勝利の夜
王都別邸に帰った。
馬車を降りて——玄関でマルガレーテの「おかえりなさいませ」を聞いて——セレスティアは自分の部屋に入った。
扉を閉めた。一人になった。
椅子に座ろうとした。——座れなかった。膝が折れて、床に座り込んだ。
そのまま——しばらく動けなかった。
終わった。
有罪。終身幽閉。
宰相は去った。
静かだった。部屋が。世界が。
風の音が聞こえる。カーテンが揺れている。冬の冷たい空気が窓の隙間から入ってくる。
静かすぎる。
「……静か」
声に出した。——自分の声が小さかった。
怒鳴り声は来ない。足音も来ない。脅しも来ない。十一年間ずっと聞こえていたものが——全部、止んでいた。
◇
扉がノックされた。
「お嬢様」
ナターシャの声。
「ナターシャ——。入って」
「失礼します。——お客様です」
「客?」
「フリーデリケ様。——パンを持って走ってきました」
セレスティアは——笑った。泣きそうな笑い。
「通して」
フリーデリケが入ってきた。——息を切らしている。頬が赤い。走ってきたのだ。王都の自宅から王都別邸まで。馬車ではなく走って。
両手に大きな包みを抱えている。
「セレスティアちゃん! ——おめでとう!」
「フリーデリケちゃん——。走ってきたの」
「だって! 聞いたらすぐ来たくなって! ——はい、お母様が焼いてくれた。お祝いのパン」
包みを開けた。——大きな丸いパン。表面に砂糖がかけてある。甘い匂い。焼き立ての温度がまだ残っていて、受け取った手のひらに重さと温かさが同時に伝わった。
「お祝いのパン——」
「お母様がね、『セレスティアちゃんは甘いものが好きでしょう』って。——砂糖を多めにしたんだって」
セレスティアの目に——涙が浮かんだ。
フリーデリケの母が——セレスティアのために焼いてくれたパン。
「ありがとう——」
「泣かないでよ! お祝いなんだから!」
「泣いてない——。嬉しいだけ」
フリーデリケがセレスティアを抱きしめた。——十四歳の腕。温かい。花の匂い。
「頑張ったね。——ずっと、頑張ってたね」
「うん——」
「もう頑張らなくていいよ。——今日は」
「今日は——」
「今日は、パンを食べる日」
セレスティアは——笑った。泣きながら。
◇
コンラートが来た。
ヴォルフに案内されて。正装のまま。
「セレスティア。——勝ったな」
「勝った」
「俺は何もできなかった。——剣を振る場面がなかった」
「コンラートさまは——殿下を守ってくれた。それが一番大事な仕事だった」
コンラートの口元が——緩んだ。
「お前に言われると——そうなのかなと思える」
「そうなの」
「……祝いの品を持ってきた」
コンラートが差し出したのは——小さな木箱。
「開けていい?」
「ああ」
中には——革の手袋があった。
「手袋?」
「冬だから。——お前の手、いつも冷たいだろう」
セレスティアは——手袋を見つめた。
革は柔らかく、内側に毛皮の裏地がある。丁寧に作られている。
「コンラートさま——。これ、選んだの」
「選んだ。——母上に聞いた。女の子には何がいいかって」
「お母様に聞いたの」
「笑うな」
「笑ってない——。嬉しい」
手袋をはめた。温かい。コンラートが選んでくれた温かさ。
◇
リディアからは——手紙が届いた。
短い手紙。
『おめでとう。——あとで紅茶を飲みに行く。——リディア』
「あとで」と書いてあるのに——手紙が届いた三十分後にリディアが玄関に立っていた。
「あとでって書いたでしょう」
「あとで——の定義による」
「三十分は『あとで』の範囲内」
リディアが紅茶のセットを持ってきていた。自分の茶葉。自分のカップ。
「ナターシャの紅茶もいいけど——今日はわたしが淹れる」
「リディアさまが——淹れてくれるの」
「特別な日だから。——特別なことをしたい」
リディアの紅茶は——ナターシャのとは違う味がした。少し苦い。でも後味が甘い。
「おいしい」
「——そう」
リディアの耳が赤い。
◇
夜が深まっていく。
