アレクシスの戴冠
遺言が開封された。
『我が息子アレクシスを次の王とし、直ちに王位を継がせる。公爵ライナルトを摂政とする。
アレクシスが十六歳に達し親政を始めるまで、摂政が若き王の国政を補佐する。
我が臣民よ、若き王を支えてやってくれ。』
◇
戴冠式の準備は三週間で整えられた。
通常は半年かかる。だが国の安定のために、急がなければならなかった。
セレスティアは準備の全てに関わった。
式次第。招待客の選定。警備。外交使節の受け入れ。
イザベラが行政面を整え、ヘルマンが式典の段取りを組み、ニコラスが警備を統括した。
「お嬢様。衣装の件です」
ナターシャが衣装部屋でセレスティアの前に立った。
「戴冠式には婚約者として殿下の隣に立ちます。王族に準ずる衣装が必要です」
「婚約者」
セレスティアは鏡の前に立った。
白と青のドレス。王家の色。金の刺繍。肩にはアルヴェイン家の紋章。
「きれい」
「はい。お嬢様は、お綺麗です」
「ナターシャに言われると照れる」
「事実を述べているだけです。お母様に似てきました」
リリアーナも隣で微笑んでいた。
「セレスティア。あなたが生まれた日を思い出すわ」
「おかあさま」
「あんなに小さかったのに。もう、こんなに大きくなって」
リリアーナの目が潤んだ。
「おかあさま。泣かないで」
「泣いてないわ。嬉しいだけ」
「嬉しくて泣くの?」
「嬉しくて泣くのよ。いつだって」
母と娘が微笑み合った。
「おかあさま。行ってくるね」
「行ってらっしゃい。堂々と」
◇
戴冠式当日。
王都大聖堂。
千人を超える参列者。貴族。騎士。聖職者。外交使節。そして、平民の代表。
アレクシスが聖堂の中央通路を歩いた。
白と金の礼服。王家の剣を腰に。十五歳の少年。
だが歩みは揺るがなかった。
セレスティアはその半歩後ろを歩いた。
婚約者として。王の隣に立つ者として。
心臓が鳴っていた。とくん。とくん。
祭壇に着いた。
大神官シルヴェストルが待っていた。
「アレクシス・レグナシオン。王国の後継者よ。ここに問う」
大神官の声が聖堂に響いた。
「汝はこの国の民を守り、導く覚悟があるか」
「あります」
アレクシスの声は真っ直ぐだった。
「汝は法と正義に基づき、公正に統治する覚悟があるか」
「あります」
「汝は過去の過ちに学び、未来を拓く覚悟があるか」
「あります。過去に学びます。同じ過ちは繰り返しません」
大神官が冠を手にした。
金の冠。七つの宝石。王国の七州を象徴する石。
「ここにアレクシス一世の戴冠を宣する」
冠がアレクシスの頭に載せられた。
聖堂が沈黙した。
一瞬の静寂。
そして、歓声。
「陛下万歳!」
「アレクシス一世万歳!」
千人の声が聖堂を揺らした。
アレクシスが振り返った。
セレスティアの目を見た。
「——ここまで来た」
声はセレスティアにしか聞こえなかった。
「うん。ここまで来た」
セレスティアの目から涙がこぼれた。
◇
アレクシスが壇上で振り返った。参列者に向かって。
「ここに王国の新たな時代を宣言する」
声が聖堂に響いた。十五歳の声。だが王の声。
「わたしは一人で王をやるつもりはない」
参列者がざわめいた。
「父上の遺言にもある。仲間と共に。家族と共に。一人で全てを背負えば、いつか間違える。宰相のように」
議場が静まった。
「わたしは間違える王かもしれない。だが、間違えた時に戻れる王でありたい。仲間が『間違っている』と言ってくれる王でありたい」
セレスティアは壇上の横に立っていた。
「この国を変える。痛みを伴うかもしれない。だが、二度と安定のために人を殺す国には、しない」
参列者の中に全ての仲間がいた。
