閑話 天幕の夜 エドヴァルト視点
エドヴァルト視点。
包囲十三日目。夜明け前。
南方の砦の包囲陣。天幕の中。
エドヴァルト・フォン・アルヴェインは机に向かっていた。
蝋燭が一本。
揺れる炎。揺れる影。
机の上に書類。王都への報告書の下書き。
◇
コンラートが天幕に戻ってきたのは、一時間前だった。
ルシアンを連れて。マティアスを拘束して。
ルシアンは別の天幕で眠っている。コンラートの部下が番をしている。
マティアスは縛られて、外の囲いの中にいる。
反乱は、実質的に終わった。
◇
コンラートが額の布を整えながら、天幕の入り口から顔を出した。
「まだ起きていたんですか」
「報告書を書く」
「明朝でも間に合います」
「今書く」
コンラートが入ってきた。
椅子に座った。
「エドヴァルト殿」
「何だ」
「セレスティア殿のことを考えているんですか」
エドヴァルトはペンを止めた。
「余計なことを言うな」
「顔に出ています」
「出ていない」
「出ています。包囲の間中、ずっとそういう顔をしていました」
◇
沈黙。
蝋燭の炎が揺れた。
エドヴァルトはペンを置いた。
「今頃、何をしているだろうと思っていた」
「セレスティア殿が」
「王都で。貴族院の反発を抑えながら。宰相派の残党に備えながら。ルシアンの件が解決するまで、眠れないだろう」
「そうですね」
「俺たちが南方にいる間、全部一人で引き受けている」
「ナターシャ殿もいます。ヴォルフもいます」
「そうだな」
「一人ではありません。ただ、大変なことには変わりない」
「……ああ」
◇
コンラートが言った。
「俺は、あの方のためなら、また城塞に入ります。何度でも」
「コンラート」
「妹殿が守ろうとしているものを、俺たちが守る。それだけです」
エドヴァルトは何も言わなかった。
返す言葉がなかった。
「……お前は本当に余計なことを言う」
「分かっています」
コンラートが立ち上がった。
「エドヴァルト殿。俺は眠ります。報告書が終わったら休んでください」
「分かった」
「殿下を連れ帰ったら、早く王都に戻りましょう。妹殿の顔を見てあげてください」
「余計なことを言うな」
「分かっています」
コンラートが出ていった。
◇
天幕が静かになった。
外で、篝火が揺れている。
見張りの兵の足音が遠くで聞こえる。
エドヴァルトはペンを持ち直した。
書類の宛先を書いた。
アレクシス殿下。そして。
セレスティアへ。
◇
三歳の頃を思い出した。
あの朝。
娘が父の書斎に来た。
「おとうさまに、おはなしがあります」
エドヴァルトは廊下でそれを聞いていた。
三歳の妹が、父に「おはなし」をしに来た。
珍しいと思った。それだけだった。
その後、父が書斎から出てきた時の顔を覚えている。
何か考え込んでいるような顔。
理由を聞かなかった。
◇
今なら分かる。
あの朝、妹は何かを父に話したのだろう。
前世のことではないにしても、何かを。
「おとうさまに、おねがいがあります」
そういう言葉だったかもしれない。
三歳の体で、前世の記憶を抱えて。
何を父に頼もうとしたのか。
母を守ってほしい、と言ったのかもしれない。
◇
エドヴァルトは書いた。
「ルシアン殿下、保護完了。健康状態、軽度の衰弱あるが命に別状なし。明朝、残存部隊の降伏を受理する予定。マティアス、拘束済み。処遇は帰還後、王都の裁定に委ねる。」
ペンを止めた。
次の行。
「妹殿セレスティア・フォン・アルヴェインへ。」
◇
何を書くべきか、考えた。
一行しか書けなかった。
「よくやった。」
それだけ書いた。
よくやった。
三歳から十一年。
一人で、誰にも言えない秘密を抱えて、戦い続けた。
俺には出来なかっただろう。
エドヴァルトは自分のことを知っている。
剣を持つことが得意だ。命令を出すことが得意だ。前線を維持することが得意だ。
だが、一人で誰にも言えないまま戦い続けることは。
出来なかっただろう。
◇
報告書を折った。
封をした。
明朝、早馬で王都へ。
蝋燭を吹き消した。
暗くなった。
天幕の入り口を開いた。
外に出た。
◇
南方の夜空。
王都より星が多い。空気が冷たい。
砦の周囲に、エドヴァルトの部隊がいる。篝火が点々と光っている。
ルシアンが眠っている天幕が見える。
明日、あの子を連れて帰る。
兄の待つ王都へ。
◇
帰ったら。
妹の顔を見る。
「よくやった」と言う。
口で。
五文字で。
手紙には書いた。
でも、口で言いたい。
あいつの顔を見ながら。
◇
星を見上げた。
冷たい夜。
南方の星は大きかった。
エドヴァルトは少しだけ、空気を吸った。
深く。
それから天幕に戻った。




