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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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マティアスの逆恨み

 マティアスの執務室。


 机の上の書類が散乱していた。インク壺が倒れ、黒い液体が白い書面を汚している。


 マティアスは椅子に座ったまま、動かなかった。


 宰相に呼び出されてから三日。暗殺計画は潰された。ルドルフは待機命令。壇上の魔法陣は残っているが、使えない。


 全てが止まった。


 「……あの小娘が」


 低い声。唇が歪んでいる。


 「あの小娘が、宰相に告げ口したのか」


 セレスティア・フォン・アルヴェイン。十三歳の公爵令嬢。銀色の髪。碧い瞳。


 「……宰相を使って、わたしを制御しようとしている」


 マティアスの指が机の端を握り締めた。爪が食い込む。


 宰相はもはやマティアスを信頼していない。呼び出しの一時間。あの冷たい目。計算だけの視線。道具としてすら、価値を疑われている。


 「二十年だ」


 マティアスは呟いた。


 五歳で路地裏から拾われた。宰相の手足として教育された。二十年以上、官僚として忠実に仕えた。汚い仕事を引き受けた。暗殺も。脅迫も。買収も。


 全ては宰相のために。


 だが宰相は、マティアスを切る準備をしている。壇上の魔法陣を残したのがその証拠だ。いつでもマティアスの責任にできるように、証拠を残した。


 捨てられる。


 路地裏に戻される。五歳の時と同じように、飢えて、凍えて、誰にも見向きされない。


 「させない——」


 マティアスは立ち上がった。


 宰相の枠組みの中にいる限り、切り捨てられる。ならば、枠組みの外に出る。


 机の引き出しを開けた。奥に隠した一通の書簡。ルシアン殿下からの密書。


 『副宰相閣下。お話がしたい。王太子の座は、必ずしもアレクシスのものではない。私にも権利がある。協力してほしい——ルシアン・レグナシオン』


 マティアスは書簡を読み返した。


 ルシアン。第二王子。十五歳。宰相に唆され、王太子への対抗心を募らせてきた少年。


 宰相はルシアンを利用していた。だがルシアン自身にも野心がある。十五歳にして、驚くほど明確な野心が。


 「ルシアン殿下」


 マティアスは書簡を懐に入れた。


 宰相を見限る。ルシアンと組む。王位継承争いに乗る。


 そして、セレスティアを排除する。


 「あの小娘は、危険すぎる」


 あの少女を放置すれば、マティアスの全ての計画が潰される。


 「まず、情報網を断つ。侍女を潰す。情報網が途切れれば、あの小娘は目を塞がれる」


 マティアスの目が暗く光った。


 路地裏で生き延びた男の目。飢えた獣の目。


 ◇


 同じ頃。公爵邸。


 セレスティアはフェリクスのレポートを読んでいた。三百年前の記録の分析。誕生日にもらった分厚い冊子。


 「……やっぱり。エステルは反乱じゃなかった」


 三百年前の聖魔力保有者エステル。歴史書では「反乱を起こした危険な魔術師」とされている。だがフェリクスの分析では、真相は逆だった。


 エステルは王家を守ろうとした。守ろうとして、殺された。そして歴史は勝者によって書き換えられた。


 「繰り返させない——」


 ページをめくった。フェリクスの字は丁寧で読みやすい。注釈が隅に細かく書かれている。弟妹への配慮。


 コンコン。


 ノックの音。


 「セレス。入っていいか」


 フェリクスの声。


 「おにいさま。ちょうどレポートを読んでた」


 フェリクスが入ってきた。白衣を着ている。研究から直接来たらしい。眼鏡の位置がずれている。


 「赤は入れたか」


 「まだ途中。おにいさま、ここ」


 セレスティアがページを指した。


 「エステルの魔力暴走の記録。『暴走は意図的なものではなく、外部からの魔力干渉による誘発だった可能性がある』って書いてるけど」


 「ああ。残された魔力残痕の分析から推測した。エステル自身が暴走したのではなく、暴走させられた」


 「わたしの五歳の時と——同じ」


