ルシアンの暴走
祭典から三日後。
貴族院に爆弾が投げ込まれた。
「第二王子ルシアン・レグナシオン殿下より、王太子アレクシス・レグナシオン殿下の廃嫡請願が提出されました」
議長ベッカー伯爵の声が議場に響いた。
廃嫡。
王太子の地位を剥奪する請願。
議場が騒然となった。
セレスティアは傍聴席にいた。ナターシャと。イザベラと。
「廃嫡請願——」
「はい。マティアスが裏で動いたと思われます」
ナターシャの声は冷静だったが、表情は硬い。
請願書が読み上げられた。
「王太子アレクシスは、病床の父王に代わる統治能力を欠いている。摂政王妃と公爵家に依存し、自らの判断で政策を実行した実績がない。王国の安定のためには、より適格な王族が継承権を持つべきである」
ルシアンの名前で出されているが、文章はマティアスのものだ。十五歳の少年が書く文面ではない。
だが、ルシアンの署名がある。王族の署名。
それだけで貴族院は審議しなければならない。
「セレスティア。これは」
イザベラが隣で囁いた。
「マティアスの反撃。祭典で暗殺が止められたから、今度は合法的な手段で。廃嫡が認められれば、ルシアンが王太子になる。マティアスはルシアンの後見人として実権を握る」
「合法的って。でも貴族院が認めるの?」
「認めない。普通なら。でも宰相派がこの請願を支持すれば」
セレスティアは宰相の席を見た。
ヴィクトール・ド・ガルニエは微笑んでいた。
請願を支持するかどうか、宰相は態度を明かしていない。だが微笑んでいる。それが最も不気味だった。
「宰相は、どう出る」
「分かりません。マティアスの請願を支持すれば、マティアスとの関係を修復できる。拒否すれば、マティアスとの決裂が確定する」
「宰相が態度を保留してること自体が計算ね」
「はい。公爵家と副宰相の両方に揺さぶりをかけている」
議場の審議が続いている。
公爵ライナルトが反論した。
「廃嫡請願には具体的な根拠が必要です。王太子殿下の統治能力を問うならば、実績を示すべきです。先日の祭典における王太子殿下の挨拶を、皆様はお聞きになったはずです」
「挨拶の上手さと統治能力は別物です!」
マティアス派の議員が叫んだ。
議論が紛糾する。
セレスティアはアレクシスの姿を探した。
王族席。アレクシスが座っている。隣にコンラート。
アレクシスの顔は蒼白だった。
異母兄に裏切られた。公の場で。廃嫡を請願された。
だが、拳を握っていた。膝の上で。白くなるほど。
セレスティアは知っている。あの拳の意味を。
折れていない。
◇
審議は休会となった。採決は翌日に持ち越し。
セレスティアはアレクシスに会いに行った。
王宮の中庭。人気のない場所。
アレクシスが一人で立っていた。コンラートは少し離れた場所に。
「殿下」
「来たか。聞いたか」
「聞いた。傍聴席にいた」
アレクシスが空を見上げた。曇り空。冬が近い。
「ルシアンが——僕を廃嫡しようとしている」
「はい」
「家族が。血を分けた家族が」
声が震えていた。怒りではない。悲しみ。
「小さい頃、一緒に庭で遊んだ。ルシアンは虫が嫌いで、僕が虫を追い払ってやった。そんな家族が」
「殿下」
「マティアスに操られているのか。それとも——本心なのか。分からない。分からないのが一番辛い」
アレクシスの拳が震えていた。
セレスティアは、何と言うべきか迷った。
慰める言葉は今は意味がない。
「殿下。ルシアン殿下は、自分の意思で動いています」
厳しい言葉を選んだ。
「自分の」
「はい。マティアスに唆された部分はある。でも、署名したのはルシアン殿下自身です。十五歳でも、自分で選んだ」
アレクシスの顔が歪んだ。
「自分で選んだのか。僕を」
「はい」
沈黙。
風が吹いた。冷たい風。冬の匂い。
「……ルシアン」
アレクシスが呟いた。
「お前がそう望むなら——僕は王太子として答える」
声が変わった。
「逃げない。家族の挑戦から逃げない。正面から受ける」
「殿下」
「廃嫡の審議で、僕は自分の言葉で答える。原稿なしで。誰にも書いてもらわずに。王太子として」
セレスティアの目が熱くなった。
「殿下。わたしは、殿下を信じています」
「信じてくれるのか」
「最初から。——三歳の時から」
アレクシスがセレスティアを見た。
目が赤かった。泣きそうな目。でも泣いていない。
「三歳か。長いな」
「長い。でもまだ足りない。もっと長く、傍にいる」
アレクシスの耳が赤くなった。
「……ありがとう。セレスティア」
名前を呼ばれた。殿下に。
「明日、傍聴席にいる。殿下の言葉を聞く」
「ああ。聞いていてくれ」
中庭の木が風に揺れていた。
二人の間に冷たい風が吹いていた。
◇
翌日。貴族院。
廃嫡請願の審議が再開された。
議長が発言を促した。
「王太子殿下。弁明の機会を認めます」
アレクシスが立ち上がった。
原稿を持っていなかった。
議場がざわめいた。王太子が原稿なしで議場に立つのは前例がない。
「議員の皆様。僕は、アレクシス・レグナシオンです」
声が議場に響いた。
「僕は完璧な王太子ではありません。経験も足りない。判断を誤ったこともある。ルシアンの言う通り、まだ未熟です」
議場が静まった。
王太子が自分の弱さを認めた。
「でも、未熟だからこそ、学んでいます。周りの人から。支えてくれる人から。僕は一人で立っているわけではない。多くの人に支えられて、今ここに立っています」
セレスティアは傍聴席で息を止めていた。
「廃嫡が正しいかどうかは、皆様が判断してください。僕はただ、約束します。この国の全ての人のために最善を尽くすと。間違えたら正すと。逃げずに向き合うと」
拍手。
一人が拍手した。二人。十人。傍聴席から。
議場の議員も何人かが手を叩いた。中立派から。
マティアス派の議員は黙っていた。
宰相は微笑んでいた。だが目が細くなっていた。計算の目。
採決。
「廃嫡請願。賛成の方」
十五。マティアス派と宰相派の一部。
「反対の方」
三十二。公爵派と中立派の大半。宰相派からも数名が反対に回った。
否決。
大差で。
傍聴席から歓声。
セレスティアは涙を拭いた。
アレクシスが傍聴席を見た。セレスティアを見つけた。
微笑んだ。
少年の微笑み。王太子の微笑み。両方が混ざった、十三歳の笑顔。
「殿下」
セレスティアは呟いた。声にならなかった。
隣でナターシャが小さく息を吐いた。
「お嬢様。殿下は、立派でした」
「うん。すごく」
勝った。
アレクシスが自分の力で。




