中間決戦 貴族院大議会
貴族院大議会。
レグナシオン王国の最高議決機関。年に一度開かれる大議会は、王国の主要政策を決定する場。
議場。半円形の階段状の座席が、議長席を囲むように配置されている。天井には王国の紋章。壁には歴代議長の肖像画。
五十二の議席。全てが埋まっている。
議題は一つ。
「聖魔力保有者の処遇に関する法律案」。
通称、聖魔力脅威法。
宰相派のテオドール報告書を根拠に、「聖魔力は王国の安全を脅かす」として、聖魔力保有者の行動を制限する法案。登録制度。移動の制限。魔力使用の許可制。
事実上のセレスティア拘束法。
セレスティアは傍聴席にいた。
四年前の摂政投票と同じ場所。同じ石造りのベンチ。あの時はエレオノーラ王妃の摂政就任を見守った。
今回は自分の運命を見守る。
隣にナターシャ。右腕に包帯。その後ろにヴォルフとカタリナ。
議場の空気が重い。
「開会を宣言する」
議長が槌を打った。中立派のベッカー伯爵。白髪の老人。四年前の摂政投票でも議長を務めた人物。
「本日の議題。『聖魔力保有者の処遇に関する法律案』。提出者、宰相ヴィクトール・ド・ガルニエ閣下」
宰相が立ち上がった。
七十一歳の老人。白髪。穏やかな微笑み。だがセレスティアには、その微笑みの裏が見える。
「議員諸君。この法案は、王国の安全のために提出するものです。聖魔力、光と闇の融合魔力は、歴史上、常に王国を脅かしてきました。三百年前のエステルの反乱を忘れてはなりません」
セレスティアの手が拳になった。
エステルは反乱など起こしていない。フェリクスのレポートが証明している。だがここでそれを叫んでも、傍聴席から発言する権利はない。
宰相は続けた。
「現在、聖魔力の保有が確認されている者は、公爵令嬢セレスティア・フォン・アルヴェインの一名。この法案は特定個人を対象とするものではなく、将来の聖魔力保有者も含めた制度としての枠組みを作るものです」
嘘だ。
「テオドール報告書に基づく科学的根拠。五歳の魔力暴走事件の記録。これらを総合すれば、聖魔力の管理は王国の責務であると考えます」
拍手。宰相派の議席から。二十三名。
セレスティアは票を数えた。
宰相派二十三。公爵派十九。中立派十。
過半数は二十七。
公爵派だけでは足りない。中立派十名のうち七名を味方につけなければ負ける。
四年前の摂政投票では中立派を取り込んで勝った。だが今回は状況が違う。聖魔力脅威論は恐怖に訴える議論だ。中立派が恐怖に流される可能性がある。
公爵ライナルトが立ち上がった。反対弁論。
「議長。反対の立場から発言いたします」
「許可する」
「この法案は恐怖に基づいています。テオドール報告書は、偏った資料のみを根拠に、聖魔力の危険性を誇張しています。テオドール本人は既に、偽証の圧力の下で報告書を作成したことを認めています」
議場がざわめいた。
「テオドールの証言は信用できるのか!」宰相派から野次。
「テオドールは現在、安全な場所で保護されています。彼の証言の信憑性は」
「保護? 公爵家が囲い込んでいるだけではないか!」
「静粛に!」議長が槌を打った。
ライナルトは冷静に続けた。
「さらに。王立学術院のフェリクス・フォン・アルヴェイン研究員が発表した論文『聖魔力の構造と安定性に関する理論的考察』。この論文は、聖魔力が本質的に危険ではないことを学術的に証明しています」
「身内の論文ではないか!」
「この論文は王立学術院の査読を通過し、学術院長の推薦を受けています。身内であっても、科学的事実は事実です」
公爵の弁論は堅実だった。だがセレスティアの目には厳しい展開に見えた。
宰相派は恐怖を武器にしている。「もし暴走したらどうする」「被害が出たら誰が責任を取る」。恐怖は論理よりも強い。
票読み。
中立派十名のうち、明確に公爵派寄りは三名。宰相派寄りは二名。残り五名が浮動票。
公爵派十九+中立派三=二十二。足りない。あと五票。
浮動票五名のうち三名を取れれば、二十五。それでもまだ足りない。
「ナターシャ、票が」
「足りません。中立派の四名目以降が鍵です」
セレスティアは傍聴席から議場を見下ろした。
中立派の席。四番目の浮動票、ブリュンヒルデ男爵。母リリアーナの花の手紙で摂政投票を動かした人物。
だが今回、ブリュンヒルデ男爵の表情は硬い。恐怖に揺れている。
五番目、ヴァルトシュタイン子爵。法律の専門家。理性的な人物だが、法案の「合理性」に一定の理解を示している。
厳しい。
