王妃の決断
廃嫡請願が否決された翌日。
王宮。摂政王妃エレオノーラの私室。
セレスティアは招かれていた。
王妃の部屋は質素だった。豪華な調度品はあるが、花が多い。窓辺に。テーブルに。棚の上に。白い百合。赤い薔薇。紫の菫。
母リリアーナと同じだ。花が好きな人。
「セレスティア嬢。座りなさい」
エレオノーラが微笑んだ。金髪。翡翠色の目。アレクシスの面影がある。だがアレクシスより鋭い。摂政として国政を動かしてきた女性の鋭さ。
「お呼びいただきありがとうございます」
「堅い挨拶はいい。昨日の貴族院、見事だった」
「わたしは何もしていません。殿下が自分で」
「自分で。そう。アレクシスが自分で立った。それが何よりも嬉しい」
エレオノーラが紅茶を注いだ。自分の手で。侍女には任せず。
「セレスティア嬢。ルシアンのことを話さなければ」
「はい」
「ルシアンは、わたしの息子だ。アレクシスと同じく。血を分けた子だ」
王妃の声が少しだけ揺れた。
「ルシアンが廃嫡を請願した時、わたしは摂政として、息子を叱らなければならなかった。公式に。公の場で」
「王妃様」
「母親が息子を——公の場で叱責する。これがどれほど辛いか、あなたには分かるかしら」
セレスティアは黙って頷いた。
「でもしなければならなかった。摂政としての責任だ。王太子はアレクシスである。それを揺るがすことは、この国を揺るがすこと」
エレオノーラが紅茶のカップを両手で包んだ。
「ルシアンへの叱責は、今朝、非公開で行った。『王太子の廃嫡を請願することは、王家の秩序を乱す行為である。第二王子には謹慎を命じる』」
「謹慎」
「一ヶ月の宮殿内謹慎。外出禁止。面会制限。マティアスとの接触を断つためでもある」
「マティアスとの接触」
「ええ。ルシアンとマティアスの同盟は危険すぎる。十五歳の少年が副宰相に利用されている。母親として、止めなければ」
「ルシアン殿下は、どう反応されましたか」
エレオノーラが目を閉じた。
「泣いた」
「泣いた」
「十五歳の子供だ。母親に叱られたら泣く。当たり前のことだ。だがルシアンは、泣いた後で言った。『母上はアレクシスの味方なのですね。いつも。僕のことは——見てくれないのですね』と」
セレスティアの胸が痛んだ。
十五歳の少年の叫び。
「王妃様。ルシアン殿下は」
「分かっている。ルシアンが寂しかったことも。わたしがアレクシスばかりを見ていたことも。王妃として、摂政として、王太子を優先せざるを得なかった。でもそれは、ルシアンへの言い訳にはならない」
エレオノーラの目に——涙が光った。だが流さなかった。
「わたしはルシアンにも向き合う。謹慎の間に。母親として。だが今は」
「今は」
「宰相を倒すことが先だ。宰相がいる限り、ルシアンを操る者がいなくならない。根を断たなければ」
エレオノーラがセレスティアを見た。
「セレスティア嬢。あなたが宰相を告発する準備をしていることは知っている」
「どこから」
「ジークフリートからだ。騎士団長はわたしに全てを報告する」
セレスティアは頷いた。
「はい。宰相を告発します。証拠は揃いました」
「証拠。どの程度の」
「宰相自身の手で書かれた不正の記録。三十年分。母への毒殺指示書。わたしの排除計画書。横領の記録。全て」
エレオノーラの目が見開かれた。
「それは決定的だ」
「はい。ですが、裁判を開くには貴族院の同意が必要です。そして」
「王族の支持があれば、重みが違う」
「はい。王妃様のお力を貸していただきたい」
エレオノーラが立ち上がった。窓辺に歩いた。百合の花に触れた。
「セレスティア嬢。あなたがアレクシスを支えてくれているから、わたしは戦える」
「わたしは」
「あなたが五歳の時から、アレクシスの隣にいてくれた。あの子が自分で立てるようになったのは、あなたのおかげだ」
「わたし一人の力では」
「知っている。多くの人の力だ。公爵家の。騎士団の。仲間たちの。でもあなたが始めたことだ。三歳で」
エレオノーラが振り返った。
「力を貸す。——摂政として。そして母として」
「母として」
「ルシアンを守るためにも。宰相がいなくなれば、ルシアンを操る者がいなくなる。あの子は元の優しい子に戻れるかもしれない」
「王妃様」
「エレオノーラでいい。リリアーナの娘なら、わたしにとっても娘のようなものだ」
セレスティアの目が熱くなった。
「ありがとうございます。エレオノーラ様」
「礼は宰相を倒してから言いなさい」
エレオノーラが微笑んだ。温かい笑み。母の笑み。
◇
帰り道。馬車の中。
「ナターシャ。王妃の支持を得た」
「大きいです。摂政王妃が宰相の告発を支持すれば、貴族院も動かざるを得ない」
「うん。これで、告発に必要な全ての条件が揃った」
公爵家の告発。王妃の支持。証拠。証人。法的根拠。
全ての準備が整いつつある。
「ナターシャ。お母様に報告しなきゃ」
「リリアーナ様に」
「エレオノーラ様が力を貸してくれるって。お母様、喜ぶと思う」
「はい。きっと」
馬車が王都別邸に着いた。
リリアーナが庭で花の手入れをしていた。冬に咲く花。パンジー。紫色。
「お母様」
「おかえり、セレスティア。顔色がいいわね。良いことがあったの?」
「うん。エレオノーラ様が、力を貸してくれるって」
リリアーナの目が輝いた。
「エレオノーラが。あの人は昔から、約束を守る人だったわ」
「お母様と仲良しだもんね」
「仲良し。十五歳からの友人よ。もう二十年以上。あの人がいなかったら、わたしは公爵家に嫁ぐ勇気がなかったわ」
「勇気?」
「田舎の男爵家の娘が、公爵家に嫁ぐの。怖かったのよ。でもエレオノーラが言ったの。『あなたなら大丈夫。花を育てられる人は、家も育てられる』って」
「花を育てられる人は」
セレスティアは母を見た。花に囲まれた母。パンジーの紫がラベンダーの紫に似ている。
「お母様。わたしも、育てられるかな」
「何を?」
「未来を」
リリアーナが微笑んだ。
「育てられるわ。あなたは、わたしの娘だもの」
「お母様。宰相を倒す」
「ええ。でもその前に、お昼を食べましょう。ナターシャ、パンケーキを焼いてもらえる?」
「蜂蜜のパンケーキですね。承知いたしました」




