裁判準備(二)法的根拠
フェリクスの研究室。王立学術院の東棟三階。
机の上に法律書が積み上がっていた。レグナシオン王国法典。貴族院議事規則。特別裁判手続法。刑事訴訟規範。
フェリクスの机は普段、魔術理論の論文と実験ノートで埋まっている。今は法律書に占領されていた。
「おにいさま。研究室が法律事務所になってる」
「仕方がない。ヴァルトシュタイン子爵が持ち込んだ」
「セレスティア嬢。法的根拠の構築は、予想以上に複雑です」
子爵が眼鏡を直した。フェリクスと同じ癖。
「複雑、というのは」
「宰相を告発する罪状は五つ。それぞれに異なる法的要件があります」
子爵が書類を広げた。
「第一の罪状。職権乱用罪。これは貴族院の過半数の告発で成立します。証拠基準は『明白な職権の逸脱』。金庫の書類が証拠になります。これは通る」
「第二は」
「国庫横領幇助罪。カール元財務卿との共謀の立証が必要です。カールの証言と、金庫の横領記録が合致すれば立証可能。だが宰相は『カールが独断でやった』と主張するでしょう。共謀の証明が肝です」
「金庫の記録に宰相の指示が書かれている」
「はい。ですが宰相は『あの記録は偽造だ』と言うでしょう。筆跡鑑定で本物と立証する必要があります」
フェリクスが口を挟んだ。
「筆跡鑑定は俺が担当する。転写術で複製した文書は、原本と完全に同一の筆跡特性を持つ。鑑定人を用意すれば、法廷で立証できる」
「鑑定人は」
「王立学術院の書道学教授。独立した第三者。公爵家とも宰相家とも利害関係がない」
子爵が頷いた。
「それなら通る。第三は公爵夫人毒殺未遂の教唆罪。これが最も難しい」
「なぜ」
「教唆罪の立証には『実行犯への具体的な指示』を証明する必要があります。毒殺指示書は金庫にありましたが、実行犯の名前が伏せ字になっている箇所がある。宰相は『指示書は書いたが実行は命じていない。検討段階で止めた』と抗弁する可能性があります」
「検討段階、ですって。でも母は実際に毒を盛られた」
「はい。ですが茶葉に毒を混ぜた実行犯が特定できていません。ハーブティーを運んだ使用人は分かっていますが、毒入りの茶葉を誰が用意したのかまでは、ヘルマンの調査でも突き止められなかった」
セレスティアの唇が——引き結ばれた。
母を毒殺しようとした手の、最後の一本がまだ見つかっていない。
「医師ローレンツの証言で毒の処方箋の出所は立証できます。処方箋を書いた薬師が宰相の管轄下の人間であること。状況証拠としては有力ですが、直接証拠にはなりません」
「直接証拠が足りない」
「はい。教唆罪は立証のハードルが高い。これを主罪にするのは危険です。補助的な罪状として位置づけ、他の罪状で有罪を確定させた後に追及する方が賢明でしょう」
セレスティアは頷いた。悔しいが、合理的だ。
「第四。王太子暗殺計画への関与。マティアスを通じた間接的関与ですが」
「宰相は関与を否定するでしょう」
「はい。マティアスの独走として。実際、宰相はマティアスの暗殺計画を止めています。『知った時点で阻止した』と主張すれば、むしろ宰相の責任感を示す材料にされかねない」
「止めたのは、わたしが宰相に伝えたからなのに」
「はい。ですが法廷では誰が伝えたかは重要ではない。宰相が『阻止した』という事実だけが残る」
「第五。聖魔力保有者への迫害計画。排除計画書の存在。これは金庫の書類で立証できます」
「ですが宰相は『計画書は作成したが実行していない。安全保障の観点からの検討にすぎない』と主張する可能性があります」
「検討、ですって。わたしの処刑を検討した、と」
子爵が沈黙した。
法的には、計画書の作成だけでは犯罪にならない場合がある。実行に移されたかどうかが問われる。
「ここで三百年前の記録が武器になります」
フェリクスが言った。
「三百年前」
