アレクシスの誓い
国王の容態が悪化した日。
王宮の中庭。夕暮れ。
セレスティアはベンチに座って待っていた。
アレクシスが来ることは分かっていた。病室の後、必ずここに来る。最近の習慣だ。一人になりたい時、アレクシスはこの中庭に来る。そしてしばらくして、こちらに気づく。
王宮の庭師が丁寧に手入れをした噴水が、水音を立てている。薔薇の剪定が終わったばかりで、切り口の白が見えていた。秋の終わりの中庭だ。
待った。
◇
アレクシスが来た。
白い礼服の襟元が乱れている。走ってきたのだろう。目が赤かった。だが泣いた顔ではなかった。泣いた後に、何かを決めた顔。
ベンチの隣に座った。距離は近かった。肩が触れるほど。
しばらく、無言だった。
中庭の噴水が水音を立てている。夕日がオレンジ色に二人を染めている。
「父上は、今日、僕の手を握れなかった」
アレクシスの声は静かだった。
「握ろうとしてくれた。でも力がなかった。指が動かなかった」
「……」
「毎回、会うたびに『大きくなったな』と言ってくれる。今日も言ってくれた。でも声が、ほとんど聞こえなかった。唇が動いているのを読んだ」
アレクシスが膝の上で拳を握った。
「父上は——消えていく。少しずつ。毎日。目の前で」
セレスティアは何も言わなかった。今は聞く時間だ。
「父上が若い頃の話を、お母上から聞いたことがある。馬が得意で、剣も強くて、議会では誰より声が大きかったと。でも今の父上は、声が聞こえないほど小さい。手も動かない。目だけが、まだ生きている」
「……」
「目だけで『大きくなったな』と言ってくれた。声は聞こえなかったけど、目で分かった」
◇
「僕は——何もできない。治せない。助けられない。王太子なのに。この国で一番偉い人の息子なのに、父一人、救えない」
声が震えた。だが泣かなかった。泣く段階は過ぎていた。怒りとも悲しみとも違う、何か別のもので声が震えていた。
「でも——決めた」
アレクシスがセレスティアを見た。正面から。夕日の中で。
目が変わっていた。
子供の目ではない。迷いを超えた目。十二歳の少年が初めて見せる、覚悟の目。父を失いかけた少年が、その喪失の中から掘り出した何かを宿した目。
「セレスティア。僕は王になる。正しい王になる」
「殿下」
「父上が守れなかったものを、僕が守る。母上が一人で背負ってきたものを、僕が引き継ぐ。宰相が壊そうとしているものを、僕が建て直す」
アレクシスが立ち上がった。ベンチの前に。セレスティアの前に。
夕日を背に。逆光で輪郭だけが金色に光っている。
「君を守れる王になる」
セレスティアの心臓が跳ねた。
「宰相から。運命から。何からでも。君を、守れる王に」
まだ子供の声だった。変声期前の、高い声。だが目は真剣だった。冗談ではない。社交辞令でもない。
十二歳の少年が本気で、誓っている。
◇
セレスティアは立ち上がった。アレクシスの前に。
「殿下。わたしも、殿下を守ります」
「僕を?」
「うん。殿下が王になるまで。王になった後も。わたしは殿下の傍で、一緒に戦う」
「婚約者として?」
「婚約者として——だけじゃない。戦友として」
アレクシスの目が揺れた。
「戦友か」
「うん。一緒に戦う仲間。信頼できる仲間。殿下が正しい王になるために、わたしにできることは全部する」
「全部」
「全部。情報も。策略も。魔力も。わたしの全部を、殿下のために使う」
口元が緩んだ。照れたように。
「お前は、いつも大げさだな」
「大げさじゃない。本気」
「本気か。お前が本気なのは知っている。いつも本気だ。だから僕も本気で返す」
アレクシスが右手を差し出した。
「誓おう。僕は正しい王になる。君は僕の傍で、一緒に戦う。二人で、この国を守る」
セレスティアが右手を重ねた。
握手。十二歳の手と手。
まだ小さい。まだ弱い。でも温かい。
「誓う」
二人の声が重なった。
夕日が沈んでいく。オレンジの光が薄くなる。
最初の星が見えた。
◇
「殿下」
「何だ」
「手、離していいよ」
「ああ。悪い」
アレクシスが慌てて手を離した。耳が赤い。
セレスティアも、頬が熱かった。
「殿下。一つ聞いていい?」
「何だ」
「さっきの誓い、婚約者として言った? それとも」
「戦友として」
「戦友ね」
「何だ。不満か」
「不満じゃない。でも、いつか」
「いつか?」
「いつか婚約者としても、聞きたいな。同じ言葉を」
アレクシスの耳がさらに赤くなった。
「……今は戦友で勘弁してくれ」
「うん。今はそれでいい」
二人で中庭のベンチに座り直した。
肩が触れている。さっきより少しだけ近い。
夜の帳が降りてきた。星が増えていく。噴水の音がより大きく聞こえる。昼より夜の方が、音が響く。
「セレスティア」
「なに」
「ありがとう。傍にいてくれて」
「いつものことだよ」
「いつものことが」
「一番大事。でしょう?」
アレクシスが笑った。
「お前の口癖、移るな」
「移ればいい。いい言葉だから」
しばらく、星を見ていた。
「殿下」
「何だ」
「今日、少し大人になった気がする。殿下が」
「そうか」
「うん。目が変わった。さっきから」
アレクシスが少し間を置いた。
「……父上の目を見ていたら、決まった。怖がっていても前を向くことが、僕にできることだと思った」
星の光が増えていった。




