表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

229/258

勝利の夜

 王都別邸に帰った。


 馬車を降りて——玄関でマルガレーテの「おかえりなさいませ」を聞いて——セレスティアは自分の部屋に入った。


 扉を閉めた。一人になった。


 椅子に座ろうとした。——座れなかった。膝が折れて、床に座り込んだ。


 そのまま——しばらく動けなかった。


 終わった。


 有罪。終身幽閉。


 宰相は去った。


 静かだった。部屋が。世界が。


 風の音が聞こえる。カーテンが揺れている。冬の冷たい空気が窓の隙間から入ってくる。


 静かすぎる。


 「……静か」


 声に出した。——自分の声が小さかった。


 怒鳴り声は来ない。足音も来ない。脅しも来ない。十一年間ずっと聞こえていたものが——全部、止んでいた。



 扉がノックされた。


 「お嬢様」


 ナターシャの声。


 「ナターシャ——。入って」


 「失礼します。——お客様です」


 「客?」


 「フリーデリケ様。——パンを持って走ってきました」


 セレスティアは——笑った。泣きそうな笑い。


 「通して」


 フリーデリケが入ってきた。——息を切らしている。頬が赤い。走ってきたのだ。王都の自宅から王都別邸まで。馬車ではなく走って。


 両手に大きな包みを抱えている。


 「セレスティアちゃん! ——おめでとう!」


 「フリーデリケちゃん——。走ってきたの」


 「だって! 聞いたらすぐ来たくなって! ——はい、お母様が焼いてくれた。お祝いのパン」


 包みを開けた。——大きな丸いパン。表面に砂糖がかけてある。甘い匂い。焼き立ての温度がまだ残っていて、受け取った手のひらに重さと温かさが同時に伝わった。


 「お祝いのパン——」


 「お母様がね、『セレスティアちゃんは甘いものが好きでしょう』って。——砂糖を多めにしたんだって」


 セレスティアの目に——涙が浮かんだ。


 フリーデリケの母が——セレスティアのために焼いてくれたパン。


 「ありがとう——」


 「泣かないでよ! お祝いなんだから!」


 「泣いてない——。嬉しいだけ」


 フリーデリケがセレスティアを抱きしめた。——十四歳の腕。温かい。花の匂い。


 「頑張ったね。——ずっと、頑張ってたね」


 「うん——」


 「もう頑張らなくていいよ。——今日は」


 「今日は——」


 「今日は、パンを食べる日」


 セレスティアは——笑った。泣きながら。



 コンラートが来た。


 ヴォルフに案内されて。正装のまま。


 「セレスティア。——勝ったな」


 「勝った」


 「俺は何もできなかった。——剣を振る場面がなかった」


 「コンラートさまは——殿下を守ってくれた。それが一番大事な仕事だった」


 コンラートの口元が——緩んだ。


 「お前に言われると——そうなのかなと思える」


 「そうなの」


 「……祝いの品を持ってきた」


 コンラートが差し出したのは——小さな木箱。


 「開けていい?」


 「ああ」


 中には——革の手袋があった。


 「手袋?」


 「冬だから。——お前の手、いつも冷たいだろう」


 セレスティアは——手袋を見つめた。


 革は柔らかく、内側に毛皮の裏地がある。丁寧に作られている。


 「コンラートさま——。これ、選んだの」


 「選んだ。——母上に聞いた。女の子には何がいいかって」


 「お母様に聞いたの」


 「笑うな」


 「笑ってない——。嬉しい」


 手袋をはめた。温かい。コンラートが選んでくれた温かさ。



 リディアからは——手紙が届いた。


 短い手紙。


 『おめでとう。——あとで紅茶を飲みに行く。——リディア』


 「あとで」と書いてあるのに——手紙が届いた三十分後にリディアが玄関に立っていた。


 「あとでって書いたでしょう」


 「あとで——の定義による」


 「三十分は『あとで』の範囲内」


 リディアが紅茶のセットを持ってきていた。自分の茶葉。自分のカップ。


 「ナターシャの紅茶もいいけど——今日はわたしが淹れる」


 「リディアさまが——淹れてくれるの」


 「特別な日だから。——特別なことをしたい」


 リディアの紅茶は——ナターシャのとは違う味がした。少し苦い。でも後味が甘い。


 「おいしい」


 「——そう」


 リディアの耳が赤い。



