改革法案の可決
貴族院の大議場で、セレスティアは再び壇上に立った。
「貴族院改革法案」。
世襲議席の半減。実力選抜議席の創設。貴族制度そのものを作り替える法案。
構想そのものは、三年前の摂政投票の直後からあった。イザベラが三十年分の議決を分類し、ヴィオレッタが各家の利害を記録し、シュテルン伯爵が法的な穴を洗い出してきた。
魔力教育平民開放法案が通ってから、正式な草案だけでも七度書き直した。三度の委員会差し戻し。六度の公聴会。保守派との非公開会談は二十回を超えた。現職議員の即時退任、十年以内の一斉切替、爵位との連動廃止、最初の案にあった急進的な条項は、交渉のたびに削られた。
残ったのは、空席が出た時にだけ議席を切り替える漸進案だった。セレスティア一人の演説で数百年の制度を覆す日ではない。何年も集めた証拠と、春のあいだ積み上げた妥協を、最後に採決へかける日だった。
◇
議場は満席だった。保守派、改革派、中立派。全ての議席が埋まっている。
傍聴席にも人が溢れていた。平民の傍聴が初めて許可された日。ナターシャが手配した。「国の形が変わる日は、国民が見届けるべきです」
議長席にシュテルン伯爵が座っている。かつての中立派。今は改革を支える重鎮。
「本日の議題。貴族院改革法案。提案者、アルヴェイン公爵家令嬢セレスティア」
セレスティアは壇上に立ち、議場を見渡した。百を超える視線には、敵意も期待も無関心も、それぞれの複雑な思いも浮かんでいた。
「貴族院の皆様。本日、わたしは一つの提案をします」
声が議場に響いた。
「世襲議席の半減。実力選抜議席の創設。貴族院の構造改革です」
ざわめき。保守派の席から声が上がった。
「貴族院は数百年の歴史がある! 世襲議席は貴族の権利だ!」
「世襲議席を半減? 貴族の存在意義を否定するつもりか!」
ざわめきが大きくなった。セレスティアは口を挟まず、騒ぎが収まるまで待った。
「皆様のお怒りは理解します。世襲は貴族の誇り。それを削ることは、痛みを伴う」
「痛みを『理解する』と言いながら強行するのか!」
「強行ではありません。説明させてください」
セレスティアが資料を掲げた。
「これは過去三十年間の貴族院の議決記録です。ヴァルトシュタイン子爵が法的に整理してくださった」
傍聴席の隅で、ヴァルトシュタイン子爵が小さく頷いた。
「三十年間で貴族院が否決した法案のうち、国益に反する否決が六十三件。その全てが、世襲議席の多数決で否決されています」
「それは!」
「地脈衰退の警告。平民への医療拡充。南方との外交協定。全て、否決されました。理由は既得権益の保護」
議場が静まった。
「世襲議席は能力ではなく血統で決まる。血統が優秀とは限らない。失礼を承知で申し上げますが、この議場には、議席に座る能力のない方が、血統だけで座っている」
どよめき。だが、反論は出なかった。
「実力選抜議席は能力で選ばれる議員。貴族に限らない。平民からも。才能と実績で国の舵を取る人間を選ぶ」
「平民が貴族院に? 秩序が崩壊する!」
「崩壊しません。切り替わるのは、空席が出た議席からです。今年動くのは十議席。現職の議席も、各家の領地と爵位も奪いません。世襲議席が半分になるまでには、何十年もかかる。その間ずっと、貴族が過半数を占めます。これは三度の委員会審議で、皆様の懸念を受けて加えた条項です。貴族の権利を急に断ち切るのではなく、能力ある人材を少しずつ加え、議論の質を上げる」
セレスティアは一呼吸置いた。
「皆様。わたしは貴族を否定しているのではありません。貴族がより良く機能するための改革です」
地方の小領地を預かる子爵が立ち上がった。世襲議席を守ると公言してきた保守派だったが、声に怒りはなかった。
「血統を試験に置き換えれば、公平になるとお考えか」
「少なくとも、生まれだけで決めるよりは」
「王都の学院で学んだ者に、王都の官僚が作った試験を解かせる。その結果、同じ学校の卒業生ばかりが合格するなら、名札が変わるだけだ。世襲貴族の代わりに、試験を受ける余裕のある家が議席を継ぐ」
議場の空気が引き締まった。
「地方で堤防を直してきた者より、宮廷文書の書式を暗記した者が高く評価されるかもしれない。採点者が名を隠しても、問題そのものに王都の偏りがあれば意味がない。誰が『実力』を定義するのだ」
