イザベラの再出発
王宮。行政局。
イザベラは机に向かっていた。
書類が山のように積まれている。税収報告。人事異動。予算配分。地方からの陳情書。
王宮行政官。宰相が三十年間独占していた行政の仕事を、イザベラが引き継いでいる。
正確には「引き継ぐ」ではない。「作り直す」。
「宰相の行政機構は、一人の天才のためのシステムだった。わたしが作るのは、普通の人間が運用できるシステム」
◇
朝。行政局の会議室。
イザベラの部下が十二名。
全員がイザベラより年上。最年少でも二十八歳。最年長は五十五歳。
十六歳の少女が十二人の大人を指揮している。
「昨日の報告を確認します。北東部の税収回復率は?」
「八割まで戻りました。イザベラ殿の緊急徴税令が効いています」
「八割。あと二割の原因は」
「ブレーメン伯爵領です。まだ協力的ではない」
「ブレーメン伯爵には別のルートで接触中。今週中に結論が出ます」
部下たちが頷いた。
最初は反発があった。十六歳の少女に命じられることへの抵抗。「宰相の娘が偉そうに」という陰口。
だがイザベラは仕事で黙らせた。
行政機構の弱点を指摘した。改善案を出した。数字で証明した。宰相の娘だからこそ知っている、三十年の仕組みの全てを。
一ヶ月で誰も文句を言わなくなった。
「次。行政機構の再編案。第三次草案を配布します」
書類が配られた。
イザベラの改革案。宰相が一人で握っていた権限を、五つの部局に分散させる。
財務局。人事局。地方行政局。監査局。そして情報局。
「監査局が新設ですか」
部下の一人が聞いた。
「はい。お父様の仕組みには、監査機能がなかった。一人の宰相が全てを決め、誰もチェックしなかった。だから腐敗した」
イザベラの声が平坦だった。
「監査局は独立性を持ちます。他の四局の仕事をチェックする権限。不正があれば、直接国王に報告する」
「宰相のような人間が二度と現れないように」
「はい。そのための仕組みです」
「イザベラ殿」
年長の部下が口を開いた。五十五歳。宰相時代から行政に携わっていた男。
「宰相閣下は確かに間違いを犯した。だが、この国を三十年間動かしたのも事実だ。あなたは、父上のことを」
「愛しています」
イザベラが即答した。
会議室が静まった。
「父を愛しています。父を告発しました。——両方が本当です。それは法廷で言いました」
「……はい」
「父の才能は認めます。父の功績も認めます。でも、父の方法は認めません。だから正しい方法で、作り直す。それが、わたしの贖罪です」
沈黙。
年長の部下が頭を下げた。
「……承知しました。イザベラ殿に従います」
◇
昼。
イザベラは王宮の中庭で昼食を取っていた。
一人で。ベンチに座って。パンとチーズ。
「イザベラ」
声がした。セレスティアだった。
「何してるの。一人で」
「昼食。忙しくて、食堂に行く時間がなくて」
「一緒に食べていい?」
「いいけど、あなたも忙しいでしょう」
「忙しい。でも、昼食は友達と食べる。アルヴェイン家のルール」
「そんなルールないでしょう」
「今作った」
セレスティアが隣に座った。ナターシャが二人分の紅茶を持ってきた。
「はい。蜂蜜入り」
「ナターシャ。いつの間に」
「侍女ですから」
パンを齧った。チーズを食べた。紅茶を飲んだ。
「イザベラ。行政改革の草案、読んだよ」
「どうだった」
「素晴らしかった。監査局の独立性が特に」
「でしょう。お父様のシステムの最大の弱点は、チェック機能の不在だった」
「イザベラだからこそ分かること」
「うん。お父様の娘だから」
イザベラがパンを見つめた。
「セレスティア」
「何」
「お父様に、会った?」
「会っていない。まだ」
「いつか会うの?」
「いつか。聞きたいことがある。でも、今じゃない」
「そう」
イザベラの目が遠くなった。
「わたしも、会いたいような、会いたくないような」
「無理しなくていい」
「無理じゃない。ただ、まだ準備ができていない。わたし自身の仕事を見せられるようになってから、会いたい」
「仕事を見せる」
「うん。『お父様、わたしはあなたの仕組みを正しく作り変えました』って。胸を張って言えるようになってから」
セレスティアが微笑んだ。
「言えるよ。絶対に」
「根拠は」
「根拠はイザベラだから」
「それは根拠じゃない」
「根拠よ。わたしにとっては」
イザベラの目が潤んだ。
「泣かないよ」
「泣いていいよ」
「泣かない。昼休みだもの。泣く暇はない」
「昼休みに泣くくらいの暇はある」
「ない。五分後に会議がある」
「五分。忙しすぎるよ、イザベラ」
「お父様は三分で食事を終わらせていた。五分なら余裕」
「余裕じゃない」
二人で笑った。
中庭で。パンを手に持ったまま。
「セレスティア。ありがとう」
「何が」
「一緒に食べてくれて。お父様は、一人で食べていた。いつも。だからわたしも一人で食べる癖がついて」
「これからは一緒に食べよう。毎日」
「毎日は無理」
「じゃあ、できる日は」
「できる日は、うん。約束」
「約束」
小指を出した。
イザベラが小指を絡めた。
「子供みたいね」
「子供よ。まだ十六歳だもの」
「そうね。まだ十六歳」
「行ってくる。会議」
「行ってらっしゃい。頑張って」
イザベラが立ち上がった。パンの残りを口に押し込んで。
「行儀悪い」
「お父様に似た。行儀の悪さだけ」
走っていった。黒い髪がなびいて。
セレスティアはベンチに残って、紅茶を飲んだ。
「イザベラ。強いね」
呟いた。
セレスティアは立ち上がった。
午後の仕事に戻る。
歩いた。




