アレクシスの告白
暗殺未遂から一週間が経った。
グライナー男爵は裁判で有罪となり、爵位剥奪と追放を言い渡された。処刑ではない。セレスティアが求刑の軽減を願い出たからだ。
「殺すのではなく、追放で。この国は、もう処刑で問題を解決する国ではない」
アレクシスは長い沈黙の後、頷いた。
「分かった。お前の言う通りにする」
◇
初夏を迎え、王宮の庭に薔薇が咲いていた。赤と白と。ラベンダーも、フリーデリケが送った苗が根付いて、紫の花をつけ始めていた。
夕方、執務を終えたセレスティアは庭を歩いていた。一人ではなかった。
アレクシスが隣にいた。
「陛下。珍しいね。一緒に散歩なんて」
「珍しくない。時間がなかっただけだ」
「時間、できたの?」
「作った」
「国王が時間を作る。大変だったでしょう」
「ヘルマンに怒られた。『陛下、今日の書類がまだ三十七枚』と」
「三十七枚を」
「明日にした」
「明日のアレクシスが可哀想」
「明日の僕は明日の僕が何とかする」
セレスティアは笑った。
「陛下。それ、フリーデリケの言い方に似てる」
「フリーデリケ?」
「『明日のパンは明日焼けばいいもん』って」
「パンと書類は違う」
「同じだよ。先延ばしという点では」
アレクシスが苦笑した。
庭を歩いた。薔薇の小径。夕日が花びらを金色に染めている。
「セレスティア」
「なに」
「少し座ろう」
東屋。蔦に覆われた小さな屋根。石のベンチが二つ。
座った。向かい合ってではなく、隣に。夕日が二人の影を長く伸ばしていた。
「セレスティア」
「うん」
「僕たちの婚約は、政治的なものだった」
「……うん」
「摂政体制を安定させるために。公爵家と王家の同盟のために。僕たちの意思ではなく、状況が決めた」
「そうだね」
「お前は十一歳の時、受け入れてくれた。政治的に必要だからと。僕もそう思っていた。最初は」
「最初は」
アレクシスは膝の上の手を見た。握りしめて。開いて。また握りしめて。
「いつからか分からない。気づいた時には、もう」
声が震えていた。
「セレスティア。僕は、政治とは関係なく」
言葉が詰まった。セレスティアは待った。急かさなかった。
夕日が少しだけ沈んだ。影が長くなった。
「僕は君を、好きだ」
「政治じゃなく。戦略じゃなく。ただ、セレスティアという人を。好きだ」
互いの表情をうかがう間、言葉は途切れたままだった。
蝉の声が遠くに聞こえた。初夏の夕暮れ。セレスティアの心臓が痛かった。
「陛下」
「アレクシスでいい。今は」
「……アレクシス」
アレクシスの耳が赤かった。頬も。首も。
「わたしも」
セレスティアの声が震えた。
「わたしも、あなたを大切に思ってる」
アレクシスの目が見開かれた。
「でも正直に言う。わたしはまだ、それが『好き』なのか分からない」
「分からない?」
「わたしには複雑な事情がある。あなたに対して。信頼してる。尊敬してる。一緒にいると安心する。でも、恋愛感情なのか。それとも戦友としての絆なのか。分からない」
「ごめん。こんな答えで」
アレクシスは笑った。
「いい。分からなくていい」
「いい?」
「セレスティア。僕は答えを急がない。お前が分からないなら、分かるまで待つ」
「待つ?」
「パンの発酵を待つように。誰かが言ってたろ」
セレスティアは目を見開いた。
「聞いてたの」
「ルシアンが教えてくれた。『セレスティアがこう言ってた』と。良い言葉だと思った」
「フリーデリケの言葉だよ」
「フリーデリケはいつも本質を突く。パンを焼きながら」
セレスティアは笑った。涙がこぼれた。
「なんで泣くの。わたし」
「嬉しいからだろ」
「嬉しいのかな」
「分からないなら、泣きながら待てばいい」
「泣きながら待つ。変な告白の返事だね」
「変でいい。僕たちは、普通じゃないんだから」
アレクシスが手を伸ばした。セレスティアの手に。
触れた。握らなかった。ただ、指先が触れた。
「アレクシス。一つだけ、言わせて」
「何でも」
「愛はこれから育てましょう」
アレクシスの目が潤んだ。
「育てる?」
「うん。今はまだ種。でも、水をやって、日に当てて、待てば咲くかもしれない。咲かないかもしれない。でも、育てる努力はしたい」
「花を育てるのは、フリーデリケの専門だ」
「じゃあフリーデリケに聞こう。愛の育て方」
「パンの焼き方しか教えてくれないぞ」
「パンの焼き方でいい。パンも愛も、待つのが大事だから」
二人で笑った。夕日が沈みかけていた。空がオレンジから紫に変わっていく。
「アレクシス」
「うん」
「ありがとう。好きって言ってくれて」
「……どういたしまして。言えてよかった」
「何年かかった? 言うまでに」
「二年。いや、三年かもしれない」
「三年。長かったね」
「長かった。でも、後悔はしていない。今日がちょうどいい日だった」
「なんで今日が」
「暗殺未遂の後、思ったんだ。明日、何が起きるか分からない。言えることは今日、言わなければ」
セレスティアの胸が締めつけられた。
「アレクシス。わたしも、言えることを言う」
「何を」
「わたしはあなたと一緒にいたい。国を作りたい。五十年後も、六十五歳になっても。一緒に」
アレクシスの手が、セレスティアの手を、そっと握った。
今度は指先だけではなく。しっかりと。
「一緒に」
「うん。一緒に」
夕日が沈んだ。東屋に二人の影だけが残った。
手を繋いだまま。
◇
部屋に戻った後。ベッドに座って、ナターシャに報告した。
「アレクシスが告白してきた」
ナターシャの手が止まった。紅茶のカップを持ったまま。
「告白」
「好きだって」
「……それで、お嬢様は」
「愛はこれから育てましょうって言った」
ナターシャがカップを置いた。静かに。
「お嬢様」
「なに」
「わたくしは十二年間、お嬢様を見てきました」
「うん」
「お嬢様はアレクシス陛下のことが好きです」
「え」
「ご自身では分からないかもしれません。でも、陛下の名前が出る時、お嬢様の目が変わります。少しだけ柔らかくなります」
「柔らかく」
「はい。他の誰の名前でもあの目にはなりません。陛下の名前だけです」
セレスティアは自分の頬に手を当てた。熱い。
「わたし、好きなの? アレクシスのこと」
「侍女の見解ですが、はい」
「侍女の見解」
「十二年間の観察記録に基づいています。フェリクスさまに言わせれば、統計的に有意です」
セレスティアは枕に顔を埋めた。
「ナターシャ。それ、にいさまには絶対言わないで」
「言いません。侍女の守秘義務です」
「守秘義務」
「はい。お嬢様の恋は国家機密と同等の扱いです」
「大げさ」
「大げさではありません。次期王妃の恋愛感情は、文字通り国家機密です」
セレスティアは枕から顔を上げた。
「ナターシャ」
「はい」
「ありがとう。十二年間」
「いつものことです」
「いつものことが」
「一番大事。ですよね」
セレスティアは笑った。顔が赤いまま。窓の外に星が出ていた。
初夏の夜空。




