犯人の尻尾
公爵ライナルト・フォン・アルヴェインが本気で動くと、その速度は凄まじかった。
ハーブティーへの毒混入が発覚した翌日、公爵は三つの命令を同時に下した。
台所の全食材と飲料の検査はヘルマンとフェリクスが担当し、ハーブティーの茶葉の成分分析はフェリクスとローレンツが行った。過去一年間のリリアーナの食事記録の洗い出しはマルガレーテに任せた。
結果は半日で出た。
ハーブティーの茶葉には灰銀草が混入されていた。乾燥茶葉に粉末状の灰銀草を混ぜ込む手口。見た目では判別できないが、煮出すと灰銀草の成分が溶出する。
台所の他の食材からは毒は検出されなかった。薬を止めた後に使われた経路として、現時点で確認できたのはハーブティーだけだった。
過去の食事記録を調べると、リリアーナは薬以外にも不定期にハーブティーを飲んでいたことが分かった。だが毒が検出された茶缶は、従来の「奥方様用」とは異なる品だった。六日前の定例納品の後、いつの間にか同じ棚へ置かれていたものだ。
台所の食材管理全般はディートリヒの管轄だった。だが、管轄であることと、本人が茶缶を持ち込んだことは同じではない。
◇
ヘルマンが公爵に報告する場面を、セレスティアは柱の陰から聞いていた。
「閣下。問題の茶缶には王都のハルトマン商会の札が貼られていました。しかし、六日前の納品書に茶葉の記載はなく、商会側の控えにも該当する品はありません。荷を受け取った者も、箱の数を確認しただけで、中身を一つずつ改めてはいなかったと申しております」
「薬庫ではなく台所に」
「はい。正規の薬材に見せれば検査されます。日常の食材に紛れ込ませ、台所に入ってから棚へ移したのであれば、薬庫の監視を避けられます」
公爵の沈黙が長かった。
薬を止めた。薬庫を監視した。だがその裏をかかれた。台所という、誰も疑わない経路を使って。
薬庫を封じられた相手は、日常の納品に毒を紛れ込ませた。一つの穴を塞げば、相手は別の穴を探してくる。
だが今回は、指示札と茶缶が残った。
「茶缶を持ち込んだ者は特定できるか」
「いいえ。入荷記録に署名したのは、定例の荷を受け取った台所番です。茶缶だけの記載はなく、荷ほどきの後に誰が棚へ置いたのかも分かりません。指示札も家宰室の様式ですが、ディートリヒ殿の筆跡ではありません」
「では、これだけでディートリヒが持ち込んだとは言えんな」
ヘルマンは慎重に答えた。
「はい。ただし、定例納品の日、奥方様専用の棚、配膳記録の保管場所を知る者でなければ難しい工作です。家宰室の印も、本物から写し取った可能性がございます」
「だろうな」
公爵の声は冷静だった。怒りは既に氷の下に沈んでいる。
「茶葉だけで犯人を決めるな。指示札を置いた者と、家宰室から情報を漏らした者を別々に追え。ディートリヒについては、既に命じた監視を続ける」
監視を続ける。セレスティアの耳が立った。
「しかし閣下、調査の間に奥方様への危害が――」
「リリアーナの食事は今後、全てマルガレーテが管理する。フェリクスが毎食の食材を検査する。毒の経路は全て塞いだ」
「では、ディートリヒ殿の帰還後は……」
「事情を聴く。だが茶葉の件だけで決めつけはしない。あの男が宰相派と繋がっているなら、別の場所に必ず証拠がある」
セレスティアは柱の陰で頷いた。
だがセレスティアには一つ、不安があった。
ディートリヒは王都にいる。宰相に会い、公爵家の令嬢に異常な覚醒があったと報告している可能性が高い。だが、聖魔力という正体まで掴んでいるかは分からない。
帰ってきた時、ディートリヒは何を持ち帰るだろうか。
宰相からの新たな指令か。更に巧妙な毒殺計画か。
あるいは――セレスティア自身への排除指令か。
◇
その日の夕方、セレスティアはヘルマンに話しかけた。
「ヘルマンおじさま」
「お嬢様。お母様のご具合はいかがですか」
「よくなってる。ありがとう」
ヘルマンは膝を折り、セレスティアの目線に合わせた。
「ヘルマンおじさま、ディートリヒさまのおへやに、あやしいおてがみがあるかもしれないの。それと、ひがしのしようにんもんのきろくも、しらべてほしいの」
ヘルマンの目が動いた。
「手紙、ですか」
「うん。ナターシャが、ディートリヒさまがおでかけするまえに、あかいふうろうのおてがみをみたの。へびのもんしょう。つぎのおそうじのときにはなくなってて、つくえのひきだしに、かぎがかかってたって。ディートリヒさまは、ひがしのもんもよくつかってた」
見えた事実だけを伝える。手紙の中身を見たとは言わない。ナターシャは鍵にも触れていない。
