処刑の予兆
夢はいつも同じ場所から始まる。
断頭台。
灰色の空。冷たい石の台。群衆の声。
前世の記憶。何度も見た夢。だが今夜の夢は、違った。
断頭台の上から見える景色が前世とは違う。
群衆の中に、今世の仲間たちの顔があった。
フリーデリケが叫んでいた。声が聞こえる。「セレスティアさま! セレスティアさま!」。蜂蜜色の髪が乱れている。手を伸ばしている。届かない。
リディアが崩れ落ちていた。膝をついて。両手で顔を覆って。「嘘、嘘よ」と繰り返している。
コンラートが剣を握って震えていた。抜こうとしている。でも抜けない。周りを騎士に囲まれている。「放せ、放せよ!」と叫んでいる。
ヴィオレッタが立ち尽くしていた。涙が流れている。赤い巻き髪が風に揺れている。声が出ない。
アネリーゼが祈っていた。白い法衣。両手を組んで。光魔力が手のひらから零れている。でも届かない。治癒の光は断頭台には届かない。
ナターシャが群衆の中で、動けずにいた。いつも冷静な侍女の顔が壊れていた。
ヴォルフが倒れていた。血を流して。セレスティアを守ろうとして斬られた。
そしてアレクシスが背中を向けていた。前世と同じ。逃げる背中。でも今世のアレクシスは振り返った。振り返って叫んだ。
「セレスティア!」
声が聞こえた。でも遅い。
刃が落ちる。
◇
目が覚めた。
汗だく。寝巻きが肌に張り付いている。心臓が暴れている。とくんとくんとくん。速すぎる。鼓動が制御できない。
手のひらが光っていた。
白金の光。聖魔力。暴走しかけている。光と闇が渦を巻いて、制御を離れようとしている。
「——っ」
歯を食いしばった。
グレーテルの言葉を思い出す。心臓の鼓動に同期させる。でも心拍が乱れている。同期できない。
恐怖。処刑の恐怖。断頭台の冷たさ。刃の音。前世の記憶が、体を支配している。
手のひらの光が膨らんだ。部屋の壁が白く照らされる。
まずい。このままでは。
「とくん」
自分の声で言った。小さく。
「とくん。とくん」
「とくん。とくん。とくん」
ゆっくり。ゆっくりと。
心拍が少しずつ、落ち着いていく。手のひらの光が萎んでいく。
「とくん」
光が消えた。
暗い部屋。自分の荒い息だけが聞こえる。
危なかった。
あと少しで暴走していた。グレーテルが言った通りだ。極限の恐怖で心拍が乱れれば同期が崩れる。同期が崩れれば。
王宮ごと吹き飛ぶ。
今は公爵邸だから、公爵邸ごと。
母も。父も。ナターシャも。ヴォルフも。全員を巻き込む。
「わたしが一番危険」
声が震えた。
扉が開いた。ナターシャが飛び込んできた。
「お嬢様! 魔力の波動を感じました。大丈夫ですか」
「大丈夫。もう収まった」
「汗が。着替えを持ってきます」
「待って。ナターシャ」
「はい」
「——傍にいて。少しだけ」
ナターシャがベッドの端に座った。セレスティアの手を握った。
温かい手。
「夢を見た」
「悪い夢ですか」
「うん。前世のいつもの夢。でも今日はみんながいた。フリーデリケも。リディアも。コンラートも。みんなが泣いてた」
「……」
「わたしが処刑される夢。みんなが見ている前で。怖かった。すごく」
ナターシャの手に力が入った。
「お嬢様。その夢は現実にはなりません」
「分からない。本当に変えられるのか。前世と同じ道を辿るんじゃないか。歴史の慣性力が」
「変えられます」
ナターシャの声はいつもの冷静な声ではなかった。強い声。
「お嬢様が変えてきたでしょう。テオドールを味方にした。ヴィオレッタを味方にした。コンラートがいる。リディアがいる。アネリーゼがいる。辺境伯がいる。侯爵がいる。フェリクス様がいる。前世にはなかったものが、これだけある」
「でも」
「前世のお嬢様は一人でした。今世のお嬢様は一人ではありません」
セレスティアの目から涙が落ちた。
「怖い。ナターシャ。まだ怖い。変えられると信じたいのに、夢の中では、いつも同じ場所に立ってる。断頭台の上に」
「怖くていいのです」
ナターシャがセレスティアの髪を撫でた。
「怖いまま立てばいい。グレーテル先生も仰っていたでしょう。エレオノーラ様も。わたしも同じことを言います」
「同じこと」
「怖くても立ってください。そしてお嬢様が立てない時はわたしが支えます。わたしの手を握ってください」
セレスティアはナターシャの手を強く握った。
温かい。ナターシャの手はいつも温かい。
「ナターシャ。一つだけ、約束して」
「何でも」
「もしわたしの魔力が暴走しそうになったら、逃げて。わたしから離れて。巻き込まれないように」
ナターシャが首を振った。
「逃げません」
「ナターシャ——」
「逃げません。お嬢様が暴走しそうになったら、わたしが手を握ります。それで止まるかもしれない」
「止まらなかったら——」
「止まります。お嬢様は、誰かの手を握っている時、暴走しません。今もそうです。わたしの手を握って、魔力が落ち着いた」
「……」
「お嬢様の暴走を止めるのは、魔力の制御ではなく人の手です。温かい手。信頼できる手。それが一番の制御装置です」
ナターシャが微笑んだ。暗い部屋の中で。
「ですから逃げません。永遠に」
セレスティアはナターシャの手を握ったまま、目を閉じた。
心臓の鼓動。とくん、とくん。安定している。ナターシャの手の温もりに同期して。
「まだだ——」
小さく呟いた。
「まだ処刑は来ない。わたしが変える」
だが心の奥で恐怖が叫んでいる。
「本当に変えられるのか?」
分からない。
でも変えるしかない。
この手を握ってくれる人がいる限り。
夢の中で泣いていたみんなを、現実では泣かせない。
朝が来た。
ナターシャが着替えを持ってきた。温かい紅茶を淹れてくれた。蜂蜜を多めに。
「お嬢様。今日は何をしますか」
「いつも通り。報告を聞いて、分析して、次の手を打つ」
「はい。いつも通りに」
紅茶の蜂蜜の甘さが、まだ舌に残っていた。