 フェリクスの目が鋭くなった。


 「そうだ。セレス、お前の五歳の暴走も外部干渉だった。以前分析した通り。三百年前と手法が同じ。つまり」


 「この手法は、三百年前から知られていた」


 「そして、三百年間使われ続けてきた。聖魔力保有者を『危険な存在』に仕立て上げるために」


 部屋が静かになった。


 「おにいさま。これは裁判で使える」


 「ああ。聖魔力脅威論の法案が出た時に、三百年前の虚偽を暴く。歴史的証拠として」


 「貴族院大議会が近い?」


 「ヘルマンの情報では、宰相派が法案を上程する準備を進めている。お前の聖魔力を規制する法律、事実上の拘束法だ」


 セレスティアは唇を噛んだ。


 宰相は暗殺計画を止めた。だが、別の手段で攻めてくる。法で。制度で。正面から。


 「おにいさま。第二論文は」


 「もうすぐ完成する。聖魔力の安定化理論の改良版。魔力暴走のメカニズムと、外部干渉による誘発の可能性を論証する。これが出れば」


 「『聖魔力は危険』という前提が崩れる」


 「そうだ。危険なのは聖魔力ではなく、聖魔力を暴走させようとする者たちだ。三百年間ずっと」


 フェリクスが眼鏡を直した。


 「セレス。一つ気になることがある」


 「なに」


 「マティアスだ。暗殺計画を潰された男が、大人しくしているとは思えない」


 「……うん」


 「宰相に見限られたマティアスは、予測不能な動きをする。宰相の枠組みの中にいた時は、宰相の計算で動きが読めた。だが枠組みから外れれば」


 「読めなくなる」


 「そうだ。暴走した手下は、最も危険だ」


 セレスティアは窓の外を見た。午後の陽光。庭のラベンダーが風に揺れている。


 「ナターシャの護衛を強化すべきだね」


 「なぜナターシャを」


 「わたしの情報網の要だから。マティアスが情報を断ちたいなら、ナターシャを狙う」


 フェリクスが頷いた。


 「ヴォルフに伝えよう。カタリナにも」


 「うん。おにいさま、ありがとう」


 「何が」


 「レポート。誕生日プレゼントとしては最高だった」


 「当然だ。知識に勝る贈り物はない」


 「でも次の誕生日は、お菓子がいいな」


 「……お前は俺に何を求めているんだ」


 「兄らしいプレゼント」


 フェリクスが少しだけ、困ったような顔をした。


 「考えておく」


 退室するフェリクスの背中を見ながら、セレスティアは微笑んだ。


 だが、微笑みは長くは続かなかった。


 ナターシャが入ってきた。表情が硬い。


 「お嬢様。ヘルマンからの急報です」


 「内容は」


 「マティアスが、ルシアン殿下と接触しました。王宮の非公開区画で。二時間の密会」


 空気が変わった。


 「二時間。長い」


 「はい。ヘルマンの分析では、単なる情報交換ではなく、同盟の締結に近い内容だった可能性があります」


 「ナターシャ。これは宰相派の分裂じゃない」


 「はい」


 「新しい勢力の誕生だ。宰相派でも公爵派でもない、第三勢力」


 「マティアスの実務能力と、ルシアン殿下の王族としての権威。組み合わせれば」


 「厄介だね」


 セレスティアは椅子に深く座った。


 「お父様に報告する。それと、アレクシス殿下にも」


 「アレクシス殿下は、兄のことを」


 「知るべきだ。辛いけど」


 兄が敵になる。それはアレクシスにとって、どれほどの痛みだろう。


 「……複雑になってる」


 ナターシャが紅茶を淹れてくれた。蜂蜜入り。


 「お嬢様。複雑になるということは、単純な悲劇にはならないということです」


 「どういう意味?」


 「悲劇は、誰かが全てを操る時に起きます。でも今は違う。敵も味方も、それぞれの意思で動いている」


 「複雑な方がいいの?」


 「はい。複雑なものには隙間がありますから。隙間には、つけ入る余地がある」


 セレスティアは紅茶を飲んだ。甘かった。


 「ナターシャはいつも正しいことを言う」


 「正しいかどうかは」


 「分からない。ただ必要な言葉を探してるだけ。知ってる」


 二人で少しだけ笑った。


 祭典まであと七日。


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