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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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副宰相の独走

 アレクシスは泣かなかった。


 父の危篤を聞いた時。書斎の椅子に座ったまま、目を閉じて、長い息を吐いた。


 「そうか——」


 それだけだった。


 セレスティアはアレクシスの隣に座っていた。何も言わなかった。言葉が見つからなかったのではない。今は言葉よりも、隣にいることが大事だと分かっていたから。


 しばらく沈黙が続いた。


 書斎の時計の音だけが聞こえた。規則正しい、かちり、かちり。


 「僕は、父上と、あまり話したことがない」


 アレクシスが目を開けずに言った。


 「病床にいることが多かったから。会えるのは月に数回。それも短い時間」


 「……」


 「でも、会うたびに同じことを言ってくれた。『アレクシス、大きくなったな』と。毎回同じだ。毎回。成長していない月でも」


 声が少しだけ揺れた。


 「父上は、弱い王だった。政治を王妃に任せ、宰相を止められなかった。でも」


 アレクシスが目を開けた。赤くなっていた。泣いてはいない。泣く寸前を堪えている目。


 「でも——僕の父だ」


 セレスティアはアレクシスの手を取った。何も言わずに。


 アレクシスの手は震えていなかった。拳を握っていた。固く。


 握り返してくれた。強く。


 「セレスティア。犯人を見つけてくれ」


 「見つける」


 「僕は、父上の傍にいく。王太子として。息子として」


 「うん。行って」


 アレクシスが立ち上がった。書斎を出ていく背中が小さく見えた。十二歳の背中。


 だが、曲がっていなかった。


 セレスティアは一人残った書斎で、拳を握った。


 犯人を見つける。必ず。


 ◇


 ナターシャの調査は三日で結果を出した。


 「お嬢様。国王陛下の薬に毒を混入した経路が判明しました」


 「話して」


 「陛下の薬は王宮薬局で調合されます。薬局長のマルクス・ブレンナーが調合し、王妃付きの侍女が運ぶ。この手順は厳格に管理されています」


 「でも、毒が入った」


 「はい。薬局から王妃の元に届くまでの間に、すり替えが行われた可能性が高い。具体的には、薬を運ぶ廊下の途中に、わずかな空白時間がある」


 「空白時間?」


 「薬局から王の寝室まで、侍女が運ぶ経路には二つの角がある。二つ目の角を曲がる時、一瞬、廊下が死角になります。その間に薬瓶をすり替えた」


 「すり替えた人物は」


 「特定できていません。ですが、すり替えのためには、薬の運搬時刻と経路を正確に知っている必要があります。この情報を持っているのは王宮の上層部のみ」


 「マティアスなら知っている」


 「はい。副宰相は王宮の管理運営にも権限を持っています。廊下の警備配置も、マティアスの管轄です」


 状況証拠が積み上がっていく。だがまだ決定的ではない。


 「もう一つ。ニコラスから報告が来ています」


 ナターシャが暗号文を広げた。


 『国王暗殺未遂に使用された毒物は「夜鳴鳥の涙」。東方原産の経口毒。闇市場での流通は極めて少ない。過去一年間の取引記録を調査したところ、購入者は一名。購入時期は二ヶ月前。


  購入者の特徴:三十代男性。黒髪。左耳に古傷。


  この人物は、副宰相マティアスの私的な使用人として知られる男と特徴が一致する。


  ニコラス記す』


 「左耳に古傷。マティアスの使用人」


 「はい。名前はバルドゥル。表向きはマティアスの馬丁ですが、裏の仕事を請け負っているとされる人物です」


 「ナターシャ。これを宰相に流す」


 「宰相に? カスパル経由で?」


 「いや。今回は直接。宰相本人に」


 ナターシャの目が見開かれた。


 「直接——宰相と接触するのですか」


 「マティアスの独走を知ったら、宰相は怒る。でもカスパル経由の間接情報では、宰相は疑う。『公爵家が偽情報を流している』と。だから直接。わたしの口から。証拠を添えて」