最前列。母リリアーナ。涙を流している。父ライナルトが妻の肩に手を置いている。
エドヴァルトが鎧姿で立っている。妻ベアトリクスが隣に。フェリクスが眼鏡を押し上げている。また曇っている。
ヴォルフが扉の傍に立っている。寡黙な護衛騎士。表情は変わらない。でも目が少しだけ、優しい。
ナターシャがセレスティアの後ろに立っている。灰色の瞳。涙は流していない。でも目が赤い。
マルガレーテがナターシャの隣に。白髪交じりの元侍女長が静かに微笑んでいる。
ヴィオレッタが貴族席にいる。扇で口元を隠しているが、目が笑っている。
リディアが外交使節の席に。亡国の姫がこの国の未来を見ている。
アネリーゼが神殿の席に。白い衣。金色の髪。光を纏ったような微笑み。
コンラートが近衛騎士の席に。正装の鎧。目が真っ直ぐに、王を見ている。
イザベラが行政官の席に。宰相の娘が新しい王の時代を見ている。
そして。
聖堂の外。石段。
フリーデリケが手を振っていた。
聖堂には入れない。招待状がないから。でも、石段で待っていた。
小さな布の包み。多分、パン。
セレスティアには見えた。
窓越しに。フリーデリケの笑顔が。
「全員いる」
呟いた。
「変えられた。ここまでは」
涙が止まらなかった。
ナターシャがハンカチを差し出した。白いハンカチ。ラベンダーの匂い。
「お嬢様。泣いてもいいですよ。今日は」
「泣いてない。嬉しくて目から水が」
「それを泣いていると言います」
「……うん。泣いてる」
泣いた。
◇
戴冠式の後。
晩餐会。王宮の大広間。
セレスティアはアレクシスの隣に座った。王の隣。
「陛下」
「その呼び方、まだ慣れない」
「慣れてください。陛下」
「セレスティア。二人の時は、殿下でいい」
「もう殿下じゃないでしょう」
「じゃあアレクシスで」
「……恥ずかしい」
「俺が言ったんだ。恥ずかしいのは俺の方だ」
二人で赤くなった。
晩餐会の大広間で。千人の前で。
「陛下。顔が赤いですよ」
コンラートが後ろから言った。
「うるさい」
「セレスティアも赤い」
「コンラート、黙って」
コンラートが笑った。
◇
晩餐会の後。
聖堂の裏手。石段。
フリーデリケがまだ待っていた。
「セレスちゃん!」
「フリーデリケ。まだいたの」
「約束したでしょう? 石段で待ってるって」
布の包みを開いた。蜂蜜くるみパン。六人分。
「できたの! 新作! くるみを蜂蜜に漬けてから焼いたの。カリカリになるの」
「おいしそう」
アレクシスが来た。コンラートが来た。ナターシャが来た。
五人で石段に座った。
石段でパンを食べた。
「おいしい」
「でしょう!」
「フリーデリケ、天才」
「殿下、じゃなくて陛下。食べてからにしてくださいよ」
「食べる前から分かる。匂いで」
「フリーデリケ。また焼いて」
「もちろん! 次は何がいい?」
「何でもいい。フリーデリケが焼いたパンなら」
「じゃあチョコレートパン。セレスちゃんが好きでしょう?」
「好き」
「来月焼くね。また来てね」
「来る。絶対来る」
「約束!」
セレスティアは手帳を開いた。
『アレクシスの戴冠。
全ての仲間がいた。全員の顔が見えた。
変えられた。ここまでは変えられた。
でもまだ途中。
今夜は、石段で、蜂蜜くるみパンを食べた。
五人で。』
ペンを置いた。
星が出ていた。春の夜空。
フリーデリケが隣で笑っている。アレクシスがパンを齧っている。コンラートが見張りをしている。ナターシャが紅茶の水筒を開けている。
「おやすみ」はまだ言わない。
もう少しだけ、この石段にいたい。
もう少しだけ、この夜を。
この温かい夜を。




