アレクシスの成長
アレクシスは変わり始めていた。
王宮の訓練場。朝の光。
コンラートと木剣を打ち合っている。額に汗。息が荒い。だが、目は澄んでいた。
「もう一本」
「殿下、もう十五本目です」
「もう一本。まだ打てる」
コンラートが微笑んだ。珍しく。この無愛想な騎士見習いが。
「では、遠慮なく」
打ち込み。木剣が鳴る。アレクシスの受けが前よりも安定している。半年前なら弾き飛ばされていた一撃を、足を踏ん張って受け止めた。
「止まった」
アレクシスの声に驚きがあった。自分の成長に驚いている。
「殿下。足が良くなっています。重心が低い」
「コンラートの真似をしているだけだ」
「真似ができるのは才能です」
コンラートが木剣を下ろした。訓練終了の合図。
「殿下。一つ、お伝えしたいことが」
「堅いな。普通に言え」
「では普通に。殿下は強くなりました」
アレクシスが顔を背けた。耳の先が赤い。
「まだお前には勝てない」
「当然です。でも、半年前の殿下なら、五本目で膝をついていた」
「五本。そんなに弱かったか」
「はい。弱かったです」
「……容赦ないな」
「容赦して強くなった人はいません」
アレクシスは木剣を置いた。タオルで汗を拭く。
「コンラート。カスパルのことだが」
空気が少し変わった。
「はい」
「最近、カスパルの態度が変わった。前は毎日のように僕に助言を持ってきたのに、最近は一日に一度も来ない」
「気づいておられましたか」
「気づいた。カスパルは僕の側近だ。だが最近、僕を見る目が変わった。前は『導くべき子供』を見る目だった。今は——」
「今は?」
「『計りかねる相手』を見る目。僕が変わったから、向こうも変わった」
コンラートは黙った。
アレクシスは十三歳になって、人の目の意味を読む力をつけていた。
◇
午後。王宮の庭園。
セレスティアが訪ねてきた。
約束ではない。急な訪問。ヴォルフが後ろに控えている。
「殿下。お話が」
「顔が硬い。またか」
「また、ごめんなさい。いつもこんな話ばかりで」
「僕の命を守る話だろう。謝るな」
アレクシスが庭のベンチを指した。二人で座った。ヴォルフは三歩後ろに立った。
「殿下。ルシアン殿下のことです」
アレクシスの表情が微かに動いた。異母兄の名前。
「ルシアンが何をした」
「マティアスと同盟を組みました。宰相の枠組みの外で。独自に」
沈黙。
風が吹いた。庭園の薔薇が揺れた。
「……ルシアンが。自分で——」
「はい」
「宰相に操られてるわけじゃなく、自分の意思で」
「はい」
アレクシスが空を見上げた。青い空。雲が一つ、ゆっくりと流れていく。
「ルシアンはいつから」
「ヘルマンの分析では、半年ほど前から。宰相にルシアン殿下が利用されていることに、ルシアン殿下自身が気づいた。そしてそれを逆手に取り、独自に動き始めた」
「利用されていることを逆手に取る」
「はい。宰相の名前を使って人脈を作り、同時にマティアスとも接触した」
「十五歳で。それは」
アレクシスの声が、息継ぎの場所でわずかに揺れた。
「賢いということだろうな。兄は」
「はい」
「僕より——」
「殿下」
セレスティアの声に芯が入った。
「比べないでください。殿下とルシアン殿下は違う道を歩いている」
「違う道」
「ルシアン殿下は野心で動いている。殿下は責任で動いている。野心は速い。でも責任は遠くまで行ける」
アレクシスがセレスティアを見た。
ラベンダー色の瞳。真っ直ぐな視線。
「お前はいつも、僕に必要な言葉をくれるな」
「ナターシャの受け売りです」
「嘘だ。ナターシャの言葉はお前の声では言えない。お前の言葉だ」
セレスティアの頬に、じわりと色が差した。
「殿下。話を戻します」
「ああ」
「ルシアン殿下が敵に回る可能性があります。殿下は、どうされますか」
アレクシスは立ち上がった。庭の薔薇に近づいた。一輪、赤い薔薇に触れた。
「ルシアンは僕の家族だ。血を分けた家族だ。でも」
振り返った。
「家族だからといって、間違いを許すわけにはいかない。マティアスと組んでこの国を壊すなら。僕は——王太子として、止める」
「止める」
「僕は誰かの人形じゃない。カスパルの人形でもない。宰相の人形でもない。自分で考えて、自分で決める」
風が吹いた。アレクシスの金髪が揺れた。
セレスティアの胸が温かくなった。
「殿下。わたし、嬉しい」
「何が」
「殿下がそう言ってくれることが。自分で決めると言ってくれることが。すごく」
声が——語尾で細く揺れた。嬉しくて。
アレクシスが慌てた。
「泣くな。泣くような話じゃないだろう」
「泣いてない。目が痒いだけ」
「嘘が下手だな」
「殿下こそ。耳が赤いですよ」
「風が冷たいだけだ」
二人で見つめ合った。少しだけ。
庭園の薔薇が赤く咲いていた。二人の間に。
◇
帰り道。馬車の中。
ヴォルフが御者台にいる。セレスティアとナターシャが車内。
「ナターシャ。アレクシス殿下は」
「はい」
「強くなった。本当に」
「お嬢様が種を蒔いたんです。五歳の時から」
「種」
「五歳の時に殿下の手を取った。七歳で魔力を見せた。九歳で並んで星を見た。十一歳で選択を支えた。八年かけて蒔いた種が、今、芽吹いている」
セレスティアは窓の外を見た。王都の街並み。夕暮れ。屋根の上に鳥が飛んでいる。
「わたしは種を蒔いただけ」
「それが一番大切なことです」
「育ったのは殿下自身の力」
「はい。でも種がなければ、育つものも育ちません」
馬車が揺れた。石畳の振動。
「ナターシャ。祭典が終わったら、殿下と石段でお昼を食べる約束をしたの」
「石段。学園の?」
「うん。フリーデリケのパンを」
「殿下が石段に。目立ちますね」
「目立っていい。王太子が石段でパンを食べる。いいでしょう」
ナターシャが微笑んだ。
「いいですね。とても」
「楽しみ」
セレスティアの声が少しだけ、少女のものに戻った。
「ナターシャ。明日から祭典の最終準備に入る」
「承知いたしました」
「殿下の安全。マティアスの監視。ルシアンの動向。三つを同時に追う」
「人手が足りない」
「だから、コンラートとヴィオレッタにも動いてもらう。仲間を使う。一人で全部はできない」
「お嬢様がそう言えるようになったのは」
「成長、かな」
「はい。お嬢様も、育っています」
馬車が王都別邸に着いた。
夕焼けの空。オレンジ色。ラベンダーの花壇が夕日に染まっている。
「帰ってきた」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
夕日が王都別邸を照らしていた。
祭典まであと六日。