 「危険です」


 「うん。危険。でも、宰相派を割るには、宰相自身にマティアスの裏切りを認めさせるしかない」


 セレスティアは立ち上がった。


 「宰相に会いに行く」


 ◇


 王宮の宰相執務室。


 セレスティアが一人で入った。ナターシャは廊下で待機。ヴォルフが扉の前に立っている。


 宰相ヴィクトール・ド・ガルニエは机の向こうで微笑んでいた。いつもの微笑み。計算された、隙のない笑み。


 「これはセレスティア嬢。王太子の婚約者殿が、わざわざ老いぼれの執務室に。何のご用件で」


 「宰相閣下。お忙しいところ恐縮です。一つ、お伝えしたいことがあります」


 「ほう」


 セレスティアは椅子に座った。宰相の目の前に。


 この男の前に座るのは、全身に氷水を浴びるような感覚だ。


 怯えるな。グレーテルの言葉を思い出す。怖いまま立てばいい。


 「閣下。国王暗殺未遂事件の件です」


 「ああ。痛ましいことです。陛下のご回復を祈るばかり」


 「犯人は——副宰相マティアス・ベルンハルト。いえ、血筋を正確に言えば、マティアス・ド・ガルニエ。閣下のご子息です」


 宰相の微笑みが消えなかった。


 だが目が変わった。ほんの一瞬。氷点下の光が走った。


 「大胆な仮説ですな。根拠は」


 セレスティアはニコラスの報告の要約を差し出した。毒物の入手経路。ディートリヒの特徴。廊下の死角の情報。


 宰相は書類に目を通した。ゆっくりと。表情を変えずに。


 「……興味深い」


 「閣下。これが真実かどうかは、閣下ご自身が確認できるはずです。マティアスの行動を。ディートリヒの所在を」


 「なぜ、これを私に?」


 宰相が書類から目を上げた。微笑みはない。素の目。計算する目。


 「近衛騎士団に渡すこともできたはず。王妃陛下に渡すこともできた。なぜ敵である私に」


 「敵、と仰るのですね」


 「お互いに、そういう関係でしょう」


 セレスティアは真っ直ぐに、宰相の目を見た。


 「閣下。わたしが恐れているのは閣下ではありません」


 宰相の眉がわずかに動いた。


 「閣下は冷徹ですが、計算します。計算する人間は予測できます。でもマティアスは計算を超えて動き始めている。制御できない人間は、閣下にとっても脅威のはずです」


 沈黙。長い沈黙。


 宰相が椅子の背にもたれた。


 「十二歳の少女が、私の前でこれを言う。度胸があるのか。愚かなのか」


 「どちらでもいいです。閣下が確認してくだされば」


 「確認はする。だが、一つ聞いておこう」


 「はい」


 「見返りは何を望む」


 「何も」


 「何も?」


 「はい。これは取引ではありません。事実をお伝えしただけです」


 宰相がじっと、セレスティアを見た。


 長い時間。


 それから微笑んだ。今度の微笑みはいつもと少し違った。計算だけではない、何か別のものが混じった笑み。


 「面白い子だ。お帰りなさい、セレスティア嬢。確認しましょう」


 「ありがとうございます」


 セレスティアは立ち上がり、一礼して退室した。


 廊下に出た瞬間、足が震えた。


 ヴォルフが無言で支えた。


 「大丈夫——立てる」


 「無理はなさらず」


 「無理してない。足が正直なだけ」


 「ナターシャ」


 「お嬢様。お疲れ様でした」


 「疲れた。すごく。帰ったら甘いもの食べたい」


 「パンケーキにしますか?」


 「パンケーキがいい。蜂蜜たっぷりで」


 「承知いたしました」


 震える足で、廊下を歩いた。


 ヴォルフが三歩後ろで見守っている。ナターシャが半歩横にいる。


 「ナターシャ。宰相が動くかどうか、様子を見て」


 「はい。三日ほどで動向が分かるかと」


 「分かった。三日、待つ」


 蜂蜜たっぷりのパンケーキが待っている。それだけで、歩ける。


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