エドヴァルトの出陣
ブラウンヴァルト城塞まで四日の行軍。
エドヴァルトは先頭を行軍した。騎士団百五十名。冬の街道。北東へ。
二日目の夜。野営地。
焚火の前で副官のアルベルトが報告した。
「エドヴァルト様。王宮騎士団との合流地点まで、あと二日です。コンラート騎士が先発隊三十名を率いて、すでに到着しているとのこと」
「コンラートが先に着いたか。あの男は動きが速い」
「近衛騎士としての初陣です。張り切っているのでは」
エドヴァルトは焚火を見つめた。
コンラート。妹の護衛騎士。王太子の側近。剣の腕はエドヴァルトも認める。
だが初陣。
戦場を知らない男が人を斬る。
「アルベルト」
「はい」
「コンラートに伝えろ。『初めて人を斬った後、吐くのは恥じゃない』と」
「……はい」
エドヴァルトは自分の初陣を思い出した。
十五歳。領地の国境で盗賊の討伐。
初めて剣で人を斬った。
血が飛んだ。温かかった。そして気持ち悪かった。
戦いの後、木の陰で吐いた。何度も。
父ライナルトが背中を叩いてくれた。
「吐けるのは——まだ人間の証だ。吐けなくなったら、お前は騎士ではなく、ただの殺し屋になる」
あの言葉を今も覚えている。
◇
四日目。合流地点。
王宮騎士団六百五十名と公爵家騎士団百五十名が合流した。
合計八百。
指揮官は王宮騎士団長のアーデルベルト。五十歳の歴戦の将。
「エドヴァルト殿。公爵家の騎士団、八百の右翼を任せたい」
「承知しました。敵の布陣は」
「ブラウンヴァルト城塞の前面に約八百が布陣。残り四百は城塞内に籠もっている」
「城塞内の四百にルシアン殿下が」
「はい。殿下の確保が最優先です。攻城ではなく、前面の八百を退かせて、交渉の余地を作る」
エドヴァルトは地図を見た。
ブラウンヴァルト城塞。三方が山。正面が開けた平地。
「正面から押して、左右から包囲する。定石通りか」
「定石で十分です。相手は正規軍ではない。私兵と傭兵の寄せ集めだ。士気は高くない」
「士気が低いなら、崩れるのも早い」
「ただし」
アーデルベルトが表情を引き締めた。
「マティアス個人は危険です。宰相の右腕だった男。軍略にも通じている。油断すれば足をすくわれる」
「承知しました」
◇
その夜。
エドヴァルトの天幕にコンラートが来た。
「エドヴァルト殿」
「コンラート。来たか」
コンラートが入ってきた。十六歳。だが体格は大人と変わらない。鎧が板についている。
「伝言をいただきました」
「伝言?」
「『初めて人を斬った後、吐くのは恥じゃない』と」
「ああ。父上の受け売りだ」
「覚悟はしています。でも」
コンラートが拳を握った。
「俺は——人を守るために騎士になった。人を殺すために、ではない」
「分かっている。だが戦場は、守るために殺す場所だ。矛盾している。だがそれが現実だ」
コンラートが頷いた。
「エドヴァルト殿。セレスティアは」
「妹なら王都にいる。お前が心配するな」
「心配じゃない。いや、心配だが。俺がここにいる間、ヴォルフが守っている。だから大丈夫だ」
「ヴォルフを信頼しているんだな」
「はい。あの人は、俺よりも先にセレスティアの傍にいた。十一年間。俺はまだ十年です」
エドヴァルトはコンラートの目を見た。
「コンラート。お前、妹のことが好きか」
唐突な問いだった。
コンラートが固まった。
「は」
「聞こえただろう。好きかと聞いている」
「それは、その」
「いい。答えなくていい。顔に書いてある」
コンラートの顔が真っ赤になった。焚火の明かりのせいだけではない。
「エドヴァルト殿。俺は殿下の側近で」
「分かっている。分かっているから、今は聞かない。戦いが終わったら、また聞く」
「聞かないでください」
「兄として聞く権利がある」
「ない」
エドヴァルトが笑った。
「コンラート。明日、右翼の先鋒をお前に任せる」
「先鋒」
「初陣で先鋒。重いか」
「いいえ。望むところです」
「いい目だ。騎士の目をしている」
コンラートが敬礼した。
「エドヴァルト殿の背中は俺が守ります」
「背中は自分で守れる。お前は前を見ろ」
「はい」
コンラートが天幕を出て行った。
エドヴァルトは一人になった。
焚火の音。虫の声。冬の終わりの夜。
「セレス」
小声で呟いた。
「帰る。絶対に帰る」
◇
翌朝。
陣が動いた。
ブラウンヴァルト城塞の前面、開けた平地に、八百の王国軍が展開した。
正面に王宮騎士団。右翼にエドヴァルトの公爵家騎士団。
城塞の前に反乱軍八百が布陣している。
旗が見えた。宰相家の紋章。そして、もう一つの旗。
「ルシアン殿下の旗」
アルベルトが呟いた。
王家の紋章。だが色が違う。正規の王家の旗は金と青。ルシアンの旗は銀と赤。
「正統な王位継承者を名乗っている」
エドヴァルトは馬上から敵陣を見つめた。
私兵と傭兵。装備はまちまち。隊列も乱れている。
「士気は高くない。当然だ。宰相が倒れた後に集められた烏合の衆だ」
だが数は多い。八百対八百。同数。
そして城塞がある。退路がある。崩れても、城塞に退がればいい。
「攻める側が不利。定石通りだ」
角笛が鳴った。
戦いが始まった。
◇
王都。同時刻。
セレスティアは書斎で地図を見ていた。
「今頃、始まっている」
「はい。エドヴァルト様と王宮騎士団が、城塞前に展開しているはずです」
ヘルマンが言った。
セレスティアは祈った。心の中で。
兄が無事でありますように。コンラートが無事でありますように。
——そして、ルシアンが無事でありますように。
「ニコラスの潜入工作は」
「進行中です。城塞内の宰相派三名に接触済み。アレクシス殿下の手紙を、ルシアン殿下に届ける手はずを整えています」
「三名。信頼できる?」
「ニコラスが選んだ三名です。宰相派とはいえ、全員が反乱に賛同しているわけではない。流されて参加した者もいます」
「流された人たち。その人たちが鍵になる」
セレスティアは書類に向き直った。
「リディアからの報告は」
「届いています。南方のアルマンド将軍はこの内乱を注視しているそうです。内乱が長引けば動く可能性がある」
「急がなければ」
「でも、全部を一度に解決する必要はない。一つずつ。順番に」
「お嬢様のいつもの方法ですね」
ナターシャが紅茶を淹れた。
蜂蜜入り。
「おにいさま。帰ってきてね」
紅茶のカップの向こうで呟いた。
北東の空に雲が流れている。
「次の書類を」
「はい」
仕事に戻った。




