イザベラの情報
翌朝。王都別邸の書斎。
出席者は六人。公爵ライナルト。セレスティア。イザベラ。ナターシャ。ヘルマン。フェリクス。
イザベラは昨夜とは別人のように落ち着いていた。目の腫れはまだ残っている。でも背筋は真っ直ぐだった。
「お話しします。わたしが知っている、宰相家の全て」
公爵が頷いた。
「イザベラ嬢。無理はしなくていい。話せる範囲で」
「いいえ。全て話します。覚悟はできています」
イザベラが話し始めた。
「まず、お父様の書斎について。宰相邸の三階、東端の部屋。鍵は魔術式の封印錠。通常の鍵では開きません。お父様の魔力紋でのみ解錠されます」
フェリクスがメモを取った。
「魔術式の封印錠か。解析できるか?」
「仕組みは分かっています。お父様の魔力紋をベースにした認証系。ですが、わたしの魔力紋でも開くように、副鍵が設定されていた時期がありました」
「副鍵」
「つい最近までは。わたしが十四歳の頃まで、お父様は書斎の出入りを許していました。娘を信頼していたから。家を出る少し前に副鍵は取り消されましたが、封印錠の構造は変わっていないはずです」
フェリクスが眼鏡を直した。
「構造が同じなら解析は可能だ。時間はかかるが」
「どれくらい?」
「実物を見て、十分。封印錠の魔力パターンを読み取れれば」
イザベラが続けた。
「書斎の奥に隠し金庫があります。本棚の裏。三段目の右から四冊目の本が偽装です。本を引けば金庫の扉が現れます」
「本棚の裏か。典型的だが……」
ヘルマンが呟いた。
「典型的だからこそ、誰も疑わないのです。お父様は目立たないことを好みます。複雑な仕掛けより、単純な隠蔽を」
「金庫の中身は?」
セレスティアが聞いた。
イザベラの表情が硬くなった。
「わたしは十四歳の時に、一度だけ金庫の中を見ました。お父様が開けたまま席を外した時に」
沈黙。
「中には書類が。大量の。年代順に整理されていました。お父様は全てを記録していたんです」
「全て」
「暗殺の指示書。買収の記録。脅迫の文面。過去三十年分の不正の記録が、そこにあります」
書斎が静まり返った。
「なぜ記録していたの?」
セレスティアが聞いた。
イザベラが少しだけ目を伏せた。
「お父様は全てを記録していたわ。証拠として使うためではなく、自分が正しいと確認するために」
「正しいと、確認?」
「はい。お父様は自分のしていることに迷いがあったのだと思います。だから記録した。全てを書き留めて、読み返して、『これは国のために必要だった』と自分に言い聞かせていた」
セレスティアの胸が痛んだ。
「イザベラ。その金庫の中に、最も重要なものは何があった?」
イザベラがセレスティアを真っ直ぐ見た。
「あなたの名前が書かれた書類があったわ」
空気が凍った。
「わたしの——」
「『アルヴェイン公爵令嬢の排除計画』。セレスティア、あなたの名前が明記された、処刑への筋書きが。あの金庫の中にある」
セレスティアの手が震えた。
「それはいつの日付のものだった?」
「わたしが見た時点で三年前の日付でした。お嬢様が十歳の頃に作成されたもの。つまり」
「わたしが十歳の時から——処刑が計画されていた」
十歳。前世の暗殺未遂より前。魔力暴走事件の後。
宰相はセレスティアが五歳で聖魔力を暴走させられた時から、排除計画を練っていた。八年前から。
「……八年も前から」
声が小さくなった。
ナターシャがセレスティアの肩に手を置いた。無言で。
「お嬢様。大丈夫ですか」
「大丈夫。大丈夫。続けて、イザベラ」
イザベラが頷いた。
「他にも。お母様、リリアーナ様への毒殺指示書。暗殺未遂事件の計画書。貴族への脅迫文の下書き。ディートリヒへの工作指示」
「母への毒殺指示書」
公爵の声が低くなった。穏やかな父の声が。鉄のような重さを帯びた。
「はい。公爵夫人を毒殺する計画の指示書です。実行者の名前。毒の種類。時期。全て記録されています」
