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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第9章 若き王と改革の代償

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閑話 筆頭家臣が見てきたもの ヘルマン視点

 俺は言葉が得意ではない。


 公爵閣下に仕えて四十年になるが、感情を口に出したことは数えるほどしかない。家臣というのはそういうものだ。主人の前に立ち、指示を待ち、動く。余分な感情は不要だ。


 だが今夜は一人だ。誰も見ていない。



 執務室に一通の辞表がある。明日、お嬢様に渡す。


 今夜書き終えた。三枚書き直して、やっとまともな文章になった。四十年仕えた礼のつもりが、感情が邪魔をして何度も筆が止まった。情けない話だ。


 窓の外に月が出ている。


 公爵邸の庭には、整えられた生垣と噴水、薬草園があり、夜になると深い静けさに包まれる。


 この庭を何千回見たか分からない。



 初めてこの庭を見たのは、四十年前だ。


 先代の公爵に仕え始めた日。逃げてきた男が、家臣として雇ってもらった初日。緊張していた。庭の大きさに圧倒された。


 今はもう圧倒されない。慣れ、というのは恐ろしいものだ。


 だがお嬢様の目には、今も慣れない。



 十五年前。セレスティア様が生まれた。


 公爵閣下の末娘。銀色の髪。白い肌。生まれた瞬間から周囲が騒がしくなった。聖魔力の気配があると、魔術師が言った。


 俺には魔力の感知はできない。


 ただ赤ん坊を見た。泣いている。当たり前だ、産まれたばかりなのだから。だが俺はその赤ん坊の顔を見て、なぜか胸が締め付けられた。


 なぜそう感じたのか、今でも分からない。



 お嬢様が三歳になった春。庭にラベンダーを摘みに行った。


 病床の奥方様が好まれると聞いていた。侍女のマルガレーテが「お嬢様に見せてあげてください」と言った。


 花束を持ってお嬢様の部屋に行った。


 「セレスティア様。お花を持ってまいりました」


 お嬢様が振り返った。三歳。まだ幼い顔。銀色の髪が肩に揺れていた。


 そしてラベンダーを見た瞬間。泣いた。


 声もなく。ただ、目から涙が落ちた。


 俺は驚いた。三歳の子供が花を見て泣くことはあるが、あの涙は違った。子供の涙ではなかった。何かを思い出した人間の涙だった。何か、深いものを。


 「……お嬢様?」


 お嬢様は涙を拭いた。小さな手で。それから俺を見た。


 その目を、俺は今でも覚えている。三歳の目ではなかった。


 俺はその時、誓った。この子を守ろう。



 「ヘルマンおじさま、すき」


 翌朝、朝礼の後でお嬢様が俺の手を握って言った。


 俺の顔が崩れた。四十年間、人前で崩したことのない顔が。


 「……ありがたいお言葉です」


 それしか言えなかった。だがお嬢様は続けた。


 「おかあさまをまもってね」


 「もちろんです」


 「ディートリヒさまも、おかあさまをまもってくれる?」


 俺の胸に何かが刺さった。


 家臣団の一人だったディートリヒは、有能で評判もよかった。だが長年の勘が、この男を信用するなと告げていた。証拠のない感覚にすぎない。それでも、その感覚は外れなかった。


 三歳の子供が、なぜその名前を出したのか。俺には分からなかった。



 それからの十二年。お嬢様が走った。


 三歳で走り始めて、止まらなかった。母を救い、父を動かし、王都に行き、学園に入り、友を作り、敵を作り、裁判を開いた。


 俺の仕事は後ろを守ることだった。


 書類や予算、来客、使用人の管理に家臣団の調整。どれも地味で華やかさはなく、表舞台には出ない仕事だ。


 だがお嬢様が走れたのは、後ろが守られていたからだ。



 ディートリヒが逮捕された時。俺の勘が正しかったことを知った。


 同時に、己の不甲斐なさも知った。


 十二年間、側にいて、気づけなかった。お嬢様の母上が毒を盛られていることを、証拠として掴めなかった。三歳の子供が知っていたことを、俺は気づけなかった。


 あの夜、俺は公爵閣下の命令でディートリヒの自白を聞きながら、恥ずかしかった。


 俺は筆頭家臣だ。家臣団を束ねる立場だ。それが内通者を一人、見抜けなかった。



 宰相が倒れた。裁判が終わった。


 セレスティア様が、この国を変えた。俺は傍で見ていた。全部。


 怖がりながら進む背中を見た。疲れながら立ち続ける横顔を見た。泣いた翌朝、何事もなかったように机に向かう姿を見た。


 誰も気づかなかったかもしれない。だが俺は見ていた。



 一つだけ、ずっと気になっていることがある。


 お嬢様が何かを背負っていること。それが何なのか、俺には分からない。


 だがある時から、俺はそれを「前の何か」と呼ぶようにした。


 前の何か。お嬢様の目にある、年齢に合わない深さ。ラベンダーを見て流した涙。三歳で口にしたディートリヒの名前。


 俺には知る術がない。お嬢様が話すこともない。



 辞表を机の引き出しに入れた。窓の月を見た。


 三歳のあの子が、ラベンダーを見て流した涙。


 あの涙に対して、俺は何ができたか。


 俺にできたのは、ただ傍にいて、書類を整え、予算を守ることだけだった。


 だがお嬢様は言ってくれるかもしれない、明日。「いてくれてよかった」と。



 窓を閉めた。庭の月が雲に隠れた。


 ゆっくり立ち上がった。腰が痛い。老いた。


 だが今夜は、悪くない気分だ。


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