13歳の嵐
十三歳の朝は、雨だった。
窓の外。灰色の空。冷たい雨が公爵邸の庭を叩いている。ラベンダーの葉が重たげに揺れている。
セレスティアはベッドの中で目を覚ました。悪夢は見なかった。昨夜はよく眠れた。ナターシャが枕元にラベンダーの小袋を置いてくれたからだと思う。
「お嬢様。お誕生日おめでとうございます」
ナターシャがカーテンを開けた。灰色の光が部屋に入ってくる。
「ありがとう。十三歳か」
「はい。十三歳です」
十三歳。
セレスティアは起き上がりながら、ここ数ヶ月の出来事を思い返した。暗殺未遂。貴族院。国王の衰弱。事件が予想より速く動いている。
「ナターシャ」
「はい」
「事件が加速している。このままでは、処刑の時限もずっと早まる」
「あと二年か三年かもしれません」
部屋の空気が冷えた。雨の音だけが響いている。
「怖い?」
ナターシャが聞いた。珍しく。直接的に。
「怖い。——すごく」
正直に答えた。ナターシャの前では嘘をつかない。
「でも、怖いからこそ、先手を打てる」
セレスティアはベッドから降りた。着替えを受け取りながら、頭の中で、盤面を組み直していた。
「仲間の配置を確認する。全員の位置を。誰がどこにいて、何ができるか」
「承知いたしました。報告をまとめます」
ナターシャが退室した。
セレスティアは鏡の前に立った。十三歳の自分を見た。
去年より少しだけ背が伸びた。顔の輪郭が変わり始めている。子供と大人の境目。銀色の髪が肩を越えて、背中まで届いている。
「大丈夫。やれる」
鏡の中の自分に言い聞かせた。
◇
朝食の席。公爵家の食堂。
父と母が座っていた。長兄エドヴァルトも。次兄フェリクスも。
「セレスティア。十三歳おめでとう」
父が微笑んだ。穏やかな声。
「おめでとう、セレス。これを」
母が小さな箱を差し出した。中には銀の髪飾り。ラベンダーの形を象っている。繊細な細工。
「お母様、綺麗」
「あなたの髪に合うと思って。十三歳の娘に、母から」
リリアーナが微笑んだ。顔色はずいぶん良くなっている。あの日から母も無理をしなくなった。
「妹よ。兄からも」
エドヴァルトが革の手袋を差し出した。
「手袋?」
「馬に乗る時用だ。お前は馬術が下手だから」
「下手じゃないよ。普通」
「普通は下手と同義だ。アルヴェイン家の馬術は王国一でなければならん」
エドヴァルトが真面目な顔で言った。だが目が笑っている。
「俺からはこれだ」
フェリクスが分厚い冊子を差し出した。
「何これ」
「三百年前の記録の分析レポート。第一稿。お前の誕生日に合わせて仕上げた」
「おにいさま、誕生日プレゼントが学術レポート?」
「最高の贈り物だろう。知識に勝るものはない」
「……ありがとう。読むね」
「赤を入れてくれ。お前の視点が必要だ」
家族で朝食を食べた。温かいスープ。焼きたてのパン。蜂蜜のかかったパンケーキ、ナターシャの特別仕様。
雨の朝。灰色の空。でも食卓は温かかった。
◇
午後。ナターシャが報告を持ってきた。
「お嬢様。仲間の配置を確認しました」
「聞かせて」
「コンラート。近衛騎士見習いとして王宮に常駐。殿下の護衛任務に就いています。カスパルの動きも監視中」
「うん」
「ヴィオレッタ。学園と王都を行き来。父ロベルト侯爵と連携して、貴族院の票読みを継続中。中立派議員への接触も続けています」
「侯爵の健康は」
「安定しています。以前より顔色が良いそうです」
「娘と和解したからだろうね」
「リディア。学園に在籍しつつ、密使との連絡路を維持。南方のレジスタンスとの情報交換が定期化しています。ニコラスの裏航路を使用」
「アネリーゼは」
「神殿にて活動中。ベルトラン騎士団長と共に、内部改革を推進。大神官猊下の信任を得ています。祝福の儀の準備も進行中」
「フェリクスおにいさまは」
「王立学術院にて研究を継続。三百年前の記録の分析を進めながら、聖魔力の安定化理論の改良版を執筆中。第二論文として発表予定」
「ヘルマンは」
「公爵邸にて情報分析。宰相とマティアスの動向を日次で追跡。マティアスの最近の動きに、不穏な変化があるとのことです」
「不穏な変化」
「マティアスがルシアン殿下との接触頻度を、さらに上げています。週に三回以上」
「三回。宰相との亀裂が深まっている証拠だね。マティアスは宰相を見限りつつある」
「はい。そしてもう一つ」
ナターシャの声が低くなった。
「ニコラスから緊急の報告が入っています」
「内容は」
「王太子アレクシス殿下の——暗殺計画が進行中」
空気が凍った。
「暗殺、また?」
「はい。前回の毒とは異なります。今回は魔術的手段。儀式魔法による遠距離攻撃」
「儀式魔法」
「実行犯は、マティアスが独自に雇った暗殺者。宰相は知らない可能性が高い」
だが今回は規模が違う。毒ではなく魔術。遠距離攻撃。防ぐのが格段に難しい。
「時期は」
「次の王宮祭典。人が多く集まる場です。混乱に紛れて」
「祭典、いつ」
「二週間後です」
二週間。
セレスティアは目を閉じた。
構図は分かる。アレクシスを殺し、セレスティアに罪を着せる。婚約者による暗殺。そういう筋書きだ。
「ナターシャ。お父様に至急報告を。対策会議を開く」
「承知いたしました」
ナターシャが走り出た。
セレスティアは窓の外を見た。雨が降り続いている。
「二週間」
短い。だが、十分だ。




