マティアスの蜂起
報せが来たのは三日後の朝だった。
ニコラスからの緊急伝令。鷹便。赤い封蝋。最優先の印。
セレスティアは封を切った。
『副宰相マティアス・ベルンハルト。
北東部ブラウンヴァルト城塞にて武装蜂起。
宰相派残党およそ三百名を組織。
私兵と傭兵を合わせ、総勢約千二百。
「宰相閣下の無実を訴え、正統な統治を回復する」と宣言。
現在、城塞周辺三領を制圧。住民に被害なし(現時点では)。
追加情報は続報にて。ニコラス』
千二百人。
小さな反乱ではない。
「ヘルマン」
「読みました。想定より早い。そして想定より大きい」
セレスティアは書斎の地図を広げた。
ブラウンヴァルト城塞。王都から北東に百二十リーグ。山間の城塞。守りに適した地形。
「マティアスは宰相の名を利用している」
「はい。『宰相閣下は冤罪で倒された。正義は我々にある』と」
「冤罪、か。証拠を全て提示した裁判を、冤罪と呼ぶか」
「信じたい人は信じます。宰相に恩義のある人間は、まだ多い」
セレスティアは唇を噛んだ。
マティアスは宰相自身に切り捨てられた。貴族院で。孤立したはずだった。だが、孤立した人間ほど、追い詰められた時に過激な手段を取る。
「お嬢様。もう一つ」
ヘルマンの声が低くなった。
「何」
「マティアスの檄文に、もう一人の名前が出ています」
「もう一人」
「第二王子ルシアン殿下」
セレスティアの血が引いた。
「ルシアンがマティアスと合流した」
「まだ合流はしていません。ですが檄文には『正統な王位継承者ルシアン殿下の復権』が掲げられています。マティアスがルシアンの名前を利用している」
「利用、か。ルシアンの同意なしに」
「分かりません。ルシアンは現在、王宮内で謹慎中のはずですが」
セレスティアはコンラートに伝令を飛ばした。
「ルシアンの所在を確認して。今すぐ」
◇
一時間後。
コンラートからの返答。
『ルシアン殿下、王宮にいません。
昨夜未明に、謹慎部屋から姿を消しました。
護衛の兵士が眠らされていた。外部からの協力者がいます。
王妃陛下に報告済み。殿下は衝撃を受けておられます。』
セレスティアは目を閉じた。
ルシアンが消えた。
マティアスの蜂起と同時に。偶然ではない。
「マティアスがルシアンを奪った」
「お嬢様」
「いや、ルシアンが自分で行ったのかもしれない。宰相に教育された少年が、宰相の後継者を名乗る男の元へ」
セレスティアの手が震えた。
ルシアンは十七歳。まだ子供だ。
宰相の傀儡だった少年。貴族院で退けたが、救えなかった。
「わたしが——もっと早く、ルシアンに手を差し伸べていたら——」
「お嬢様。今それを考えても」
「分かってる。でも」
ナターシャが傍に来た。
「お嬢様。自分を責めても状況は変わりません。今、何をすべきか」
「今、何を」
セレスティアは目を開いた。
「アレクシスに会う。すぐに」
◇
王宮。
アレクシスの執務室。今日は、フードを被っていない。王太子の正装。
表情が暗かった。
「セレスティア」
「殿下。報告は」
「聞いた。ルシアンが消えた」
アレクシスの声が低かった。感情を抑えている声。
「ルシアンは僕の家族だ」
「知ってる」
「家族が反乱軍に加わった。僕を倒すために」
「殿下」
「なぜだ——。ルシアンは、なぜ——」
アレクシスの拳が震えていた。
「殿下。ルシアンは宰相の教育の犠牲者です」
「犠牲者」
「宰相はルシアンを使って殿下を排除しようとした。ルシアンに『お前が正統な後継者だ』と教え込んだ。十年かけて」
「十年」
「ルシアンは信じたんです。自分が正しいと。殿下を退けることが国のためだと」
「宰相と同じ論理か」
「はい。方法が違うだけです」