 夜が深まっていく。


 フリーデリケが食堂のテーブルにパンを並べた。コンラートが椅子を引いた。リディアが紅茶を注いだ。ナターシャが蜂蜜を持ってきた。


 食堂には家族もいた。


 母リリアーナ。父ライナルト。エドヴァルト。フェリクス。マルガレーテ。ヴォルフ。カタリナ。ヘルマン。


 そして——イザベラ。


 イザベラは食堂の隅に立っていた。入っていいか分からないという顔で。


 宰相の娘。今日、父を失った少女。


 セレスティアが手を伸ばした。


 「イザベラ。——こっちに来て」


 「わたしが——いいの。今日は、あなたの」


 「わたしの日なら——わたしが決める。イザベラはここにいて」


 イザベラの目が——潤んだ。


 席に着いた。セレスティアの隣に。


 パンを切った。八等分。全員に行き渡るように。


 公爵が——パンを手に取った。


 「セレスティア」


 「はい、おとうさま」


 「よくやった」


 それだけだった。だが——公爵の声が、かすかに震えていた。


 「おとうさま——ありがとう」


 公爵は頷いた。


 リリアーナが泣いていた。


 エドヴァルトがパンを齧った。「うまい。フリーデリケ、お前の母上は天才だな」


 フリーデリケが照れた。「えへへ。伝えます」


 フェリクスがパンを分析し始めた。「この焼き加減は——」


 「おにいさま。——食べて。分析しないで」


 「……善処する」


 マルガレーテがセレスティアの背後に立っていた。いつもの位置。


 今日この夜だけは——その線を消したかった。


 「マルガレーテ。——座って。今日は一緒に食べて」


 「お嬢様。わたくしは使用人ですから——」


 「今日は——わたしが決める。座って」


 マルガレーテが——席に着いた。ぎこちなく。使用人が主人と同じテーブルに座るのは初めてだ。


 パンを一切れ差し出した。


 マルガレーテが——泣いた。パンを持ったまま。


 「お嬢様——」


 「泣かないで。——食べて」


 「泣いていません——。目にゴミが」


 「この家の人は——みんな目にゴミが入る」


 笑いが起きた。食堂に。


 温かい笑い。


 ヴォルフだけが笑わなかった。——でも、口の端がかすかに上がっていた。



 深夜。


 食堂が静かになった。客人は帰り、家族は部屋に戻った。


 セレスティアは一人で食堂に残っていた。


 テーブルの上にパンの屑が残っている。紅茶のカップが並んでいる。椅子が少しずれている。


 「変わった——」


 呟いた。


 扉が開いた。


 ナターシャだった。


 「お嬢様。——お休みにならないのですか」


 「もう少しだけ——。ここにいたい」


 「では——お供します」


 ナターシャが隣に座った。


 二人で——パンの残りを食べた。


 「ナターシャ。——十一年前、公爵邸に来た日のこと、覚えてる」


 「覚えています。——門の前で震えていました。靴に穴が空いていました」


 「わたしが——『いっしょにあそぼ』って言ったの」


 「はい。——意味が分かりませんでした。三歳のお嬢様に遊ぼうと言われて」


 「あの時——ナターシャがいなかったら、今日はない」


 ナターシャが——目を閉じた。


 「わたくしこそ——。お嬢様がいなかったら、わたくしは今も農村で泥まみれでした」


 「泥まみれのナターシャも——きっと強かったと思う」


 「お嬢様——。お世辞は似合いません」


 「お世辞じゃない。——本気」


 ナターシャが——微笑んだ。


 「おやすみなさい、お嬢様」


 「おやすみ——ナターシャ」


 立ち上がった。部屋に向かう。


 廊下にヴォルフが立っていた。——深夜なのに。


 「ヴォルフ。——寝なくていいの」


 「交代制です」


 「嘘。——一人でずっと立ってたでしょう」


 ヴォルフは答えなかった。


 「ヴォルフ。——十一年間、ありがとう」


 「職務です」


 「職務以上のことをしてくれた。——知ってる」


 ヴォルフの目が——一瞬だけ、揺れた。


 「おやすみなさい、お嬢様」


 「おやすみ、ヴォルフ」


 部屋に入った。


 ベッドに横になった。


 枕元にラベンダーの小袋。フリーデリケの。


 木彫りの兎。ヴォルフの。八年前の誕生日にもらった。まだ枕元にある。


 目を閉じた。


 眠った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