アネリーゼの奇跡
ブラウンヴァルト城塞。包囲七日目。
負傷者が増えていた。
城塞からの散発的な矢の攻撃。夜間の奇襲。小規模だが、確実に王国軍を削っている。
野戦病院は天幕三張り。足りない。
軍医が二人。治癒師が一人。圧倒的に足りない。
「治癒師の増援を要請したが、王都からは来ない。人手が足りないと」
エドヴァルトが苛立ちを隠さなかった。
「負傷者は四十二名。うち重傷が七名。軍医二人では手が回らない」
「神殿に要請は」
「した。だが、返答に三日かかると」
コンラートが天幕の外で立っていた。
「エドヴァルト殿。神殿の治癒師が来ます」
「来る? 返答に三日と」
「正式な派遣ではありません。個人の志願です」
「個人?」
天幕の入口に——白い衣の少女が立っていた。
金色の髪。翠の瞳。光を纏ったような存在感。
「アネリーゼ。神殿治癒師として参りました」
エドヴァルトが目を見開いた。
「アネリーゼ殿。お前、なぜここに」
「負傷者がいると聞きました。わたくしの光魔力は、治癒に特化しています。お役に立てます」
「だが、戦場だぞ。危険だ」
「危険は承知しています。でも、傷ついた人を放っておけません」
アネリーゼの目が真っ直ぐだった。
エドヴァルトはしばらく見つめて、頷いた。
「分かった。だが、護衛をつける。絶対に前線には出るな」
「はい。ありがとうございます」
◇
アネリーゼは重傷者の天幕に入った。
七名。うち三名が意識がない。
一人目。腹に矢を受けた兵士。傷口は塞がれたが、感染が進んでいる。
アネリーゼが手を翳した。
光が手から溢れた。
温かい光。金色の光。天幕の中が、一瞬、明るくなった。
兵士の顔色が変わった。灰色だった肌に血色が戻った。
「熱が下がっていく」
軍医が目を見開いた。
「信じられない——。感染が治癒している」
二人目。三人目。四人目。次々と。
重傷者七名全員に光を注いだ。
天幕を出た時、アネリーゼの額に汗が浮いていた。顔色が少し青い。
「大丈夫か」
コンラートが声をかけた。
「大丈夫です。少し疲れただけ」
「無理をするな。お前が倒れたら」
「倒れません。まだ、軽傷者が三十五名います」
「三十五名を全員やるつもりか」
「はい」
「休め。明日でもいい」
「明日まで待てない人もいます。感染が進めば、手遅れになります」
アネリーゼは軽傷者の天幕に向かった。
コンラートは止められなかった。
「止められないな」
呟いた。
◇
軽傷者の天幕。
三十五名。全員に、光を注いだ。
一人ずつ。丁寧に。手を取って。傷に触れて。
「痛くないですか」
「大丈夫です。温かい」
「よかった。もう少しだけ」
兵士たちがアネリーゼを見つめていた。
白い衣。金色の髪。温かい光。
「聖女——」
誰かが呟いた。
「聖女さまだ」
その言葉が天幕の中に広がった。
アネリーゼは立ち止まった。
「わたくしは聖女ではありません」
声は穏やかだが、強かった。
「ただの治癒師です。特別な人間ではありません。手を翳せば光が出る。それだけです」
兵士たちが黙った。
「聖女という言葉は重すぎます。わたくしは、ただ傷ついた人を治したいだけです。敵も味方も関係なく」
「敵も?」
一人の兵士が聞いた。
「はい。傷ついた人に敵も味方もありません。命は同じです」
◇
翌日。
城塞からの投降者があった。
五名。傭兵。怪我をしている者もいた。
エドヴァルトが尋問した。
「なぜ投降した」
「城塞の中はひどい。食料が減っている。怪我人の手当てもろくにできない。マティアスは自分の護衛にしか食料を回さない」
「ルシアン殿下は」
「殿下は部屋に閉じ込められている。マティアスが『安全のため』と言って。でも、実質的に監禁だ」
「監禁」
「殿下は手紙を受け取った。王太子殿下からの。あの手紙を読んでから——殿下の態度が変わった。マティアスと口を利かなくなった」
「投降者に怪我人はいるか」
エドヴァルトが聞いた。
「二名。切り傷と打撲」
「アネリーゼ。治療を頼む」
アネリーゼが投降者の元に行った。
傭兵たちが怯えた目で見た。
「敵の治癒師が俺たちを治すのか」
「敵ではありません。あなたたちは投降した。もう敵ではない」
アネリーゼが手を翳した。光が傷を癒した。
傭兵の目が潤んだ。
「こんな。俺たちは反乱軍なのに」
「傷は傷です。治すのが、わたくしの仕事です」
投降者たちの中に動揺が広がった。
王国軍は投降者を殺さない。傷も治す。食事も与える。
この情報が城塞の中に伝わった。
投降者が増え始めた。
◇
王都。
セレスティアはアネリーゼの報告を読んだ。
「アネリーゼが戦場で治癒を。敵味方問わず」
「はい。投降者への治療が、城塞内の士気を削いでいます。『投降すれば命は助かる。傷も治してもらえる』と」
「アネリーゼの光が剣より効果的に、反乱軍を崩している」
ナターシャが微笑んだ。
「アネリーゼさまらしいですね」
「うん。あの子は、いつもそう。敵も味方も関係なく、傷ついた人を助ける」
「聖女と呼ばれ始めているそうです」
「アネリーゼは嫌がるだろうね」
「嫌がっているそうです。『ただの治癒師です』と」
セレスティアが笑った。
「アネリーゼ。——あなたも、世界を書き換えてるのよ」
小さく呟いた。
「お嬢様。全員が、お嬢様の仲間です」
「仲間。わたしの仲間」
「はい。お嬢様が、一人ずつ、手を取ってきた仲間です」
セレスティアの目が潤んだ。
「泣かないよ。まだ終わってないから」
「はい。まだ終わっていません」
ナターシャが紅茶を差し出した。
蜂蜜入り。
「飲んでから、次の仕事を」
「うん。飲んでから」
甘かった。いつも通り。




