回はディートリヒに向けられているように見えた。


 そして――セレスティア自身。


 一度だけ、廊下で娘とすれ違った。挨拶をした。「おはよう、おとうさま」と返された。その声に違和感があった。三歳の舌足らずな声。だが目が違った。


 あの目は子供の目ではなかった。


 疲弊した目。多くを見てきた目。何かを深く恐れ、同時に何かと戦っている目。


 私はその時、初めて娘を「見た」。


 三歳の小さな身体。銀髪は私に似て、碧い目も私に似て、しかしどこかが決定的に違う。


 何が違うのか、言語化できなかった。だが公爵としての直感が告げていた。この子は普通ではない、と。


 ◇


 フェリクスが薬の異常を報告してきた時、私は自分の怠慢を呪った。


 妻の薬に毒が混入されていた。長年の処方箋が操作されていた。リリアーナの「体の弱さ」は、毒の慢性投与による衰弱だった。


 フェリクスの報告は冷静で論理的だったが、その目には怒りがあった。母を毒で蝕んでいた者への怒り。そして――もっと早く気づけなかった自分への怒り。


 私も同じだった。


 妻が苦しんでいた。年々衰弱していった。私はそれを「体質」だと思い込んでいた。公爵としての職務を優先し、妻の傍にいる時間を削り、異変に気づかなかった。


 いや、気づこうとしなかったのだ。


 感情は不要。必要なのは判断と行動。


 その信条が、最も大切なものを見落とさせた。


 投薬を中止し、薬庫を監視した。だがそれで終わりではなかった。


 ハーブティー。台所経由の毒の投与。薬を止められたら別の経路を用意する周到さ。


 ディートリヒの仕業だった。


 二十年仕えた家宰。有能で誠実だと信じていた男。その男が、妻を毒で殺そうとしていた。


 怒りを感じた。だが怒りを氷の下に沈めた。感情で動けば判断を誤る。冷静に。冷徹に。証拠を集め、追い詰め、全てを吐かせる。


 公爵の流儀だ。


 ◇


 だが私を本当に変えたのは、ディートリヒの裏切りではなかった。


 セレスティアだ。


 ヘルマンが報告してきた。ディートリヒの部屋から宰相家の紋章入りの書簡が発見されたと。発見の経緯を聞いて、私は凍りついた。


 セレスティアがナターシャに指示して、ディートリヒの部屋を調べさせた。


 三歳の娘が。


 家臣の裏切りを疑い。


 証拠を探らせた。


 常軌を逸している。天才という言葉では足りない。三歳児の知性の範疇を完全に超えている。


 私はセレスティアを書斎に呼んだ。


 小さな足音が廊下に響き、扉が開いた。銀髪の少女が入ってくる。三歳。身長は大人の腰にも届かない。


 「おとうさま」


 その声を聞いた時、胸の奥で何かが軋んだ。


 私はこの子の声をほとんど聞いたことがなかった。娘が何を話すか。何を考えるか。何を恐れているか。何一つ知らなかった。


 「お前がナターシャに指示して、ディートリヒの部屋を調べさせたのか」


 直接聞いた。回りくどいことは性に合わない。


 セレスティアは一瞬迷い、頷いた。


 「……はい」


 その目を見た。


 碧い目。私と同じ碧い目。だがその奥にあるものは、私が四十年かけて身につけた冷徹さとは全く違うものだった。


 恐怖があった。深い恐怖。まるで何度も殺されかけた人間の目だった。だが恐怖に押し潰されてはいなかった。恐怖の中で戦っている。震えながら、一歩ずつ、前に進もうとしている。


