国王の崩御
春。
反乱鎮圧から二ヶ月。王国は少しずつ、安定を取り戻していた。
イザベラの緊急徴税令が機能し始め、税収が回復しつつある。リディアの不可侵条約で南方の緊張が緩和された。ルシアンは王宮に戻り、謹慎ではなく療養という形で、静かに暮らしている。
だが。
国王レオナルド三世の容態が悪化した。
長い闘病。もう何年も、王は病床にあった。宰相がいた頃は宰相が全てを代行していた。王妃エレオノーラが摂政を務めてから一時は小康を取り戻したものの、完全な回復は見込めなかった。
春の初め。桜が咲き始めた頃。
王宮から使者が来た。
「公爵閣下。陛下の容態が急変しました。王族と重臣の参内をお願い申し上げます」
ライナルトが立ち上がった。
「行こう」
公爵一家が王宮に向かった。
◇
王の寝室。
広い部屋だった。天蓋付きの大きな寝台。白い寝具。窓から春の陽光。
レオナルド三世は寝台に横たわっていた。
痩せていた。三歳の頃に謁見で見た時は、まだ堂々とした体躯だった。今は骨と皮に近い。
だが目は開いていた。
青い目。アレクシスと同じ色の目。
王妃エレオノーラが寝台の横に座っていた。王の手を握っている。
アレクシスが反対側に立っていた。
「父上」
「アレクシス。来たか」
王の声はかすれていた。だが、穏やかだった。
「来ました。お加減は」
「もう長くない。自分の体だ。分かる」
「父上」
「泣くな。王は泣かないぞ」
「泣いていません」
「嘘がまだ下手だな。母上に似た」
エレオノーラが微笑んだ。涙を流しながら。
「陛下。泣かせないでくださいな」
「すまんな。エレオノーラ。お前には苦労をかけた」
「苦労ではありません。陛下のそばにいられて、幸せでした」
王が妻の手を握った。
「アレクシス」
「はい」
「お前に遺言がある」
「父上、まだ」
「まだ、ではない。今言わなければ、言えなくなる」
王が目を閉じた。一度。そして開いた。
「お前を次の王とする」
「公爵ライナルトを摂政とする。お前が十六歳になり親政を始めるまで、お前を支えさせる」
「父上」
「アレクシス。お前は、良い王になる」
「なれるでしょうか」
「なれる。お前には、母がいる。公爵がいる。そして」
王の目がセレスティアを見た。
セレスティアは部屋の隅に立っていた。公爵一家と共に参内したが、寝台には近づかなかった。
「アルヴェインの娘」
「はい。陛下」
「お前がこの国を変えたのだな」
「わたくしは仲間と共に」
「謙虚だな。父親に似ている」
王が微笑んだ。
「アレクシス。あの娘を、大切にしろ」
アレクシスの耳が赤くなった。
「父上。今、そういう話を」
「今しか言えんからな。遺言だ。聞け」
「……はい」
「国を変えろ。——わたしにはできなかった。宰相に任せるしかなかった。だがお前にはできる。仲間がいるから」
「仲間」
「一人で王をやるな。一人でやると、宰相のようになる。仲間と共に。家族と共に。そうすれば、間違えても戻れる」
王の声が小さくなった。
「エレオノーラ」
「はい」
「ありがとう。良い妻だった」
「わたくしこそ。良い夫でした」
「嘘だな。病気ばかりの夫が、良い夫のわけがない」
「嘘ではありません。陛下は、いつも笑っていてくださいました。それだけで十分です」
王の目が潤んだ。
「ルシアンは」
「隣の部屋にいます。会いますか」
「呼んでくれ」
ルシアンが呼ばれた。
部屋に入ってきた。十七歳の少年。痩せている。目が怯えている。
「父上」
「ルシアン。近くに来い」
ルシアンが寝台に近づいた。恐る恐る。
「父上。僕は、反乱軍に」
「知っている。だが、お前は帰ってきた。それでいい」
「許してくれるの」
「許すも何もない。お前はわたしの息子だ。それは変わらない」
ルシアンの涙がこぼれた。
「父上」
「アレクシスと仲良くしろ。喧嘩するな。家族は味方だ」
「はい」
「良い子だ」
王が息子の頭を撫でた。
痩せた手で。最後の力で。
◇
その日の夕刻。
国王レオナルド三世は崩御した。
享年四十八。在位二十三年。
長い闘病の末の穏やかな最期だった。
王妃エレオノーラの手を握ったまま。目を閉じた。
◇
国葬は三日後に行われた。
王都の大聖堂。王国中から人が集まった。
白い花が聖堂を埋めた。百合。薔薇。そしてラベンダー。
アレクシスは黒い礼服で立っていた。正面。王の棺の前。
セレスティアは傍聴席にいた。ナターシャと。家族と。
アレクシスの顔を見た。
泣いていなかった。泣くのを堪えていた。王太子として。
「殿下」
小さく呟いた。
国葬の最後にアレクシスが壇上に立った。
「父上。ありがとうございました」
短い言葉。それだけ。
聖堂が静まった。
「父上の遺志を継ぎます。この国を守ります」
それだけ言って壇上を降りた。
セレスティアはアレクシスの目を見た。
赤かった。泣いた跡がある。
でも今は泣いていない。
◇
国葬の後。
聖堂の裏手。石段。
アレクシスが座っていた。一人で。黒い礼服のまま。
セレスティアが隣に座った。
何も言わなかった。
しばらく二人で石段に座っていた。
春の風が吹いた。桜の花弁が一枚、風に乗って飛んできた。
「セレスティア」
「なに」
「父上が死んだ」
「うん」
「泣いていいか」
「泣いていいよ」
アレクシスが泣いた。
声を殺して。肩を震わせて。十五歳の少年が。
セレスティアは何も言わなかった。
ただ隣にいた。
手が触れた。石段の上で。指先だけ。
「セレスティア」
「なに」
「ここにいて。もう少しだけ」
「いるよ。——ずっと」
「殿下。パン、食べる?」
「パン? こんな時に」
ポケットから小さな紙包みを出した。
「フリーデリケのラベンダー蜂蜜パン。今朝届いたの」
「今朝」
「うん。偶然だけど。偶然って、こういう時に起きるの」
アレクシスがパンを受け取った。
一口齧った。
「甘い」
「でしょう?」
「甘い。なんでこんなに甘いんだ」
また泣いた。パンを齧りながら。
「泣きながらパンを食べる王太子。前代未聞だね」
「うるさいぞ」
二人で泣きながらパンを食べた。石段で。春の風の中で。