「エステルの事件。三百年前の聖魔力保有者が、同じ手法で排除された歴史的事実。そして五歳の魔力暴走が外部干渉によるものだった証拠。宰相の排除計画書と合わせれば——『単なる検討ではなく、実行に向けた準備が進んでいた』と立証できる」
「三百年前の記録と五歳の暴走の関連」
「そうだ。暴走の誘発記録が金庫にあった。魔力パターンの採取。これは『実行の一部』だ。計画は既に部分的に実行されている」
子爵が目を光らせた。
「なるほど。排除計画書は、五歳の暴走誘発と合わせて一つの犯罪行為を構成する。計画の立案と部分的な実行。これなら、立証可能です」
「三百年前の記録は歴史的虚偽を暴く補強証拠にもなる。聖魔力脅威論が捏造だったことを示す」
「法的には聖魔力脅威論の虚偽は直接の罪状にはなりません。ですが、宰相が『王国の安全のため』と弁明した時に——その前提が嘘だったと突き崩す武器になる」
セレスティアは整理した。
確実に通る罪状:職権乱用罪、国庫横領幇助罪。
立証が難しいがやる価値がある罪状:迫害計画(暴走誘発との合わせ技)。
補助的罪状:毒殺未遂教唆、暗殺計画関与。
「主戦場は職権乱用と横領。そこで有罪を取った上で、迫害計画で追い討ち」
子爵が頷いた。
「賢明です。裁判は一つの戦いです。全てを一度に勝とうとすると、どこかで綻ぶ。確実なところから攻める」
「確実なところから」
「はい。そして宰相が崩れ始めたら、一気に押し込む」
◇
研究室を出た。夕暮れ。
リディアが廊下で待っていた。
「セレスティア。外交カードの件」
「リディア。うん、聞かせて」
リディアが歩きながら話した。黒い髪が風に揺れる。
「南方のレジスタンスを通じて南方諸国の外交官に接触した。三カ国が、レグナシオン王国の内政に『懸念』を表明する用意がある」
「懸念」
「正式な外交圧力ではない。だが『聖魔力保有者の迫害は国際的に問題がある』という声明を出す。裁判の前に」
「外からの圧力か」
「宰相が法廷で『王国の安全のため』と弁明した時に『国際社会はそう思っていない』と突きつける。外圧は法的証拠にはならない。だが心理的圧力にはなる」
「リディア。ありがとう」
「礼はいい。わたしの故国を滅ぼした将軍の背後にも、宰相の影がある。宰相が倒れれば南方の力関係も変わる」
リディアの目に——静かな炎があった。
「リディア。いつか、あなたの国を取り戻そう」
「大きなことを言うわね。でも」
リディアが少しだけ笑った。
「あなたが言うと本当になりそうで怖いわ」
「本当にする。約束」
「また約束。あなた、約束が多すぎない?」
「多い方がいい。約束は、未来の予約だから」
リディアが目を丸くした。
「それ、いい言葉ね。わたしの国の諺にしてもいい?」
「リディアの国に諺はないでしょう。いつも即興じゃない」
「即興の諺こそ名言になるのよ。我が国ではそう言います」
「今作ったでしょう」
「もちろん」
二人で笑った。
夕暮れの廊下。オレンジ色の光。
「あと三週間」
「三週間で全てが揃う」
「揃ったら」
「告発する。貴族院で。正式に」
リディアが頷いた。
「わたしは外交面から援護する。任せて」
「任せる。リディアは頼りになる」
「当然よ。元王女ですから」
リディアが胸を張った。冗談めかして。だがその瞳には本物の矜持があった。
馬車で王都別邸に帰った。
ナターシャが紅茶を用意していた。蜂蜜入り。
「お嬢様。今日の成果は」
「法的根拠は整理できた。外交カードも動いてる。あと三週間で全部揃う」
「順調ですね」
「順調。怖いくらい」
「怖い?」
「順調な時は、何か見落としてないかって不安になる」
「見落としがあれば、わたしが拾います。お嬢様が見逃したものは、わたしが見ます」
「……ナターシャ」
「はい」
「それが一番心強い」
紅茶を飲んだ。甘かった。




