閑話 城塞の夜 ルシアン視点
包囲八日目。
東の塔の窓は高い位置にある。外を見るには椅子に立たなければならない。
ルシアンは立っていなかった。ベッドの縁に座ったまま、天井を見ていた。
腹が減っていた。三日前から食事の量が減っている。マティアスは「供給が一時的に滞っている」と言ったが、嘘だ。包囲されているから入らないだけだ。
壁の外から、遠く、兵士たちが動く音がする。夜でも消えない音だった。
◇
最初の三日は歓迎された。
「殿下のご到着を心よりお待ちしていました」とマティアスが言った。兵士たちが整列した。「正統な王位継承者のために戦う」という言葉が飛んだ。
浮かれていた。
城を出て行くとき、ルシアンは何かを期待していた。ここに来れば、「お前が必要だ」と言ってくれる人間がいると思った。宰相が言ってくれた言葉を、別の誰かが言ってくれると。
だが四日目から会議に呼ばれなくなった。
「詳細は複雑なため、殿下にはご負担をお掛けしたくない」とマティアスは言った。丁寧だった。だが部屋の扉が閉まった後、廊下から声が漏れた。
「余計なことを言わないよう、情報は絞れ」
壁は薄かった。
食事を運んでくる兵士の目が変わった。彼らはルシアンを「殿下」と呼んだ。だがその目は、旗を見る目だった。翻るべき場所に立ってさえいれば良い、というような。
母に「あなたは間違っている」と言われた夜から逃げてきた。
だが逃げた先でも、一人だった。
◇
六日目。マティアスが部屋を訪ねた。
「ルシアン殿下。我々はこの戦いに勝ちます。殿下には玉座に就いていただく。全ては殿下のために」
ルシアンは聞いた。
「マティアス。あなたは本当に、僕のために戦っているの」
マティアスが少し止まった。
「もちろんです」
「なら、会議に呼んで。難しくても聞きたい」
「また機会を。殿下には休んでいただきたい」
扉が閉まった。
その目が、どんな目だったか、ルシアンはずっと考えていた。
「殿下」と呼ぶ目。使える道具を確認する目。
宰相も、同じ目をしていた。
◇
七日目の夜。
扉を叩く音がした。三回。間隔が一定。夜番の兵士とは違うリズム。
「誰」
「手紙を届けに来ました。アルヴェイン公爵家からです」
扉の隙間から封筒が差し込まれた。
王太子の印璽があった。
ルシアンは封筒を見つめた。しばらく動けなかった。開ければ、罵倒かもしれない。「戻ってこい」という命令かもしれない。「お前のしたことが分かっているのか」かもしれない。
それでも開けた。
◇
短い手紙だった。
『ルシアンへ。
お前は必要だ。
家族として。
僕の家族として。
帰ってこい。
アレクシス』
それだけだった。
罵倒はなかった。「お前は間違っていた」という言葉もなかった。条件もなかった。
ただ、五行。
◇
宰相は言った。「お前には価値がある」と。
あの言葉が嬉しかった。
マティアスも言った。「正統な王位継承者のために戦う」と。だが、会議に呼ばれなかった。扉の向こうから、声が漏れた。「余計なことを言わないよう」と。
アレクシスは書いた。「家族として」と。
◇
目が熱くなった。
泣くつもりはなかった。でも手紙を握りしめたまま、少しだけ泣いた。
誰にも見えない場所で。東の塔の、高い窓の下で。
◇
明け方。
天井の近くに明かりが差し始めていた。
手紙を畳んで、服の胸元に入れた。
見つかるかもしれない。それでも手放せなかった。
いつか誰かが来るかもしれない。来ないかもしれない。帰れるかどうかも分からない。
でも——帰りたい。
兄が待っている。




