財務卿の寝返り
カール・ヴェンデル元財務卿の屋敷。王都西区。
かつては華やかだった邸宅は色褪せていた。庭は手入れされていない。窓のカーテンは閉じたまま。使用人も減った。
横領の嫌疑で財務卿の職を追われてから、カールは世間から隠れるように暮らしていた。
セレスティアはその屋敷を訪ねた。
ナターシャとヴォルフが同行している。
「お嬢様。カール元財務卿は、気難しい方です。正面から切り込むと反発します」
「分かってる。恨みを持っている人に必要なのは、共感」
応接間に通された。
カール・ヴェンデルが現れた。五十代後半。痩せた体。目の下に深い隈。かつて王国の財政を握った男の面影は、疲労の下に隠れている。
「公爵令嬢が、何の用だ」
声はかすれていた。
「カール様。お話を聞いていただけますか」
「話、か。公爵家から来たということは、宰相の件か」
「はい」
カールが苦笑した。
「また利用されるのか。宰相に利用され、次は公爵家に」
「利用しません。お力を貸していただきたいのです」
「力、か。わたしに何の力がある。財務卿を追われ、名誉を失い、家族にも見放された。残っているのは宰相への恨みだけだ」
恨み。
セレスティアはその言葉を受け止めた。
「カール様。恨みを、力に変えませんか」
「力に」
「宰相を告発します。貴族院で。正式な裁判で。カール様の証言が、鍵になります」
カールの目が動いた。
「証言。わたしの」
「はい。国庫横領の具体的な金額と手口。宰相との共謀の経緯。カール様しか知らない情報です」
「わたしが証言すれば、わたし自身も共犯として裁かれる。分かっているのか」
「分かっています。ですが、司法取引の前例があります。共犯者が全面的に協力した場合、刑の減免が認められる」
「減免」
「ヴァルトシュタイン子爵が法的手続きを担当しています。カール様が証言に協力すれば、横領罪については不起訴、あるいは大幅な減刑が見込めます」
カールは沈黙した。
長い沈黙。
「宰相はわたしに全てを擦り付けた。横領の全責任を。わたしが一人でやったことにされた。——二十年間仕えたのに」
声が震えていた。怒りで。
「宰相はいつもそうだ。使えるだけ使って、用が済んだら切り捨てる。わたしだけじゃない。マティアスも。テオドールも。全員、使い捨てだ」
「はい。だからこそ、声を上げる人が必要です」
「声を」
「カール様が証言台に立てば、宰相の手口が白日の下に晒される。使い捨てにされた人々の声が法廷に響く」
カールがセレスティアを見た。
十四歳の少女。銀色の髪。碧い瞳。
「お嬢さん。あなたは何者だ。十四歳の少女が、こんな交渉をするのか」
「わたしも宰相に排除されようとしている一人です。処刑の計画書が、宰相の金庫にありました」
カールの目が見開かれた。
「処刑の——」
「はい。わたしの名前が書かれた排除計画書。カール様、わたしたちは同じ側にいます。宰相に切り捨てられる側に」
沈黙。
カールが顔を覆った。両手で。
しばらく動かなかった。
「……分かった」
手を下ろした。目が赤かった。
「証言する。——全てを。国庫横領の具体的な金額。口座の流れ。宰相からの指示の詳細。全てだ」
「カール様」
「恨みだけで生きてきた。でも、恨みを形にできるなら。あの男の本当の姿を——世界に見せてやる」
カールの声に力が戻っていた。
セレスティアは頭を下げた。
「ありがとうございます。カール様の勇気に、感謝します」
「勇気、か。勇気ではない。復讐だ」
「復讐でも構いません。動機が何であれ、正しいことをするのなら」
カールが少しだけ笑った。疲れた笑い。だが二年ぶりの笑い。
「お嬢さん。不思議な子だな。宰相に命を狙われているのに、人を励ましに来る」
「励ましではなく、お願いです。わたしには、カール様の力が必要なんです」
「必要、か。久しぶりに聞いた言葉だ」
カールが立ち上がった。背筋が少しだけ伸びた。
「いつから準備を始めればいい」
「明日、ヘルマンが詳細を伺いに来ます。証言の内容を整理させてください」
「分かった。明日から」
◇
屋敷を出た。
馬車の中。
「ナターシャ。カール様の証言が取れた」
「はい。これで証人は六名確保。残りはカスパルだけです」
「カスパルは殿下が」
「はい。明日、殿下がカスパルに面会します」
「殿下に任せていいのかな」
「任せるべきです。殿下が自分で決めたことです」
セレスティアは窓の外を見た。冬の空。低い雲。
カール元財務卿。ヴェンデル男爵家。
五年前の摂政投票で「恨みの票」を投じた家。あの時は票を投じるだけだった。今回は証言台に立つ。
「ナターシャ。不思議だね」
「何がですか」
「全部繋がってる。摂政投票で動いた人が、裁判の証人になる。保護したテオドールが証言する。あの夜出会ったイザベラが情報をくれた。全部」
「お嬢様が繋げたんです。一つ一つの出会いを。一つ一つの選択を。十一年かけて」
「わたしが」
「はい。お嬢様が三歳の時から——蒔き続けた種が、今、実を結んでいます」
セレスティアの目が熱くなった。
「ナターシャ。あと二週間」
「はい。あと二週間で、全てが揃います」
馬車が王都別邸に着いた。
玄関でイザベラが待っていた。
「おかえり。どうだった?」
「カール様の証言が取れた」
イザベラの目が輝いた。
「本当? それは大きい」
「うん。イザベラの情報がなければ、ここまで来れなかった」
「わたしは情報を渡しただけ。動いたのはあなたたち」
「渡してくれたから動けた」
二人で顔を見合わせた。
「夕食、一緒に食べよう。お母様が、煮込み料理を作ってくれてるって」
「リリアーナ様が料理を?」
「最近の趣味なの。花の世話と料理。お母様、元気になった」
「そう。良かった」
公爵邸の食卓。温かい煮込み料理。パンは焼きたて。
「いただきます」
温かかった。




