イザベラと父
王都の郊外。その丘の上に、小さな石造りの館がある。
かつて貴族の別邸だった館は、今では国が管理する幽閉施設になっている。
高い塀と二人の門番。その内側には、中庭と、互いに離れた建屋がいくつかあった。
ここに、前宰相ヴィクトール・ド・ガルニエが幽閉されている。
◇
門の前に馬車が止まった。イザベラが降りた。
十六歳になったイザベラは、黒い髪と紫の瞳をしていた。
「イザベラ・ド・ガルニエです。面会の申請をしています」
「確認いたします」
門番が中へ走る間、イザベラは夏の終わりの風に吹かれながら待った。
手袋の中で汗ばんでいるのに、手が冷たかった。
◇
施設長が出てきた。
「イザベラ殿。お待ちしていました」
「案内してください」
「閣下は……お元気です。書物を読まれて、ご自身で食事を作られて。規則正しく」
「案内してください」
施設長が少し黙ってから、「どうぞ」と言った。
◇
石畳の通路を歩いた。夏草の庭。伸びた草が風に揺れている。
「もし辛くなれば、いつでも外に出ていただいて構いません」
施設長が言った。
「辛くなりません」
言い切った。
◇
建屋の一つ。扉の前に職員が立っていた。
「閣下。面会のお方がいらっしゃいました」
扉の内側から声がした。
「どうぞ」
静かな声だった。
◇
扉を開けると、広い部屋に書棚と机があり、暖炉には火が入っていた。その前の椅子に、一人の男が座っている。
白い髪と灰色の目を持つ七十二歳の元宰相、ヴィクトール・ド・ガルニエだった。
「イザベラ」
静かな声だった。
「来てくれたか」
◇
イザベラは部屋の中央で立ち止まった。近づかなかった。
父の顔は老い、頬がこけ、髪にも白いものが増えていた。それでも、何かを見透かすような目だけは変わっていない。
「座りなさい」
「結構です」
「そうか」
ヴィクトールが立ち上がった。暖炉の前へ歩いた。
「最後に会ったのは」
「法廷で。判決の日です」
「あの日か」
「過去の話はしに来ていません」
ヴィクトールが止まった。
◇
言葉の代わりに、短い沈黙が落ちた。暖炉の火がぱちりと鳴った。
「報告があって来ました」
イザベラが口を開いた。
「報告?」
「行政機構の再編について。第三次草案が承認されました。新しい行政機構が来月から動き始めます」
「……私への報告か」
「お父様の仕組みを正しく作り変えました。だから、報告に来ました」
ヴィクトールは動かなかった。背を向けたまま。暖炉を見たまま。
「詳しく話してくれ」
◇
「権限を一元化した宰相制を廃止しました。財務、人事、地方行政、監査、情報の五局に分散させます。各局が独立し、互いが牽制できる構造です」
「監査局か」
「お父様の仕組みの最大の弱点は、誰も検証しないことでした」
「……そうだ」
「監査局は独立性を持ちます。他の四局の仕事を調べる権限がある。不正があれば国王に直接報告します。私がやったことも、監査の対象になります」
「お前自身も」
「はい」
「なぜそこまで」
「そうしなければ意味がないからです。私だけが例外になれば、また同じことが起きる」
◇
ヴィクトールがゆっくり振り返った。
「お前が告発したことで、この仕組みが作れた」
「そうです」
「……感情は」
「ありません」
「本当に」
「報告しに来ました。感情の話をしに来たわけではない」
ヴィクトールは少しだけ、目を細めた。娘の弱点を探る時と同じ目だった。
「お前は私に似ている」
「そう言われたくありません」
「似ている、という事実を言っただけだ」
イザベラは黙った。
◇
暖炉の前。ヴィクトールが椅子に戻った。
「一つ聞いてもいいか」
「何ですか」
「お前は後悔していないか。告発したことを」
「していません」
「苦しくはないか」
「苦しいです」
「苦しいのに」
「後悔と苦しさは別です。正しいことをしても苦しいことはある。苦しいから間違っていたとはならない」
ヴィクトールは黙った。それぞれが言葉を探す間、重い沈黙が続いた。
「構造としては及第点だ」
短い言葉だった。
◇
イザベラは踵を返した。扉に向かった。
「また来ます」
「また来るか」
「報告がある時には」
「それだけのために」
「それだけのために」
「……イザベラ」
「何ですか」
「その仕組みを三十年保たせてみろ。正しかったと名乗るのは、それからだ」
◇
イザベラは止まった。一秒。
「知っています」
扉を閉めた。
◇
石畳の通路。施設長がついてきた。
「よろしかったですか」
「はい」
「また来られますか」
「また来ます。次は仕上がった報告書を持って」
門を出た。馬車が待っていた。
◇
イザベラが馬車へ乗り込むと扉が閉まり、車輪が動き始めた。施設の塀が遠ざかっていくのを窓越しに見ながら、震える手を握りしめた。
分かっていた。震えることは。でも泣かなかった。
「苦しいです」と父に言った言葉は本当だった。
苦しさは消えない。それでも、自分で選んだことを後悔してはいなかった。それも本当だった。
◇
王宮へ戻り、書類の積まれた行政局の執務室で机に向かった。ペンを取り、いつも通り仕事を始めた。