書斎の空気が重くなった。
公爵ライナルトは目を閉じた。しばらく。
「……イザベラ嬢。ありがとう。これは、決定的な証拠になる」
「公爵様。わたしはお父様を売ったのではありません。正しくないことを正そうとしているだけです」
「分かっている。君の勇気に、敬意を表する」
公爵の声は穏やかに戻っていた。だが目の奥に、鉄の光があった。
ヘルマンが整理した。
「つまり、宰相邸の金庫を押さえれば、宰相を告発するための決定的証拠が手に入る」
「はい。ですが」
「ですが?」
「お父様は愚かではありません。イザベラが家を出た以上、金庫の中身を処分する可能性があります。急がなければ」
セレスティアが立ち上がった。
「潜入する。宰相邸に」
書斎が再び静まった。
「セレスティア。それは」
公爵が言いかけた。
「分かってる。法に触れる。貴族の邸宅への不法侵入。でもお父様、あの金庫の中身がなければ、宰相を倒せない」
「セレス。お前が行く必要はない。人を出す」
「わたしは行かない。指揮だけ取る。潜入チームは、ヴォルフ、ナターシャ、フェリクスおにいさま」
フェリクスが眼鏡を上げた。
「俺か」
「封印錠の解除にはおにいさまの魔術が必要。他に誰がいるの」
「……確かに。だが潜入は得意じゃない」
「錠前を開けてくれるだけでいい。中に入るのはヴォルフとナターシャ」
ナターシャが右腕の包帯に触れた。
「ナターシャ。腕は」
「大丈夫です。左手で十分動けます。それに、金庫の書類を識別するにはわたしの目が必要です」
「でも」
「お嬢様。わたしの選択です」
同じ言葉。昨日と同じ。ナターシャの決意は揺るがない。
「カタリナが外周を警戒する。ニコラスに宰相邸の見取り図を手配させて」
「承知いたしました」
ヘルマンが言った。
「時期は?」
セレスティアは考えた。
祭典まであと二日。祭典の前日が最適。宰相は祭典の準備で王宮にいる。邸宅の警備が手薄になる。
「祭典の前夜。明日の夜」
「明日か。急だな」
「急がないと証拠が消される。イザベラが出た以上、宰相は金庫の存在が漏れたことを想定する。処分する前に」
公爵が沈黙した。
長い沈黙。
「……セレスティア。法に触れる行為だ」
「はい」
「だが」
公爵は目を閉じた。
妻を毒殺されかけた。娘を処刑しようとする計画書がある。それを書いた男が、今もこの国の宰相として、のうのうと笑っている。
「……生き残るためだ」
公爵の声は低かった。
セレスティアは頷いた。
「ありがとう、お父様」
「礼は成功してから言え」
◇
会議の後。
イザベラとセレスティアが庭を歩いていた。午前の光。ラベンダーの香り。
「セレスティア。大丈夫?」
「何が」
「処刑の計画書。あなたの名前が書かれた。ショックだったでしょう」
セレスティアは少し立ち止まった。
「ショックだった。でも、知ってた」
「知ってた?」
「わたしは前から知ってた。宰相がわたしを殺そうとしていることは。でも、文書として存在するのを聞くと」
手を見た。指先が微かに震えている。
「実感が違うね。知っていることと、証拠があることは」
イザベラがセレスティアの手を握った。
「冷たい。あなたの手、冷たいわ」
「緊張してるの。明日の夜のことを考えると」
「わたしも行きたい。邸の構造は誰よりも知ってるから」
「ダメ。イザベラが宰相邸に戻ったら、お父様の部下に見つかるかもしれない」
「でも」
「ここで待ってて。わたしたちが証拠を持って帰るから」
イザベラがセレスティアの手を強く握った。
「絶対に——帰ってきてね。全員」
「帰ってくる。約束」
ラベンダーの花が風に揺れた。
「怖い」
小さく呟いた。
「怖くていい。怖いまま、やるの。わたしのやり方」
イザベラが隣で微笑んだ。
「あなたって本当に変わった人ね」
「よく言われる」
二人でラベンダーの庭を歩いた。明日の夜を前にして。




