裁判の後
裁判が終わった翌日。
セレスティアは——目が覚めなかった。
正確には、起き上がれなかった。
ベッドの中にいる。意識はある。天井が見える。ラベンダーの匂いがする。
でも体が動かない。
「お嬢様」
ナターシャの声。遠い。
「お嬢様。朝ですよ」
「分かってる。でも、体が」
「動きませんか」
「動かない」
ナターシャがベッドの横に座った。
「無理に起きなくていいです。今日は、休む日です」
「休む。でも、まだやることが」
「やることは明日でもできます。体が止まっている時は、止まっていいんです」
セレスティアの目から涙が流れた。
なぜ泣いているのか分からない。勝ったのに。終わったのに。
「ナターシャ。なぜ泣いてるんだろう」
「溜まっていたものが出ているんです。十一年分の」
「十一年分」
「はい。三歳からずっと戦い続けてきた。怖くても立って。泣きたくても堪えて。その分が、今出ている」
「出てる。止まらない」
「止めなくていいです。全部出してください」
セレスティアは泣いた。
声を上げて。枕に顔を埋めて。
ナターシャが背中を撫でた。何も言わず。
しばらくして扉がノックされた。
「セレス。入っていいか」
エドヴァルトの声。
「おにいさま。入っていいよ」
エドヴァルトが入ってきた。大きな体。軍人のような肩。
ベッドの横に立った。妹の泣き顔を見た。
「セレス。泣いてるのか」
「泣いてる。止まらない」
「泣け。好きなだけ」
エドヴァルトが妹を抱き上げた。ベッドから。軽々と。
「おにいさま、何して」
「日当たりのいい部屋に連れて行く。ベッドの中で泣くのは暗い。窓辺で泣け」
「窓辺」
エドヴァルトがセレスティアを抱えたまま、書斎に連れて行った。窓辺の長椅子に座らせた。
冬の陽光が差し込んでいる。温かい。
「ここで泣け。日の光の中で。暗い場所で泣くな。お前には似合わない」
「おにいさま」
「お前の圧勝だ、セレス。兄として、誇りに思う」
エドヴァルトの声がかすかに震えた。
この鉄のような兄が。
「おにいさまも泣いてる」
「泣いていない。目にゴミが入っただけだ」
「嘘」
「アルヴェイン家の長男は泣かない。妹の前では」
「じゃあ背中向けて泣いて」
「……生意気な妹だ」
エドヴァルトが背を向けた。肩が震えていた。
セレスティアは笑った。泣きながら。
◇
午後。
フェリクスが来た。眼鏡をかけたまま。白衣を着たまま。研究室から直接来たらしい。
「セレス。体は動くか」
「少しだけ。足は、まだ」
「PTSDの急性反応だ。時間が経てば収まる」
「時間」
「数日。無理をしなければ」
フェリクスがセレスティアの脈を取った。
「心拍は安定している。魔力の乱れもない。体は大丈夫だ。心が追いついていないだけ」
「心が追いついてない」
「ああ。十一年間戦い続けた心が、急に戦わなくていいと言われて、混乱している。兵士が戦場から帰った時と同じだ」
「兵士」
「お前は兵士だった。三歳からの。——今日から、兵士をやめていい」
セレスティアの目がまた潤んだ。
「やめていいの」
「宰相は倒れた。お前の戦いの、最大の相手は。もちろん残りの問題はある。マティアス。ルシアン。南方の脅威。でも今日くらいは、休め」
「今日くらいは」
「ああ。お菓子を買ってきた」
フェリクスが紙袋を差し出した。
「え」
「誕生日プレゼントの続きだ。お菓子がいいと言っただろう」
中には焼き菓子の詰め合わせ。バターの香り。砂糖がかかったクッキー。チョコレートのタルト。
「おにいさま。お菓子を選んだの」
「選んだ。三時間かかった」
「三時間」
「選択基準が不明確だったから。店員に聞いた。『おいしそうなやつはどれですか』と。主観的な質問だが、店員は笑って教えてくれた」
セレスティアが笑った。涙と一緒に。
「ありがとう、おにいさま」
「食べろ。甘いものは心に効く」
「それ、ナターシャの台詞」
「ナターシャに教わった」
クッキーを食べた。甘かった。バターの香り。砂糖のざらざらした舌触り。
おいしかった。
泣いた日のおやつ。パンケーキの代わりに、兄が選んだクッキー。
◇
夕方。
アネリーゼが来た。
神殿から。光魔力を持つ少女。
「セレスティアさん。お加減は」
「少し楽になった。おにいさまのお菓子のおかげで」
「光魔力で少しだけ、楽にできます。完全な治癒はできませんが」
アネリーゼがセレスティアの手を取った。
温かい光が手から伝わった。
痛みが和らぐわけではない。恐怖が消えるわけではない。
でも温かい。
心が少しだけ、ほどける。
「アネリーゼ。ありがとう」
「わたしにできることはこれくらいです。でも」
「でも?」
「大神官猊下がおっしゃっていました。『真実の重さが天秤を傾けた』と。セレスティアさんの側に真実がありました」
「真実」
「はい。わたしは、あなたを信じていて良かった」
アネリーゼの微笑みが温かかった。光のような微笑み。
◇
夜。
ベッドに戻った。
ナターシャが紅茶を持ってきた。蜂蜜入り。
「お嬢様。今日は、たくさんの人が来ましたね」
「うん。おにいさまたちも。アネリーゼも。ヴィオレッタからは手紙が来た。リディアからも」
「コンラートは殿下の護衛で来られませんでしたが、伝言がありました」
「なんて」
「『お疲れ様でした。強かったです』。以上です」
「コンラートらしい。短い」
「ヴォルフからも」
「ヴォルフは何て」
「何も。ただ、一日中お嬢様の部屋の前に立っていました。誰も通しませんでした。わたしとお兄様方以外は」
「ヴォルフ。十一年間、変わらないね」
「変わりません。あの方は、変わりません」
セレスティアは紅茶を飲んだ。
甘かった。
「ナターシャ。明日は動ける気がする」
「無理しないでください」
「無理じゃない。もう大丈夫。泣いたし。食べたし。温めてもらったし」
「全部、今日やりましたからね」
「うん。泣いた日のフルコース」
ナターシャが微笑んだ。
「おやすみなさい、お嬢様」
「おやすみ、ナターシャ」
目を閉じた。
ラベンダーの匂い。
眠った。