アレクシスが窓の外を見た。
「ルシアン。お前は僕を見てくれなかったと言ったな。あの言葉が、まだ耳に残っている」
セレスティアは何も言わなかった。
アレクシスの痛みに、今は、言葉は要らない。
しばらくしてアレクシスが振り返った。
目が変わっていた。王太子の目。
「セレスティア。軍事的にはどうなる」
「マティアスの反乱軍は千二百。ブラウンヴァルト城塞は守りに適した地形。短期決戦は難しい」
「長期戦になれば国の疲弊が進む」
「はい。だから、速やかに鎮圧する必要があります」
「鎮圧、か。ルシアンがいるのにか」
セレスティアはアレクシスの目を見た。
「殿下。ルシアンは敵として対処しなければなりません。今は」
「分かっている。分かっているが」
「でも殺しはしない。ルシアンを保護する。それが条件です」
アレクシスの目が少しだけ、和らいだ。
「セレスティア。お前は、いつも」
「いつも何」
「敵も助けようとする」
「敵じゃない。ルシアンは殿下の家族。助けるのは当然」
アレクシスが微笑んだ。苦い微笑み。
「分かった。鎮圧と保護。両方やる」
◇
王妃エレオノーラの私室。
セレスティアとアレクシスが報告に来た。
エレオノーラは泣いていた。
「ルシアンが——行ってしまった——」
「母上」
「あの子は——寂しかったのよ。ずっと。わたくしが——もっとあの子を見ていれば——」
アレクシスが母の手を握った。
「母上。ルシアンは必ず連れ戻します。生きて」
「生きて」
「はい。ルシアンを殺しはしません。約束します」
エレオノーラの涙が止まった。息子の目を見て。
「アレクシス。あなたは、本当に」
「母上。僕は大丈夫です。セレスティアがいます。コンラートがいます。一人ではありません」
エレオノーラがセレスティアを見た。
「セレスティア嬢」
「はい」
「あの子をお願い。ルシアンを」
セレスティアは頷いた。
「お約束します。ルシアン殿下を、必ず」
王妃が微笑んだ。涙の跡が残った微笑み。
「ありがとう。リリアーナが羨ましいわ。こんな娘がいて」
「娘ではありません、まだ」
「まだ、ね。ふふ。まだ」
アレクシスの耳が赤くなった。
場違いだと分かっていても、この瞬間だけ、空気が和らいだ。
◇
その夜。
王都別邸。
エドヴァルトが鎧を着ていた。
書斎の前。廊下。蝋燭の光。
「おにいさま」
「セレス。明日、出陣する」
「出陣」
「ブラウンヴァルト城塞。公爵家の騎士団百五十を率いる。王宮騎士団と合流して、反乱軍を鎮圧する」
セレスティアは兄を見上げた。
鎧を着たエドヴァルト。二十九歳。
「おにいさま」
「心配するな。俺は騎士だ。戦うのが仕事だ」
「心配する。当たり前でしょう」
「お前は王都を守れ。政治と行政。俺には無理な仕事だ」
「わたしも戦場に」
「来るな」
エドヴァルトの声が強かった。
「お前は来るな。王都に残れ。行政改革を進めろ。南方の外交を動かせ。お前にしかできないことをしろ」
「でも」
「俺にしかできないこともある。剣を振ること。敵の前に立つこと。妹を守ること」
エドヴァルトがセレスティアの頭を、ぽんと叩いた。
「必ず帰ってくる」
「約束して」
「約束だ。アルヴェイン家の長男は、約束を破らない」
妻のベアトリクスが廊下の奥に立っていた。
新婚の妻。辺境伯の姪。おとなしい女性だが、目が強い。
「あなた。お見送りは、明日の朝に」
「ああ。ベアトリクス」
「無事に帰ってきてくださいね」
「当然だ」
エドヴァルトがベアトリクスの元に歩いていった。
「帰ってきて、おにいさま」
小さく呟いた。
エドヴァルトが振り返った。
「聞こえてるぞ。帰る。絶対に」
その言葉を、信じるしかなかった。