このままでは負ける。
弁論が続いた。宰相派と公爵派が交互に発言する。議場の温度が上がっていく。
そして。
「議長。発言を求めます」
声が響いた。
議場が静まった。
立ち上がったのは、宰相派の席にいる人物。
若い女性。黒髪。凛とした横顔。
イザベラ・ド・ガルニエ。
宰相の娘。
「ガルニエ令嬢。発言を許可する」
議長が槌を打った。
宰相の目が細くなった。
イザベラは壇上に歩いた。一歩一歩、確かな足取りで。
議場の全員が注目している。宰相の娘が法案の審議中に発言する。
「議員の皆様。——わたしは、この法案に反対します」
議場が——凍った。
宰相派の席からどよめき。
宰相の顔から微笑みが消えた。
イザベラは続けた。
「わたしは宰相の娘です。この法案を提出した父の娘です。ですが、この法案は間違っています」
声は震えていなかった。
「聖魔力は危険ではありません。わたしは父の書斎で、テオドール報告書の草稿を見ました。あの報告書は意図的に危険性を強調するよう編集されていました。原稿と比較すれば」
「イザベラ!」
宰相の声が初めて大きくなった。
議場が凍りついた。
宰相は立ち上がっていた。顔から全ての表情が消えている。
イザベラは父を見た。
父と娘の視線が交差した。
「お父様。この法律は間違っています。人を、生まれ持った力で縛る法律は正しくありません」
「わたしは宰相の娘です。でも、父の全てが正しいとは限らない。間違いを正すことは裏切りではありません。正しいことをしているだけです」
イザベラの声が議場に響いた。
中立派の表情が変わった。
宰相の娘が反対している。宰相の身内でさえ疑問を持つ法案。
ブリュンヒルデ男爵の表情が揺れた。
ヴァルトシュタイン子爵が顎に手を当てた。
浮動票が動き始めた。
「議長。採決を求めます」
公爵ライナルトが立ち上がった。今だ。流れが変わった瞬間に採決に持ち込む。
「採決に入る。『聖魔力保有者の処遇に関する法律案』。賛成の方は起立を」
宰相派が立った。だが全員ではない。イザベラが座ったままだ。そしてもう一人、宰相派の若い議員が、立たなかった。イザベラの発言に動かされたように。
「賛成二十一」
「反対の方は起立を」
公爵派が立った。全員。
そして中立派から。ブリュンヒルデ男爵が立った。ヴァルトシュタイン子爵が立った。次々と。
「反対二十八」
否決。
議場がどよめいた。
セレスティアは傍聴席で両手を握りしめていた。爪が掌に食い込んでいる。
勝った。
法案は否決された。
宰相の顔を見た。微笑みは戻っていなかった。冷たい顔。氷の顔。
だがセレスティアが見ていたのは宰相ではなかった。
壇上から自席に戻るイザベラの背中を見ていた。
細い背中。黒い髪。真っ直ぐな背筋。
震えている。かすかに。壇上では震えなかった声が、席に戻る足が震えている。
セレスティアは傍聴席を立った。階段を駆け下りた。
「お嬢様」ナターシャが追いかける。
議場の出口でイザベラを待った。
扉が開いた。
イザベラが出てきた。
顔は蒼白だった。唇が青い。目が潤んでいる。でもまだ泣いていない。
「イザベラ」
セレスティアが駆け寄った。
「ありがとう。ありがとう、イザベラ」
イザベラがセレスティアを見た。
「感謝しないで。これはわたし自身の決断だから」
声がかすれていた。
「お父様の顔が。初めて見た。あんな顔。表情が全部消えた顔」
「イザベラ」
「怖かった。——すごく。壇上で、お父様の目を見た時。——でも」
涙が一筋、頬を伝った。
「正しいことをした。そう思ってる。間違ってないと思ってる」
「間違ってない。間違ってないよ、イザベラ」
セレスティアがハンカチを差し出した。
イザベラはハンカチを受け取った。目元を押さえた。
「セレスティア。わたし、今日から帰る家がない」
「ある」
「え」
「うちに来て。公爵邸に。部屋はたくさんある。ナターシャが紅茶を淹れてくれる。蜂蜜入りの」
イザベラの目が大きく見開かれた。
「わたしを」
「当然でしょう。友達なんだから」
イザベラが——泣いた。
声を上げて。壇上では上げなかった声を。議場では流さなかった涙を。
廊下の片隅で。セレスティアの肩に顔を埋めて。
「お嬢様」
ナターシャが後ろから静かに見守っていた。
「ナターシャ。蜂蜜入りの紅茶、二人分お願い」
「三人分にしましょう。わたしも飲みたいので」
セレスティアは笑った。泣いているイザベラの肩を抱きながら。
祭典まであと三日。