 三歳の子供が。


 「お前は三歳だ」


 「はい」


 「三歳の子供が、家臣の裏切りを疑い、証拠を探らせた」


 「……おかあさまをまもりたかっただけです」


 母を守りたかった。


 その言葉が、鉄の心に突き刺さった。


 私は何をしていた。妻を守るべき夫が何をしていた。政務に追われ、領地を駆け回り、家のことは家臣に任せ――その家臣が裏切り者だった。


 三歳の娘が母を守ろうとしている間、父は何をしていた。


 目を閉じた。長い息を吐いた。


 鉄の心が軋む。四十年かけて鋳固めた鉄が、ひび割れていく音が聞こえた。


 気がつけば、膝をついていた。


 公爵が。アルヴェインの当主が。三歳の娘の前に膝をついた。


 目線が同じ高さになった。碧い目と碧い目が向き合った。


 「セレスティア。お前が何者かは問わない。お前が何を知っているかも問わない」


 声が震えそうになるのを堪えた。感情を見せるな。だが今は、見せなければならない。この子に伝えなければならない。


 「だがこれだけは約束する。お前を守る。母を守る。この家を守る。それが公爵としての、そして父としての、私の務めだ」


 セレスティアの目から涙が溢れた。


 大粒の涙が頬を伝い、顎から落ちた。三歳の小さな顔が、涙で歪んだ。


 「おとうさま……」


 小さな身体が飛び込んできた。


 軽い。こんなに軽い。両腕で受け止めて、そのあまりの軽さに愕然とした。この軽い身体で、この子は何と戦っているのか。私が見落としていた間、何を背負っていたのか。


 腕に力を込めた。不器用に。確かに。壊さないように、だが離さないように。


 温かかった。


 ◇


 その後の日々、私は変わった。


 自覚している。ヘルマンも気づいている。家臣たちも感じ取っているだろう。


 公爵の目が変わった、と。


 冷徹さは消えていない。政治家としての判断力も衰えていない。だがその底に、以前はなかったものが宿った。


 炎だ。


 娘を絶対に死なせない、という炎。


 ディートリヒを尋問し、宰相派の情報を引き出した。王都に諜報員を送り、宰相の動きを監視させた。リリアーナの食事管理を徹底し、毒の再投与を完全に防いだ。


 全ては娘のために。妻のために。家のために。


 だが正直に言えば――娘のためだ。


 セレスティアが書斎で私に言った。「ゆめをみるの」と。悪い夢を見ると。母が死に、自分が殺され、兄たちがばらばらになる夢を。


 夢なのか。予知なのか。聖魔力に由来する何かなのか。


 問い詰めなかった。問い詰める必要はなかった。


 あの目を見れば分かる。あの子が見ているものは、夢ではない。もっと重いものだ。もっと具体的で、もっと恐ろしいものだ。


 あの子は何かを知っている。


 起きるべきことを。起きてはならないことを。


 そしてそれを変えようとしている。三歳の――今は四歳の、小さな手で。


 私にできるのは、その手を支えることだ。


 公爵として。父として。


 ◇


 セレスティアの四歳の誕生日に、ブローチを贈った。


 アルヴェイン家の紋章入り。聖石を嵌め込んだ特注品。フェリクスに頼んで、魔力安定の術式を組み込ませた。


 贈り物を選ぶのに三日かかった。何が適切か分からなかった。四十年生きてきて、娘への贈り物を選んだことが一度もなかった。


 リリアーナの部屋で、娘が包みを開いた。小さな手がブローチを取り出し、碧い石が朝日を受けて輝いた。


 「おとうさま、ありがとう……!」


 涙ぐんだ声。四歳の少女が、胸にブローチを抱いた。


 その姿を見て、鉄の心が再び軋んだ。だが今度は痛みではなかった。


 温かさだった。


 リリアーナが泣いていた。妻の涙を見るのは久しぶりだった。だが今日の涙は悲しみではない。


 「あなた、ありがとう」


 妻の声に、力があった。毒に蝕まれていた頃の弱々しさが消え、かつて王都の社交界で凛と響いた声が戻りつつあった。


 私は何を守ろうとしているのか。


 公爵家の名誉か。政治的な立場か。


 違う。


 この光景だ。


 妻が笑い、娘が泣き笑い、息子が照れくさそうに目を逸らす。侍女たちが涙を拭いている。窓から朝日が差し込み、部屋を金色に染めている。


 この光景を守るために、私は戦う。


 宰相が来るなら来ればいい。政治的な攻撃でも、暗殺者でも、何でも来い。


 鷲は巣を守る。雛が飛び立つまで、何があっても守り抜く。


 ヘルマンが後日、私にこう言った。


 「閣下、最近お変わりになりましたな」


 「そうか」


 「はい。剣を抜く覚悟をなさった男の目です」


 老騎士は三十年の付き合いだ。私の変化を見逃すはずがない。


 「ヘルマン」


 「はい」


 「私は父親として、零点だ」


 「……突然何を仰います」


 「四年間、娘のことを何も知らなかった。妻が毒で蝕まれていることにも気づかなかった。家臣の裏切りにも気づかなかった。全て、三歳の娘に教えられた」


 ヘルマンは沈黙した。否定しなかった。事実だからだ。


 「だがこれからは違う。遅すぎるかもしれないが、始める」


 「遅すぎることはございません、閣下。始めるなら今が最善です」


 老騎士の言葉は、常に簡潔で正確だ。


 始めるなら今が最善。


 その通りだ。


 私はライナルト・フォン・アルヴェイン。公爵。政治家。そして――父親だ。


 四年遅れの父親だが、もう遅れは取り戻す。


 セレスティアが夢で見た未来を、この手で変えてやる。


 娘の小さな手が握りしめた拳を、私の大きな手で包む。


 「この子は公爵家の未来だ。私が守る」


 誰に言ったのでもない。自分に。


 窓の外で鷲が飛んでいた。


 春の空を、翼を広げて。高く、力強く。

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