それは、法案の中心にある言葉を突く問いだった。
セレスティアは演壇の上で、草案の余白へ視線を落とした。
「実力を一つの試験で完全に測れるとは、考えていません」
「では、欠陥のある物差しで国の議席を決めるのか」
「最初の物差しに欠陥がある可能性を、否定しません」
ざわめきが広がった。セレスティアはその声が収まるのを待った。
「だから、第一回の選抜を完成形とはしない。筆記の氏名は採点後まで伏せ、出題内容、配点、出身地域別の結果を公開する。候補者には採点への異議申立てを認め、独立監察官の検査が偏りを認めた場合は、選抜そのものを無効にできる条項を加えます」
「無効にすれば、議席が空く」
「誤った選抜で埋めるより、空けてやり直します。制度の失敗を隠さないことまで含めて、改革です」
子爵は厳しい表情のまま座った。
「私は反対票を投じる。だが、その条項は議事録に残してもらう。通った後に、なかったことにされては困る」
「残します。最初の試験結果と一緒に、必ず公表します」
◇
最終討議は三時間に及んだ。それ以前の委員会と公聴会で費やした時間は、百時間を超えている。
保守派が反対論を展開し、中立派が質問を重ね、改革派が支持演説を行った。やがてヴィオレッタが扇を閉じて立ち上がった。
「モンテヴェルデ侯爵家はこの法案を支持します。侯爵家は三百年の歴史を持つ。だが、三百年の歴史に胡座をかくことを、父は望んでいない」
ヴィオレッタの父、モンテヴェルデ侯爵が傍聴席で静かに頷いた。
イザベラが資料を配った。行政効率の分析。世襲議員と実力議員の政策提案比較。数字が雄弁に語っていた。シュテルン伯爵が中立派をまとめた。
「かつての摂政投票で、この議場は変わった。投票の途中で立ち上がった九歳の王太子の声が、この国を動かした。私はあの声を聞いてから投票箱に向かった一人だ。今日、再び、この議場が変わる時だ」
そしてアレクシスが立った。国王の席。議場の最上段。
「貴族院の皆様」
全員が国王を見た。
「この国は変わらなければならない。痛みを伴う。混乱もある。だが、未来のために」
アレクシスの目が議場を巡った。
「五十年後。この国がどうなっているか。魔力が。制度が。人々の暮らしが。それを決めるのは、今日の決断です」
アレクシスは一度言葉を切り、反対派の席まで見渡した。
「私はこの法案を支持する。国王として。そしてこの国の未来を信じる一人の人間として」
改革派と中立派から拍手が起きた。保守派は加わらなかったが、反論もしなかった。
◇
投票。記名投票。一人ずつ、名前を呼ばれ、賛成か反対を表明する。
時間はかかったが、全員が自分の名前と選択を投票へ刻んだ。票を数え終えると、議長シュテルン伯爵が結果を読み上げた。
「賛成二十九票。反対二十一票。棄権二票」
明確な差だった。だが、最初からあった差ではない。ヴィオレッタたちが一票ずつ積み上げ、条文を削り、反対派にも逃げ道を残して、ようやく作った差だった。
「貴族院改革法案可決」
歓声と怒号に議場が揺れた。保守派の一部は怒りを足音に表して退場したが、大多数は席に残った。
セレスティアは壇上に立ったまま深呼吸した。
◇
議場を出ると、廊下ではヴィオレッタ、イザベラ、リディア、アネリーゼ、ナターシャが待っていた。
「可決したわ」ヴィオレッタが扇を開いた。微笑んでいる。
「おめでとうございます、セレスティアさま」アネリーゼが両手を合わせた。
「数字が物を言ったわね」イザベラが腕を組んだ。だが、口元が緩んでいる。
「外交協定の件も、これで動きやすくなります」リディアが小さく頷いた。
「みんな、ありがとう」
「お礼はいらない」
五人が同時に言った。セレスティアは笑った。
「被った」
五人も笑った。だが、笑い声が収まる前に、イザベラは議事録係から分厚い清書を受け取った。
「公開条項と無効条項。どちらも入っているわ」
廊下の向こうでは、先ほど反対票を投じた子爵が、事務官へ同じ箇所を確認していた。
法案へ賛成した者だけが、これからの制度を見張るのではない。
セレスティアは清書の該当箇所へ、自分の署名を加えた。