フリーデリケが食堂のテーブルにパンを並べた。コンラートが椅子を引いた。リディアが紅茶を注いだ。ナターシャが蜂蜜を持ってきた。
食堂には家族もいた。
母リリアーナ。父ライナルト。エドヴァルト。フェリクス。マルガレーテ。ヴォルフ。カタリナ。ヘルマン。
そして——イザベラ。
イザベラは食堂の隅に立っていた。入っていいか分からないという顔で。
宰相の娘。今日、父を失った少女。
セレスティアが手を伸ばした。
「イザベラ。——こっちに来て」
「わたしが——いいの。今日は、あなたの」
「わたしの日なら——わたしが決める。イザベラはここにいて」
イザベラの目が——潤んだ。
席に着いた。セレスティアの隣に。
パンを切った。八等分。全員に行き渡るように。
公爵が——パンを手に取った。
「セレスティア」
「はい、おとうさま」
「よくやった」
それだけだった。だが——公爵の声が、かすかに震えていた。
「おとうさま——ありがとう」
公爵は頷いた。
リリアーナが泣いていた。
エドヴァルトがパンを齧った。「うまい。フリーデリケ、お前の母上は天才だな」
フリーデリケが照れた。「えへへ。伝えます」
フェリクスがパンを分析し始めた。「この焼き加減は——」
「おにいさま。——食べて。分析しないで」
「……善処する」
マルガレーテがセレスティアの背後に立っていた。いつもの位置。
今日この夜だけは——その線を消したかった。
「マルガレーテ。——座って。今日は一緒に食べて」
「お嬢様。わたくしは使用人ですから——」
「今日は——わたしが決める。座って」
マルガレーテが——席に着いた。ぎこちなく。使用人が主人と同じテーブルに座るのは初めてだ。
パンを一切れ差し出した。
マルガレーテが——泣いた。パンを持ったまま。
「お嬢様——」
「泣かないで。——食べて」
「泣いていません——。目にゴミが」
「この家の人は——みんな目にゴミが入る」
笑いが起きた。食堂に。
温かい笑い。
ヴォルフだけが笑わなかった。——でも、口の端がかすかに上がっていた。
◇
深夜。
食堂が静かになった。客人は帰り、家族は部屋に戻った。
セレスティアは一人で食堂に残っていた。
テーブルの上にパンの屑が残っている。紅茶のカップが並んでいる。椅子が少しずれている。
「変わった——」
呟いた。
扉が開いた。
ナターシャだった。
「お嬢様。——お休みにならないのですか」
「もう少しだけ——。ここにいたい」
「では——お供します」
ナターシャが隣に座った。
二人で——パンの残りを食べた。
「ナターシャ。——十一年前、公爵邸に来た日のこと、覚えてる」
「覚えています。——門の前で震えていました。靴に穴が空いていました」
「わたしが——『いっしょにあそぼ』って言ったの」
「はい。——意味が分かりませんでした。三歳のお嬢様に遊ぼうと言われて」
「あの時——ナターシャがいなかったら、今日はない」
ナターシャが——目を閉じた。
「わたくしこそ——。お嬢様がいなかったら、わたくしは今も農村で泥まみれでした」
「泥まみれのナターシャも——きっと強かったと思う」
「お嬢様——。お世辞は似合いません」
「お世辞じゃない。——本気」
ナターシャが——微笑んだ。
「おやすみなさい、お嬢様」
「おやすみ——ナターシャ」
立ち上がった。部屋に向かう。
廊下にヴォルフが立っていた。——深夜なのに。
「ヴォルフ。——寝なくていいの」
「交代制です」
「嘘。——一人でずっと立ってたでしょう」
ヴォルフは答えなかった。
「ヴォルフ。——十一年間、ありがとう」
「職務です」
「職務以上のことをしてくれた。——知ってる」
ヴォルフの目が——一瞬だけ、揺れた。
「おやすみなさい、お嬢様」
「おやすみ、ヴォルフ」
部屋に入った。
ベッドに横になった。
枕元にラベンダーの小袋。フリーデリケの。
木彫りの兎。ヴォルフの。八年前の誕生日にもらった。まだ枕元にある。
目を閉じた。
眠った。