ヘルマンの表情が変わった。鉄の仮面のような無表情が、一瞬だけ剥がれた。
「赤い封蝋……蛇の紋章でしたか」
「ナターシャがそういってた」
ヘルマンは立ち上がった。表情は再び鉄の仮面に戻っている。だが目の奥に炎が灯っていた。
「お嬢様、ありがとうございます。引き出しと東門の通行記録、双方を閣下に報告して調べます」
「ヘルマンおじさま」
「はい」
「ナターシャのこと、まもってね。あのこはわるくないの」
ヘルマンは一瞬、セレスティアを見つめた。三歳の少女が、部下の安全を気遣っている。
「……もちろんです。ナターシャ嬢には何の責任もございません。鍵に触れず、見えたことだけを報告した。正しい判断です」
ヘルマンは深く一礼して去った。
セレスティアは廊下に立ったまま、老騎士の背中を見送った。
糸口は揃った。
毒入りの茶葉。出所の分からない指示札。ディートリヒの施錠された引き出し。
ハーブティーの毒。薬の処方箋。
まだ一本の線にはなっていない。だからこそ、施錠された引き出しの中身が必要だった。そこにディートリヒと宰相を結ぶものがあれば、ばらばらの糸口が繋がる。
ディートリヒが王都から戻れば、全てが動き出す。
◇
夜。母の傍で本を読んでもらっているセレスティアの耳に、廊下の足音が聞こえた。
ヘルマンの足音だ。重く、だが急いでいる。
扉がノックされた。マルガレーテが応対する。
「ヘルマン殿、何か?」
「公爵閣下にご報告を。閣下の許可を受け、錠前師立ち会いのもと、ディートリヒ殿の机を調べました。引き出しは施錠されたままでしたが、錠を壊さず解錠しました。中から書簡が多数発見されました。差出人の署名はなく、本文の大半は符牒で記されています。封蝋に蛇の紋章がありました。フェリクス様に解読を依頼したところ……」
ヘルマンは声を落とした。
「奥方様への投薬を継続せよとの指示と、薬庫の監視を避ける別経路を求める文が含まれていました。さらに、定例納品日と奥方様の配膳手順を記した報告の控えもあります。差出人も実行者も記されておりませんが、今回使われた経路と一致します」
マルガレーテの顔色が変わった。
「それは……つまり」
「茶葉へ毒を混ぜた者までは特定できません。ですがディートリヒ殿が外部へ情報を渡し、奥方様を弱らせる計画に加担していた疑いは、極めて濃いかと」
セレスティアは聞いていた。母の膝の上から、全てを。
リリアーナだけが何も知らない。眠りかけていた母は、ヘルマンの声に目を開いたが、内容は聞き取れなかったようだ。
「何かあったの?」
「なんでもないよ、おかあさま。おやすみ」
セレスティアは母の額にキスをして、部屋を出た。
廊下で、ヘルマンが待っていた。
「お嬢様。閣下がお呼びです」
三歳の少女が公爵の書斎に呼ばれる。異例だ。だが今の公爵家には、異例が日常になりつつあった。
書斎に入ると、公爵が机の前に立っていた。机の上にはディートリヒの部屋から回収された手紙が並んでいる。
「セレスティア」
「はい、おとうさま」
「お前がナターシャに頼み、清掃中に見えたディートリヒの部屋の様子を報告させたのか」
直球。公爵は回りくどいことをしない。
セレスティアは一瞬迷い、頷いた。嘘をつく意味がない。
「……はい」
公爵はセレスティアを長い時間見つめた。
怒りではなかった。困惑でもなかった。
公爵の目にあったのは、畏怖に近いものだった。
「お前は三歳だ」
「はい」
「三歳の子供が、家臣の裏切りを疑い、証拠の在りかを突き止めた」
「……おかあさまをまもりたかっただけです」
公爵は目を閉じ、長い息を吐いた。
手を伸ばしかけた。それから止まった。大きな手が、空中で一瞬だけ迷った。
そして、これまで一度も見たことのないことをした。
公爵がセレスティアの前に膝をついたのだ。
目線が同じ高さになる。碧い目と碧い目が向き合う。
「セレスティア。お前が何者かは問わない。お前が何を知っているかも問わない」
低い声。だが温かさがあった。冷徹な公爵の声に、初めて温かさが混じっていた。
「だがこれだけは約束する。お前を守る。母を守る。この家を守る。それが公爵としての、そして父としての、私の務めだ」
セレスティアの目から涙が溢れた。
前世では聞けなかった言葉。
「お前を守る」と。父が。
「おとうさま……」
小さな身体が、大きな胸に飛び込んだ。
公爵の腕が、不器用に、だが確かに、娘を受け止めた。
書斎の灯りが揺れている。
父と娘の影が壁に映る。
初めて、同じ方向を向いた二つの影が壁に並んでいた。




