地脈回復の儀式
夏至の日。地脈回復の儀式が行われた。儀式の場所は、王国で最も地脈が集中する大神殿の地下聖堂だった。五百年前に建てられた聖堂のさらに下にある、人の手ではなく地脈そのものが削り出した巨大な空洞だ。
天井が高い。松明ではなく壁に埋め込まれた魔力石が淡い青白い光を放っている。中央に魔法陣が描かれていた。
フェリクスが三ヶ月かけて設計した。ヨハンの理論を基に。オスヴァルト先生が検証した。大神官シルヴェストルが神殿の古文書と照合した。
「誤差〇・三パーセント以内。妹の命がかかっている以上、〇・一パーセントも許容しない」
フェリクスの目は赤かった。三日間眠っていない。
◇
地下聖堂に人が集まっていた。大神官シルヴェストルと神殿の高位神官六名は、魔法陣の維持に必要な魔力の供給者だった。
杖をついたオスヴァルト先生は、老いた体ながら鋭い目をしていた。「最後の仕事だ。見届けさせてもらう」
フェリクスは魔法陣の傍に計測器具を並べ、数値を確認している。
白い法衣をまとったアネリーゼは、治癒の準備を終えてセレスティアのすぐ傍に立っていた。「いつでも支えられます」
アレクシスは国王であり立会人として見守り、ヴォルフは聖堂の入口を固めて、誰も出入りできないようにしていた。
ナターシャ。ヴォルフの隣に。手に蜂蜜入りの紅茶の入った水筒を持って。儀式が終わった後に飲ませるために。
そしてセレスティア。魔法陣の中央に立っていた。
白い儀式服。金糸の刺繍。大神殿が用意した、聖魔力の術者のための衣。
地脈と直接つながるため、セレスティアは裸足だった。足裏から石の冷たさが伝わってくる。
「準備はいいか」
シルヴェストルの声が聖堂に響いた。
「はい」
セレスティアの声は震えていなかった。怖くないわけではない。体の限界を超えるかもしれない、前例のない儀式なのだから、怖い。それでも怖さを抱いたまま、やると決めていた。
力を制御するのは心であり、その心はここにあると、グレーテルが教えてくれた。
◇
儀式が始まり、シルヴェストルが五百年前の聖典に記された、地脈へ捧げる古い祈りを唱えた。
六名の神官が魔力を注ぎ始めると、魔法陣に青白い線が浮かび上がった。
フェリクスが数値を読み上げた。「地脈との接続、確認。魔力濃度、基準値。安全域内。始めてくれ、セレス」
セレスティアは目を閉じ、両手を広げて心臓の鼓動へ意識を集中した。とくん、と一度大きく脈打ち、聖魔力が体の中で目覚める。
光と闇は本来なら相反する二つの力だが、セレスティアの中では一つに溶け合っている。その力を、足元の地脈へ注いでいく。
手のひらから白い光が溢れ、その中を闇属性を示す深い紫の筋が走った。光と闇が混ざり合った、それこそが聖魔力の本当の色だった。
光が魔法陣を通って、地面に染み込んでいった。地下深く。地脈へ。
◇
地脈の鼓動を感じた。人の心臓など比べものにならないほど巨大な、大地そのものの脈動だったが、その力は弱っていた。
数百年の疲弊。過剰な利用。枯れかけた河のように細く、頼りなく。
セレスティアの聖魔力が地脈に触れた。地脈が反応した。
弱々しい脈動が、それでも確かに押し返してきた。もっと注がなければならない。セレスティアが魔力の出力を上げると、体が内側から熱を帯びた。
「セレス。魔力出力、上昇中。まだ安全域内。だが無理はするな」
フェリクスの声が遠い。
「大丈夫」
大丈夫。まだ、体は持つ。地脈に魔力を注ぎ続けた。光が聖堂全体を照らした。壁の魔力石が共鳴して、青白い光が白金色に変わった。
美しかった。だが、美しさを楽しむ余裕はなかった。体が重くなってきた。膝が震え始めた。視界がぼやけてきた。
「出力、安全域の上限に接近。セレス」
フェリクスの声に焦りが混じった。
「もう少し」
「もう少しじゃない。止めろ」
「あと少しだけ。地脈が応えてる。もう少しで」
地脈の鼓動が確かに強くなっていた。枯れかけた河に新しい水が流れ込むように。
あと少しで衰退を止められる。しかし体はすでに限界を迎え、とうとう膝が折れた。
「セレスティア!」
アレクシスの声。
「セレスティアさま!」
アネリーゼの声を聞きながら、倒れる前に最後の力を振り絞り、残る聖魔力をすべて地脈へ注いだ。
光が爆発した。聖堂全体が白金色に染まった。
応えるように地脈が強く、大きく脈打ち、大地が震えた。
◇
白い儀式服のまま魔法陣の中央へ倒れ込み、意識が急速に遠のいていく。
「セレスティア!」
アレクシスが駆け寄った。セレスティアの頭を支えた。
「アネリーゼ!」
「はい!」
アネリーゼが手をかざすと、光魔力の温かな金色がセレスティアの体を包んだ。
「魔力枯渇、重度。でも命に別状はありません。体の損傷もない。意識が戻るまで時間がかかります」
「どのくらいだ」
「分かりません。でも、戻ります。必ず」
アレクシスがセレスティアの手を握った。冷たかった。
「セレスティア。起きろ。起きてくれ」
返事はなかった。フェリクスが走ってきた。計測器を手に。
「地脈の状態、確認中。成功だ。地脈の魔力濃度が四十パーセント回復している。衰退を五十年以上遅らせる成果だ」
「成功」
「成功だ。だが」
フェリクスがセレスティアを見た。眼鏡の奥の目が赤かった。
「成功と引き換えに妹が」
「死んでいない。アネリーゼが」
「死んでいなくても!」
フェリクスの声が裂けた。
「僕が計算を間違えたのか。安全域の設定が甘かったのか。僕の」
「にいさま」
かすかな声が聞こえ、フェリクスは凍りついた。アレクシスが目を見開き、アネリーゼも息を呑む。
焦点はまだ合っていなかったが、セレスティアのまぶたがわずかに開いた。
「にいさま。計算は合ってたよ。わたしが欲張っただけ」
「セレス!」
「あと少しって思っちゃった。ごめん」
「謝るな! 馬鹿!」
フェリクスの眼鏡が完全に曇った。
「湿度」
「湿度じゃない! 泣いてるんだ! 僕は!」
セレスティアは笑った。弱々しく。
「にいさまが泣いてるの認めた。初めて」
「うるさい。二度とこんなことするな」
「しない。約束する」
アレクシスがセレスティアの手を握りしめた。
「セレスティア。もう、こんな」
「大丈夫。陛下の顔、見えた。最初に」
「最初に」
「倒れた時に最初に見る顔が陛下だと安心するって、言ったでしょ」
アレクシスの涙がこぼれた。
「ずるい。こんな時に」
「ごめん」
アネリーゼが治癒の光を強めた。
「セレスティアさま。今度は、わたしがあなたを支える番です」
光が温かかった。セレスティアは目を閉じた。
「これでこの国は、五十年は続けられる」
そう呟くと、セレスティアの意識は今度こそ穏やかに沈んだ。アレクシスは手を離さず、アネリーゼは治癒を続け、フェリクスも傍に座って見守った。
地下聖堂に静けさが戻った。地脈が脈打っていた。力強く。




