12歳の終わり
学園。石段。
春の風。
セレスティアが石段に座った時、フリーデリケが走ってきた。
「セレスティアさまーーー!」
全速力。ドレスの裾を踏みそうになりながら。蜂蜜色の髪がなびいている。両手に包みを持っている。
「フリーデリケ。走らないで。転ぶよ」
「転ばない! あ」
転んだ。石段の二段目で。
包みが宙を舞った。セレスティアが両手で受け止めた。フリーデリケは石段に膝をついた。
「……痛い」
「だから言ったのに」
「でも、早くセレスティアさまに会いたかったから」
膝をさすりながら立ち上がるフリーデリケの目が輝いていた。本当に嬉しそうだった。
「久しぶりです! 全然来てくれなかったから!」
「ごめんね。王宮で色々あって」
「色々。分からないけど、大変だったんでしょう」
「うん。大変だった」
「大変だったのに来てくれた」
「約束したから。石段で昼食を食べるって」
フリーデリケの笑顔が太陽みたいだった。春の太陽より眩しい。
包みを開けた。中身は丸いパン。四つ。
「今日のパンは特別なの! 中にチーズが入ってるの! 新しいレシピ!」
「チーズ入り」
「焼き加減が難しくて、三回失敗したの。でも四回目で成功した!」
「四回」
「わたし、諦めないから」
フリーデリケが胸を張った。小さな胸を。誇らしげに。
セレスティアはパンを受け取った。温かい。焼きたてに近い。朝早くから焼いてくれたのだろう。
「ありがとう。フリーデリケ」
「えへへ」
リディアが来た。干し果物の袋を持って。
「セレスティア。久しぶりね、石段」
「リディアさま。来てくれたの」
「約束したもの。はい、南方の干し果物。新しいのが届いた」
「密使経由?」
「それは秘密」
リディアがウィンクした。
アネリーゼが来た。小さな花束を持って。
「セレスティア様。これ、庭に咲いていました」
「花」
「ラベンダーです。もう咲き始めていますよ」
ラベンダー。セレスティアのフリーデリケとの思い出の花。
「ありがとう、アネリーゼ」
四人が石段に座った。いつもの配置。セレスティアとフリーデリケが隣同士。リディアが一段下。アネリーゼが一段上。
パンを割った。チーズがとろりと溶け出した。
「おいしい」
「でしょう? チーズ入り、成功してよかった」
干し果物を分けた。ラベンダーの花束を石段の隅に立てかけた。
春の風が吹いた。髪が揺れた。パンの香りと花の香りが混ざった。
「セレスティアさま」
「なに?」
フリーデリケがパンをかじりながら、少しだけ真剣な顔をした。
「わたし、分かってるの」
「何が?」
「セレスティアさまが何か大きなことと戦っていること」
セレスティアの手が止まった。
「分からないけど、分かる。セレスティアさまの目が変わる時がある。すごく遠くを見てる時。怖いものを見てる時。わたしには分からないものを」
「フリーデリケ——」
「聞かないよ」
フリーデリケが笑った。いつもの笑顔。でも少しだけ、大人びた笑顔。
「聞かない。セレスティアさまが話したくなったら聞く。でも今は聞かない」
「なぜ」
「だって、聞いたらセレスティアさまが困るでしょう? 話せないことなんでしょう? なら、聞かないのが、わたしにできること」
「フリーデリケ」
「代わりにパンを焼くね。いつでも。何があっても。セレスティアさまが戦ってる間、わたしはパンを焼いて待ってる」
「パンを」
「うん。パンならわたしにもできるから。戦えないけど。政治も分からないけど。パンなら焼ける」
セレスティアの目が熱くなった。
「フリーデリケ。あのね」
「うん」
「あなたのパンが——わたしの一番の武器だよ」
フリーデリケがきょとんとした。
「パンが武器?」
「うん。どんな剣よりも。どんな魔力よりも。あなたのパンがあるから、わたしは走れる。帰る場所があるから、走れる」
フリーデリケの目が潤んだ。
「わたしのパンが」
「一番の武器。だから、これからも焼いてね」
「焼く! 毎日焼く! 丸いのも四角いのも三角のも全部焼く!」
「三角のパン、あるの?」
「ない。でも作る」
リディアが笑った。「三角のパン。挑戦的ね」
アネリーゼが微笑んだ。「きっとフリーデリケなら作れます」
四人で笑った。石段の上で。春の風の中で。
◇
午後。学園の鐘が鳴った。
石段を降りる時、セレスティアは振り返った。
石段。ラベンダー。パンの屑。
「フリーデリケ。また来るね」
「うん! 待ってる! いつまでも!」
フリーデリケが手を振った。全力で。
セレスティアは手を振り返した。小さく。でも笑顔で。
春の風が石段を吹き上げていった。




